第7回南知多オープンウォータースイムレース

初めてオープンウォーター(プールでないところ)の水泳の大会に出場しました。

今まで見たこともなかったので、何もかも初めてで、とても新鮮で面白かったです。プールでの大会と違ってエンターテイメント色が強く、MCの人がうまいこと煽ってくれるので、盛り上がります。

 

楽しい海の雰囲気とは言え、レースは真剣ですし激しいです。プールで行うマスターズの大会は長距離が少なく、苦手な短距離だから成績が振るわないと豪語している(?)私としては、長距離泳げるオープンウォーターのレースでそれなりの結果を残さねばと、結構緊張してました(笑)

 

いつも某大学のプールで指導をしてもらっている小杉コーチもこの大会に出場されるということで、某大学で待ち合わせて一緒に行きました。

 

練習では、いつもイッパイイッパイで泳いでしまうので、とにかくレースでは余裕を持った状態で後半まで泳ぐ。。。ということを目標にしてますが、どうしても最初から限界までいってしまうんですよねぇ(笑)

 

天気は曇り。皮膚の弱い私としては大変良いコンディションです。ただ、波とうねりは大きかったです。後からベテランの選手に聴いた話だと、こんなに波とうねりが大きいのは久しぶりだったそうなので、オープンウォーター初心者にはなかなかハードなウォーターコンディションでした。 

 

プールのレースでは同じコースには誰もいませんが、オープンウォーターのレースは、ゴチャゴチャの状態でスタートします。スタート1分前になって集団で、海の中に歩き進みながら、周りを見ると、みんな真っ黒に日焼けした速そうな人ばかりです。もちろん、完泳目標の人たちもたくさんいますが、そういう人たちは両脇か後ろの方におり、上位を目指す人が中央に集まります。ぶっちぎり白い私は、黒い人たちの中に紛れ込みました(笑)

 

スタート直後は人がたくさんいて泳ぎにくかったですが、第1ブイまでくるころにはばらけて、それなりに泳ぎやすくなりました。そのときに、圧倒的に速い人が一人飛び出したのが見えましたが、気持ちを静めて先頭集団に留まりました。その後、沖に出て波とうねりが激しく、周りの状況がほとんど分からなくなりましたが、目標のブイだけを頻繁にチェックしながら、前の人について行きました。

あとから聞いたら、第2ブイにさしかかる頃には、二人で泳いでいる感じだったそうです。つまり、一人が飛び出しているひとを別とすると、その後ろの先頭集団は2人になっていた感じです。

でも、そんな状態を把握する余裕はまったくなく、とにかく前の人について行くので精一杯でした。水を飲みながら、波にゆられながら、目標物を見失わないように神経使いながら・・・。

 

そのまま行けば3位だったのですが、第3ブイの手前で、別の人が急激に追いついて、並んで、あっと言う間に二人を抜いてゆきました。そういう作戦だったのでしょうが、それについて行く余裕は私にはなく、どうにか前の人について行くのみ。。。

第3ブイを回ったところでちょっとスパートをかけようかと頑張りましたが、相手もスピードアップして、結局最初から最後まで、その人の脚に触るか触らないかと言う位置で泳ぎ、そのままゴール。

 

結果は、僅差の4位。。。残念。

 

普段の練習であればもう一踏ん張りできるくらいのカラダの感じではありましたが、波とうねりの高い海で、何度も水を飲み、力を完全に使い果たすことに対する恐怖心が、無茶しなかった(できなかった)原因です。もう少し余裕を持った状態で、最終ブイが回れるような実力を来年までに付けたいと思います。


 

水泳でも、マラソンでも、仕事でも、「自分の限界値を上げる」ことが目標です。その為には日常的な練習(生活)で、意識を失いかけるくらい力を出しきる、自分を追い込むようにしなければいけません。折れるギリギリまで自分を追い込むことができれば、超回復して限界値がアップする量も増えます。それは、肉体的なものだけでなく、精神的にも限界値が上がります。

 

そして、レースなどの本番では、限界値よりも少し余裕を持った状態で、的確な判断や作戦が実行できるようにし、最後の山場で実力を出し切れるようになることが、最高のパフォーマンスを出す秘訣です。

 

分かってはいてもなかなかできません。

しばらくレースの予定はないので、猛烈に心身を追い込みたいと思います。

幸い今年度の後半から仕事で勝負をしないといけない感じなので、心身の「心」の方は、それで十分に追い込めそうです(笑)

心身の「身」の方は、RUN、SWIM、筋トレ、猛烈に頑張ります。。

社員に指示を受ける

最近、社員から指示を受けることが増えてきました。

一応、私社長なので、普通に考えると「えっ?」ということになるかもしれませんが、私はとても良い方向に進めていると感じています。

 

うちの会社は、社員数4名の小さな会社です。組織とは呼べないくらいの小さなグループです。これまではプロジェクトごとに担当者を決めても、私が多くの仕事の管理をし、社員に細かく指示を出していました。 

 

10年以上そのスタイルは変わりませんでした。その理由は

「とても社員はまだ任せられない」と思っていたからです。

 

役所に申請する書類を作る場合、細かい制度変更などを追いかけて、微妙な言い回しなどを入れないといけないことも多く、これまでの経緯や様々な経験を踏まえて書かないといけないので、私しか出来ない仕事だと思っていました。

それが、近年、変わってきました。それぞれの仕事を担当者にやってもらうようににしました。・・・なんて書くとカッコイイですが、実際は、契約上の規定や、私の時間や能力の限界などにより、やむを得ずそうなった部分もあります。

 

いずれにしても、結果はとても良い方向に行きました。

 

それぞれの担当者が、主体性と責任を持って業務に当たってくれる割合が急激に増えました。

「何をしましょうか?」ではなく

「これをこのようにやろうと思いますがよいですか?」

というような連絡に変わってきました。私は確認して承認するだけです。

 

任せて大丈夫との確信を得たのは、先日あった監督機関からの監査対応の時です。

前の週に「来週の木曜日に伺います。経営者の方が対応していただく必要はありません。」と、突然の連絡を受けました。私はだいぶ前に出張が決まっていてその日は不在です。

以前なら、その出張の予定を変更してもらうか、調査の日程を変更してもらうように交渉したでしょうが、今回は思い切って、その仕事の書類制作と管理を担当しているパートの女性スタッフに任せてみることにしました。

 

結果は、Okでもなく、Goodでもなく、Excellentな対応でした。

 

とても感動しました。そして、反省しました。これまで社員の能力の限界を作っていたのは私だったのではないかと。

 

それぞれのスタッフが、自律して業務を進めるようになっても、スタッフの数は変わりません。相変わらずギリギリです。

イベント的なことの当日の運営は私も含めて全スタッフ総動員で対応し乗り切ります。

  

段取りや役割分担も担当スタッフが決めて指示します。そういうときは私は、社長ではなく、その業務の一スタッフとして、コピーを取ったり、受付だったり担当スタッフの指示を仰ぎながら自分の役割をこなします。

 

それが、私が最近、社員の指示で仕事をすることが増えてきた理由です。


 

人に指示されたり、誰かの言うことを聞くのがイヤで、自分で会社を始めたのに、16年経ち、指示を受けて仕事するのがとても気持ちよく感じるとは不思議なモノです。

この社員たちと一緒にいい仕事ができるよう、一番頑張らねばならないのは私です。

 

全員の不安を取り除き、自信と勇気とエネルギーに満ちあふれ「みんなで、あそこに行くぞー!」とゴールを指し示せるリーダーになりたいと思います

 

心地よい家族のカタチ

先週の土曜日、名古屋市の西生涯学習センターで「家族の笑顔が見たいから 〜心地よい家族のカタチ〜」というテーマでお話をさせて頂きました。

いつもの20代30代の「小さな子供を持つパパママ」と違って、聴講者の大半が、50代以上の男性ということでしたが、私の持ち札は多くないので、いつも通りわが家の子育てスタイル、生活スタイルなどをお話ししながら、夫婦円満に向けた秘訣などについてお話しました。

私よりも人生経験も、結婚生活も長い方ばかりなので、事前にはちょっと緊張しましたが、始まってみるととても熱心に聞いていただけて、いつも以上に話やすかったです。

私が10年前から娘に愛され続ける方法研究家を本職(ライフワーク)としたことの経緯、状況からお話し、その研究の中でこれまでのところ、夫婦円満がかなり重要なポイントであることを突き止め、最近は、夫婦円満研究家としても、日夜研究に勤しんでいることをお話しました。

「女房の機嫌が良ければ、世の中のほとんどの問題は解決する」というところは、皆さん自分の経験を振り返り(?)笑いながらメモを取られていました。

時代の変化に伴い、家族における父親の役割も変わってきており、昔の「よい父親」が、今の時代には合いません。

日本の人口構造が変わり、社会構造が変わり、社会システムが変わってきていて、昔のように一家の大半の収入を稼ぐ人という地位はとても不安定です。会社が倒産したりリストラされて、収入を失った時にも揺るぎない家族との繋がりや関わりが、あった方が安心で楽しいじゃないですか。。。という、キャリアカウンセラーとしてのお話もさせて頂きました。

最後に、こんなところで偉そうに話をしている私が、実際、家でやっていることを紹介し、実は大したことではなく、それでも家族には喜ばれ、世の中では(それなりに)スゴイなんて言われることをお話しました。ほんの少し考え方や行動を変えるだけで、日常生活が大きく変わります。

心地よい家族のカタチとは、それぞれの家族で話し合って見つけるものだと思います。

ただ、そこには男女にかかわらず、育児も家事も、外での仕事も、やれることをやる、という認識を夫婦で共有していると都合がよいと思います。 

【20代の頃】変わり者と仲良くなる

オーストラリアでは、何年も続けたものから、1日だけのものまで、ものすごくたくさんのアルバイトをしました。

その時の経験で、いろいろなことを学んだし、楽しい思い出もたくさん出来ました。

日本のクラブ(踊るところではなく、お酒を飲む所)は、いろいろな人と出会うことができて、一番長く続けたアルバイトです。

とても高級なクラブだったので、お客さんはみんなお金持ちです。苦労をして成り上がった人、大会社の役員、芸能人、ボンボン息子などなど、いろいろな人と仲良くなって、いろいろな話を聞かせてもらったのが、(その時は意識してませんでしたが)自分の人生観の形成に大きく役立ったと思います。 

一番の収穫(考え方)は、特定の人の生き方や考え方ではなく「みんな違う」ということ、いろいろな人が、いろいろな考え方を持って、いろいろな生き方をしていることを知ったことです。

頭で理解したというようり、体にそういう考え方が染み付いたと言った方が正しいです。

最近、私は「変わり者」と言われることがあります。私がそのころオーストラリアで付き合っていた人たちと比べたら、私など極々一般的なつまらない人だと思います。もっともっと突き抜けたいと思います。

見習うべきところが多い人から、絶対ああなってはいけない見本的な人まで、とにかくスゴイ人達と、仲良くなって付き合えたことが私にとってはとてもよかったことです。

大学生によく聞かれる質問のひとつに「どうやってそんな人脈を作ったのですが?」とか「どうして、そんな人達と付き合えたのか?」と、言うようなものがあります。

もともと、人脈を作ろうとか広げようと思ってた訳ではないので、的確な回答は出来ません。

あえて言えば、面白いなと思う人には興味津々で、目をキラキラさせて近づいて行っていたのだと思います。

もちろん、かなりヤバい人もいたので、危険も多かったです。後から思えば本当に運良く無事だったということもあります。

そういうリスクを犯して(気づかず)いろいろな人に好奇心を持って無邪気に近づき、仲良くなるというのも、若い人の特権だと思います。 

失うものはなにもないし、知識も経験もない、ただただ、自分の好奇心の赴くままに、無防備にいきなりその人の懐に飛び込むことで、相手は驚きますが、うまくゆけば急激に仲良くなれます。

それはオーストラリアでなくても、できることだと思いますが、まったく、知り合いも親戚もいない場所の方が、思い切ってできるかもしれません。

若者には「無知で、向こう見ずで、失うものがない」という若者の特権を最大限に生かして欲しいと思います。

淡路島で子ども二人と車中泊しながら考えたこと

今年も恒例となった娘と私で車中泊の旅行をしてきました。

もともとは、旅行に行くのが目的ではなく妻が仕事に出かけているのでその間の暇つぶしが目的でしたが、5年前からは毎年車中泊で旅行へ行ってます。

海や公園で遊んだり、ハーブ園で香水や石鹸作りを体験したり、全て5年前とは違って、子ども達だけで参加したり、工夫したりして遊ぶようになりました。

全てが楽しい思い出ですが、一番の思い出は夕食。何を食べようかと相談し、回転寿司に行くことになりました。あまり外食しない我が家ですが、たまに回転寿司に行くときも一皿100円の回転寿司ばかりです。

でも、初めて行く淡路島ではお店の情報もなく、とりあえず見つけた回転寿司に入りました。

テーブルに付いて皿の説明文をみて、ちょっと高いことに気づいてビビりましたが、久しぶりの回転寿司で大喜びの子ども達にはそんなことは言えないので、覚悟を決めて食べることにしました。

ハイテンションで、皿をとって食べ始めた子ども達でしたが、2枚目の皿を取った時に、上の娘が皿の柄が違うことに気付き、壁に付いている皿の説明を読みました。そして、小声で私に

「父ちゃん、このお店お皿によって値段が違うよ。いいの?」

と、不安げに聞きます。私が

「大丈夫、たまにはいいよ。父ちゃんの秘密の財布があるから、心配しなくていいから好きなものを食べな」

と言うと、ちょっと安心した感じで、また食べ始めました。それでも、高めの皿を取るときには毎回

「これ食べてもいい?」

と聞くので、

「いいよ」

と言うと、嬉しそうに皿を取ります。そして、子どもらしい満面の笑みで食べます。うちの娘達は、おいしいものを食べるときの「美味しそうな顔」の天才です。この世で一番美味しいものを食べているような顔をして食べます。

でも、高級な皿に乗っている2個のうち1個を食べるとさりげなく

「もう1個父ちゃん食べて」

と言います。私が

「いいよ、Hannaが食べなよ」

と言っても

「1個でいいの。他の食べたいで」 

などと言ってくれます。

まるで昭和の貧乏人ドラマのワンシーンのようなやりとり。。。

子どもに気を使わせてしまう自分の稼ぎの少なさや、ケチケチで普段生活していることに申し訳ない気持ちで涙が一粒。そして、こんなにも気遣いができて優しい子に育ってくれている娘に涙がふた粒こぼれそうになりました。

親が子どもに心配をかけるのはよくないことかもしれませんが、それよりも親が子どもに見栄を張って現実を知らずに育つ事の方が良くないことだと思います。むしろ親は子どものためにあえて恥をかくくらいでよいと思っています。 

美味しい寿司を食べて思わず、満面の笑みになる子どもらしさと、父を気遣い寿司を一つくれるおとなびた一面を持つ小学4年生。。。もう、たまらなく可愛くて愛おしい。

そして、そんな父娘の機微はお構いなしに、ただただ無邪気に大粒のいくらを頬ばりながら子供らしくはしゃぐ小学1年生も、たまらく可愛くて愛おしい。

こんな娘たちと、自分が働いているのに遊びに行かせてくれる妻と家族である自分がとてつもなく幸せであることを、改めて感じることができた今年のGW車中泊でした。