楽しそうな人の共通点

先日、岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」の授業で、学生たちのプレゼンを見ました。いろいろなゲスト講師(主に経営者)の人の話を聴いて、何を学び何を感じたのか。

これまで(3年?)の中で一番良くまとまっていたし、プレゼンも上手だったと言うのが全体の感想です。

私としても、他の人達がどんなことを話されているのかは、とても興味があり、とても参考になりました。その中で、かなり共通していることも多いと思いました。もちろん、話をした人たちは事前に打ち合わせをして言うことを決めていたわけではありません。

  • ポジティブシンキング
  • 幸せかどうかを決めるのは自分自身
  • とにかく挑戦をしてみよう

表現方法は多少違っても、これらについては、全員の共通意見だったと思います。成功している人、というか「楽しい人生を送っている人」「楽しそうに生きているように見える人」は、たぶん、ほとんどみんな上記の3つは共通している気がします。みんなとことん前向きな考え方をしています。だから何一つ失敗はありません。その時は失敗であっても、時間が経てば、すべてが「よい経験」になっているから。

出会いのチャンスを掴むかどうか

私は結構、友達の幅が広いと思います。

経済的な幅、学歴の幅、環境の幅などなど、いろいろな幅が広いです。高校を出ていない人から、東大を出た人とか博士とか教授とかまで。

50歳近いのにフリーターの人から、東証一部上場企業の社長(友達というのはおこがましいですが、ご飯を奢ってもらったりします)とか、世界中に不動産持ったりしている人(こちらも友達というのはおこがましいですが、大変お世話になっています)まで。

オーストラリアにいた頃も、ホームレスの人から、(自称)シドニーで一番大きな家に住む人まで、友達でした。

いろいろ状況や考え方は違いますが、私にとっては共通していることがあります。それは、

面白い人

私にとって、面白い人です。自分と違う考え方を教えてくれたり、自分と違う世界を知っていたり、とにかく話をしていて面白い人たちです。

オーストラリアのホームレスの人は、とてもポジティブな考え方を教えてくれたし、深夜にしか行けない釣りスポットを教えてくれたりしました。

この人面白い人だなぁと、興味を持つと、不思議と相手も自分に興味を持ってくれることが多くて、それで、仲良くなる事が多いです。

20代の若い人などから、どうやったらそんな人達と仲良くなれるのか、どうやったら人脈が出来るのか?などとよく聞かれますが、ポイントは以下の2つだと思っています。

  1. その人と話したときの感覚を信じる
  2. 相手に興味を持つ

自分より地位や年齢の上の人には、敬意を払う必要はありますが、極端にビビる必要もない。その人と接した時の自分の感じたフィーリングを信じれば良いと思います。気が合うのか合わないのか。

本の好きな子供に育てる?

うちの子供達は、ふたりともとても本が好きです。これは結構自慢です。

Hannaが生まれてから9年半、寝る前の読み聞かせは続けています。最近ではHannaは学校の図書館でシリーズ物の本を借りてきて、暇さえあれば読んでいますが、寝る前の絵本の読み聞かせは続けています。

一人目の子供は、親もよく分かっていないので、育児本などを見ながら、何ヶ月くらいになったらこんな本を読んであげようとか、こういう時期はこうやって本を読んであげようとか、試行錯誤しましたが、二人目になると、上の子がいるのでそんなことを言ってられなくなります。食べ物や生活スタイルも上の子と一緒にしないといけないことが多くなるので、良くも悪くも自由にさせてしまうことが多いです。

本についても同じで、次女のYouは、生まれた時からずっとお姉ちゃんと同じ本の読み聞かせを聞いてました。自分で本が選べるようになってからは、1日おきに交代で好きな本を選んで寝る前に読んでますが、逆に言えば1日おきにお姉ちゃんの好きな本を聞いていることになります。

だからなのか、二人目のほうが成長が早い気がします。

Hannaも年長組の時には、上手に本を読めるようになっていましたが、今のYouの本を読む上手さに比べたら比較になりません。Youが大好きな保育園の先生の真似をして、本を相手に向けて読み聞かせをする様子は、私よりずっと上手です(ちなみに私、平均的なお父さんよりは本を読むのは上手だと思います)。

さらに驚くのは、黙読です。字ばかりの本を結構な速度で黙読します。最初は、お姉ちゃんの姿を真似しているだけなのかと思っていましたが、内容を聞いてみると正しく理解しているので、ちゃんと読んでいます。

ものすごく気を使って本に触れさせていた一人目も、かなり放置気味の二人目も、結局どちらも(今のところ)本がとても好きです。

二人を見ていて、子供を本好きにさせるのに必要なのは、表面的なテクニックではなくて、親の適度な期待(思い)なのではないかと思います。

後悔しないための準備

昨日、試験の合格通知が届きました。

自信はありました。。。と、言うといつもの根拠のない自信かと思われるかもしれませんが、今回はそうではありません。

妻に受験勉強のテクニックを教えてもらい、それに従って愚直に勉強しまくりました。朝も早く起き、通勤途中や、ちょっとした空き時間も勉強し、休みの日や仕事の合間にも猛烈に勉強しました。

今の生活の中では、これ以上はできない限界まで時間と情熱をかけて勉強しました。

妻からは試験に関する分析結果に基づく根拠のある励ましを受け続け、自己効力感も高く保ち、体調も万全で当日の朝を迎えました。

今の私のできうる最高の条件で試験を迎えることができたので、もし、これで落ちたとしたら、自分には合格できない試験だということです。

これ以上は絶対無理、という努力をしたとしたら、どんな結果であっても後悔することはありません。

そして、試験では、論述のテーマは、ヤマがあたり、しっかり書けました。

限界いっぱいの努力、万全の体調、そして、最大の関門だった論述ではヤマがあたり、これで落ちたら、何をやっても絶対に受からない!!諦めるしか無い。

それが、自信満々で合格発表を待てた理由です。

もちろん、合格通知を見たときは、ホッとしたし嬉しかったです。

先月の岐阜大学の授業の時も聞かれた「どうしたら後悔しない人生を送れるでしょうか」というような質問は、大学生からよく聞かれます。

限界までの努力をするというのが、ひとつの答えだと思います。

伝えきれなかったことの補足

昨日、岐阜大学でお話をさせてもらいましたが、毎度のことながら、上手く伝えきれなかったことや、質問に対しての回答の補足をブログに書きます。この講義に来た学生が読んでくれていることを祈りつつ。

まず、1つだけ絶対に忘れないでおいて欲しいこと、と言った言葉について。講義の始まりと終わりの挨拶で繰り返しましたが、これだけはくどいですがもう一度書いておきます。

「そこへ行く道はたくさんある」

例えば、学校の先生になる場合、普通は大学の教育学部を出て、教員免許を取って、採用試験に受かるという道を行きます。でも、高校を出て一流企業に就職し、3年で退職しオーストラリアに渡って、いろんなアルバイトをして、夜中に水族館で釣りをして食料調達したりしながら、ライフセーバーの資格を取って生活し、その後起業して、日本に帰って来て、借金まみれになって、公募で採択されまくって借金を返したりするという道を通っても(正式な教員になっているわけではありませんが)学校で授業を行うこともできます。ちなみに私、中学校で3ヶ月間授業をやったこともありますし、単発では、大学、高校、中学校などの授業で話しをさせてもらっています。道はたくさんあるのです。もっと言えば道がなければ踏み固めて、道にすれば良いのです。

現在私は岐阜県の山奥に住んでいます(冗談ではなく本当に山奥です)。それがとても楽しくて嬉しくて幸せなのですが、そう思えるようになるまでには、長い年月がかかりました。横浜で3年半暮らし、シドニーで4年半暮らし、少しづつ、日本や岐阜県、故郷の素晴らしさを理解できるようになりました。長い年月と道程を経て今の考え方と価値観を得たのです。

「そこに行く道はたくさんある」のです。

私自身は、人生において大した成果を上げたわけではありません。でも、すべての選択を自分自身で行なって、自分自身で見つけた道を通ってきました。これについては自慢できます。


今回「決断して実行するのが怖くないですか?」という質問を受けました。同じような質問はいつも聞かれます。そして、いつも回答に困り一瞬絶句します。今回もイマイチちゃんと回答できませんでした。理由はそんな事考えたこともなかったから。一流企業を辞めてオーストラリアに行く、それに不安はなかったか?と聞かれ、今、改めて考えてみると確かに不安に思うべき状況なのかなとも思うけど、その時はそんなこと考えませんでした。一つの理由は当時の私はとてつもなく自信過剰で自惚れていたからです。「俺はこんな会社のいちサラリーマンで終わるような人間ではない」と思っていたので、その枠を取っ払うことができる「退職に」不安はほとんどなかった(と記憶してます)。

もう一つの理由は、飽き性なのでサラリーマンに飽きたのかもしれません。それよりも新しいワクワクすることがたくさん待っているオーストラリアに行けることの期待がイッパイで不安を上回っていたことだと思います。だから怖くはなかった。どちらも若者の特権です。

  • 根拠の無い自信
  • 無知故の希望的観測

 これに満ちあふれていたから、いろんなことに臆することなく挑戦できたのだと思います。これが、今時の若者(なのか真面目すぎる若者)には、かけているような気がします。ちょっとばかし勉強しすぎてたり、考えすぎているために、自信をなくしてしまったり、不安要素ばかり頭によぎったり・・・。それではいけないと思います。失うものなど何も無いのだから、根拠の無い自信をもって、挑戦してみたらいい。希望通りの結果にならなくても、それはそれで良い経験となるのだし。

私は、自信過剰すぎで、殆どの人を見下してバカにしていたので、友達もなく孤独ではありました。でも、お陰で自分の力で頑張るしかありませんでした。お陰でいろいろ力をつけることができました。

そんなひどい奴にも目をかけてくれる人がいて、とてもとてもありがた味を感じることができました。

何度も何度も窮地に立たされて、いろんな人に助けられました。そのうち、ひとりひとりの素晴らしい点に目を向けられるようになり、人に感謝できるようになりました。

私は人の言うことを聞かないし、人と違った道を通りたいと考えているので、誰かに言われても故郷の良さも、人の素晴らしさも理解出来ない(しようとしない)人間です。なので、それらを理解するためには、普通の人よりも長い脇道を通ってこないといけなかったのかもしれません。

いずれにしても、現在私はとても満足度の高い人生を送れているし、今の価値観を形成するには、これまでのすべての経験が必要だったのだから、何一つ後悔はしていません。

他にもあまり良い回答が出来なかった質問がありましたが、長くなってきたので次回また、続きを書きます。