計画された偶然理論:Planned Happenstance Theory

計画された偶然理論(Planned Happenstance Theory)は、スタンフォード大学 教育学・心理学教授のJ.D.クランボルツ(ほか2名)が提唱した理論です。

人生には、予測しなかった偶然の出来事が起こります。それは、良いこともあれば悪いこともあります。

この偶然の出来事が、大きな影響を与えることがあります。多くの成功者は、この偶然の出来事を上手く利用して、人生の質を深めています。

例えば、突然、勤めていた会社が倒産したとき、それを「新しい仕事を得るチャンス」と捉え、前向きに取り組むことで、その人は、そのままの会社にいたら得ることのできない知識や経験を積むことができます。

予期せぬ出来事をキャリアの機会と捉えることができるとき、その出来事を「プランド・ハプンスタンス」と呼びます。

予期せぬ出来事をプランド・ハプンスタンスに変えるには、次の5つのスキルが必要だとクルンボルツは言っています。

  • 好奇心:Curiosity
  • 持続性:Persistence
  • 柔軟性:Flexibility
  • 楽観性:Optimism
  • 冒険心:Risk-taking

これらのスキルを持って、様々な偶然の出来事を、全て意味のある出来事に変え、人生の質を高められたらいいなと思います。

我が家の奇跡

奇跡と言うほど大げさなことではありませんが、山の中の一軒家である我が家では、普通ではありえないことが起きます。

美しいところで言えば、ホタルが大量に舞ってます。いろいろ蛍の名所に観に行ったこともありますが、街灯がなくて近所に家がなくて、人が少ない、という点から我が家の前で見るホタルが一番良く見えると自負しています。足元が見えないほど暗いですから。

そんな山の中に暮らし始めて9年以上が経ち、大抵のことには慣れましたが、今年はじめて見つけた驚きの事実があります。

1.山鳥の巣が電気メーターの上にある


ツバメのように人家にすを作る鳥なら珍しく有りませんが、野鳥は珍しいです。逆に我が家にはツバメは来ません。燕も野鳥も、我が家は人家ではなく森の小屋だと思っているのでしょう。

2.井戸小屋の屋根に桐の木が育っている


桐の木ってよく知りませんが、山の中に普通に生えている木なのでしょうか?女の子が生まれたら庭に桐の木を植えて、結婚するときにタンスを作って持たせる、なんて話を昔はしていましたが、我が家はこの木で娘の嫁入り道具を作れるのか???
でも、いくらなんでも屋根の上では大きく育てないと思います。種が飛んできたのかどうかわかりませんが、なぜ、よりによって屋根の上に根付いてしまったのでしょうね。

10年前もそうでしたが、10年間で家の周りの木は、かなり育ちました。鬱蒼としてきました。どうしたものか思案中です。我が家が森と一体化してゆくのは、聞こえはよいですが、住み心地としてはかなり悪いです。日当たりは悪くなり、湿気が多くなり、いろいろなものがカビますし、家そのものが森の栄養になりつつあります(つまり、朽ち果ててゆく)。

木に囲まれているので、かなり涼しいし酸素も多いです。でも、家が倒壊しても困るし・・・。悩ましい問題です。

少なくとも今のところ子供たちは、この家を気に入っているようなので、それは嬉しいですけど、年頃になったら嫌がるかな。

目標設定&目標達成を繰り返す意味

今日、久しぶりに会った方に「痩せました?」と聞かれてしまいました。

最近、妻や子供にも「痩せた、痩せた」と言われています。

言われるほど痩せたわけではありませんが、体中の皮下脂肪はなくなったと思います。長時間座っていると、おしりが痛いのはおしりの脂肪がだいぶ減った証拠だと思います。

妻には「どうしたいの?」と聞かれますが、自分でもよくわかりません(笑)

ひとまず、体脂肪率を落としてみようと思って、そのとおり落ちた・・・目標を建てて実現する、ただそれだけなのかもしれません。

成功体験を繰り返すことで、自信がつきます。その為には、どんなことでもよいので、目標設定&目標達成をすることには意味があります。

社長の評価は結果のみで

一般的に、会社の役員を評価するときには結果を重視し、担当者を評価するときには過程を評価するとよいと言われています(もちろん部署にもよります)。

過度な成果主義を担当者レベルで採用すると目先の数字を追ってしまったり、他人の足を引っ張ったり、クレーム処理のような売上につながらないけど、会社にとっては重要な業務を疎かにされたりします。なので、担当者レベルでは過程や内容も評価する必要があります。

自分の所属部署全体や、会社全体が見えるようになってきたら、結果重視の評価の比率を高めていくのがよいです。

社長の評価は、会社がちゃんと儲かっているのかという結果だけをみて評価されます。どんなに頑張ったって、会社が赤字で給料も払えないような会社の社長は評価されません。

「今年は、儲からなかったけど、本当に一生懸命頑張ったから、借金の返済を猶予してあげます」なんて、銀行が言ってくれたらいいのですが、絶対にありません。

最終的には、自分があんまり頑張らなくても会社が儲かるような仕組みや組織を作って、自動的に良い結果が出続けるようにするのが多くの社長の目標です。

悔しさをバネに

昨日、3年ぶりに、なごやマスターズ水泳大会に出場しました。水泳の大会としては、昨年の岐阜県民スポーツ大会以来の大会です。

結果については、目標タイムを大幅に下回るとても残念なものでした。情け無いので書きたくないのですが、自分を奮い立たせる意味であえて書いておきます。カッコの中が一昨年に出したベストタイムで今回の目標タイムです。

50m自由形 28秒45(27秒81)

50mバタフライ 31秒01(29秒71)

タイムも残念ですが、さらに泳ぎの感覚的にもとても納得できない感じだったのが悔しいです。

年を取ってきているのだから当然なのかというと、そんなことは全く無く、同じ年代や、私より上の年代の人でも、どんどん進化してタイムを伸ばしている人がいます。そういう人たちと話をしていると、余計悔しくて残念です。

自分だけが取り残されている感が増大して不安になります。

絶対的に練習不足であることは否めませんが、それよりも良くなかったのが、練習に驕りがあったことです。水泳の練習にしても現役の大学生と一緒に泳いだりして、ついてゆけてることに過信していたというか、満足していました。

今回の試合でも意外といけるのではないか?と勝手に思っていましたが、結果は惨敗。前日の疲労や、朝の町内の活動での疲労など多少の影響はあると思いますが、結局はこれが現在の自分の実力なんだと思います。

学生の頃と違い、仕事もあるし、家庭もある中で、水泳に使える時間は限られています。それでも、まだまだ無駄にしている時間を探し集め水泳のために費やしたいと思います。

今回の悔しさを忘れないように、今回の記録証は常に目につくところに掲示して、これまで以上の強烈な練習ができるように頑張ります。そして、次の大会(今のところ8月末の県民大会の予定)では、笑顔で帰宅できるようにしたいと思います。