ズッコケそうになりましたが、全体的には期待以上でした(岐大生の私の話のまとめ)

今日、岐阜大学で「私らしいキャリア設計」の授業がありました。前回の授業では、我々ゲスト講師が話をしたのですが、それを受けて今回は学生たちが、グループ毎に発表をしました。

自分の話したことがどれくらい正確に学生たちに伝わっているのか、とても興味深く楽しみな授業でした。自分のことを、他の人が発表をするのを聞くのは生まれて初めての経験かもしれません。

内容については、思った以上に理解してもらえていて驚きました。

授業の最後の講評のときに、私は「誤解されていることが多くて驚いた」的なことを言ってしまい、授業後に私のことを発表した学生から「スミマセン。どこが違っていたでしょうか」的なことを言われたので、それに対するフォローをこのブログでしようと思います。

確かに大きな誤解があり、そのインパクトがとても大きかったのも事実です。それは「柴田さんは既にやりたいことを全てやってしまって、もうやりたいことはない」というようなことです。吉本新喜劇バリの勢いでズッコケそうになりました(笑)。

これについては全く逆で、やりたいことが多すぎて、ちゃんと優先度をつけて行うことに頭を悩ませています。

あまりに、その印象が強かったのでつい行ってしまったのですが、それ以外では考えてみると、かなりちゃんと伝わっていたと思います。多少解釈のズレはあっても、本質的なところが伝わっていたのはとても嬉しかったです。

学生からの質問の多くは「挑戦しなければいけないことは分かった。けど、一歩を踏み出す勇気がない。どうしたら一歩を踏み出せるのか」というようなものでした。

若者の特権は、身の程知らずでいていいことだと私は思います。私自身、身の程知らずで、自惚れていました。だから、本気でできると思っていたし、それで何も心配せず挑戦していました。

あと、何も考えず言われたことを全てYESで答えるというゲーム(?)をしていた時期もあります。経歴詐称しまくってオーストラリアで就職したときには、詐称しているので、なんでもできるとボスは思っているので、ドンドン難しい仕事を私に言いつけます。できないと嘘つきになってしまうし、詐称がばれるので、必死に頑張ります。そうしているうちに、経験を積み、実力もついてきます。だんだん身の程を知ってきて、虚構の自信はなくなってきます。その自信がなくなるペースよりも、本当の経験に伴う本当の自信を付けるペースが早ければ良いと思います。

この話が、ほぼ正しく理解してもらえていたのが嬉しかったです。

私が心配になるとき

私は、いろいろなことがうまくいっているときは、心配になります。逆にうまくいかなくて、苦しんでいるときは安心します。

昔からそうですが、近年ますますその傾向が強くなっています。

うまくいっているときは、何かそのうまくいっていることが、うまくいかなくなる事を恐れます。

うまくいっていないときは、いろいろ頑張っているうちに、必ずうまくいくと信じています。試行錯誤して、失敗を繰り返しているということは、成功する確率がドンドン上がっていっているということなので、ドンドン安心してゆきます。

恐らくこういう考え方は、人生を失敗しにくくすると、思います。うまくいっていないときは、経済的だったり物理的には苦しくても、精神的に幸福だし、うまくいっているときは、精神的にはちょっとブルー気味ですが、経済的、物理的には満たされていて、結局、どんなときも、そこそこ幸せを感じていられます。

子としてのやるべきことと、親としてのやるべきこと

先日、岐阜大学の「私らしいキャリア設計」の授業において、いろいろ学生さんから質問を受けました。

その中で、一瞬回答に詰まりそうになった質問がひとつありました。

「自分が今、大学を辞めたり、休学したりして海外に行くとしたら、親が反対をすると思うが、それを押し切ってでも、行っても良いのか?迷惑をかけても良いのか?」

というような主旨の質問です。

その質問の前に、私が「若いうちは貧乏になっても自分がお腹がすいたのを我慢すればよいだけなので、無理してでも貧乏したり、リスクの高そうなことでも挑戦しましょう」というような事を言ったのに対しての質問です。

結婚して子どもができてからは、自分のためだけに自分の時間を使うことができなくなります。大学生くらいから結婚するまでの期間というのは、自分の為に一番時間が使える時期です。その時期にどれくらい経験を積んで、頑張る癖をつけるかが、その後の人生を幸せにするかどうかの重要な要素となります。

でも、親にお金を出してもらって、大学に入り、通っている大学生が、親の反対を押し切ってでもやってよいことと、いけないことがあるというのも事実かもしれません。

そのようなことを頭の中で考えて、一瞬回答に戸惑いました。

しかし、結局のところ、親は子供の幸せを考えているわけで、幸せを考えた上で反対もしているのです。であれば、その時は反対されていても、最終的に子どもが幸せになっていれば、後からは許してもらえるのではないかと思います。

私自身、親の反対を押し切って、いろいろなことをしてきました。おかげで辛い経験などもしましたが、すべての経験が今の人生の糧になっているし、そうして迎えている現在は、常に幸せです。今後もずっと幸せでいられると思うし、そうして幸せな人生を送っているところを親にも見せ続けることが出来れば、それが親孝行なのではないかと自分に言い聞かせています。

そして、今、自分が親という立場にもなり、きっとこの先、子どもがなにか決断をするときに反対をすることもあると思います。もちろん、親として子供の幸せを考えて下す判断によって。

しかし、もし、その反対を押し切って、子どもがそれを行ったとしても、最後までその判断が正しかったと、子どもが思い続けていられるのであれば、子供の判断が正しかったのだと思ってやろうと思います。途中で、泣きを入れて「ゴメンナサイ、私が間違っていました」と言ってきたら、それはそれで、良い経験を積み、その後、正しい判断ができるようになったのだと、思ってやろうと思います。

いずれにしても、親に対しては、自分が幸せであることを示し続け、子供に対しては、子供の幸せを願い続けることが、私のやるべきことだと思っています。

その場で考える力

先週の岐阜大学での講義の後、提出されたアンケートの回答にこんな感じのことが書かれているものがありました。

急に言われても質問もできないので、予め準備するために課題などを教えておいて欲しい。

恐らくこの学生は、小さい頃からちゃんと授業の前に予習をしてきているのでしょう。問題も答えも教科書に書かれている、もしくは先生が知っている勉強では、そういう姿勢はとてもよいし、先生にも評価されます。

家で妻に話したら、世の中の大半の高校生はそうだと言われました。ちゃんと前日に予習をして来るものだと。予習できないと不安で授業が受けられないのだと。

私の場合は、チャイムが鳴り教室に先生が現れて「あっ、次は数学なんだ」と知って常に学校に置いてある教科書を出す高校生だったので、予習という言葉の意味すらよくわかっていませんでした。そのため、それなりの学業成績でしたが、逆に言うと(頭の)反射神経はとても鍛えられていたと思います。今でもプレゼンをするときは、事前に準備する発表本体よりも、その後の質疑応答の方が得意なのは、その頃からの訓練の賜物かもしれません(笑)。

いずれにしても、ちゃんと準備ができる課題や授業内容になってしまうのは(特に高校くらいまでは)、そうして生徒を学力で分類しないと学校制度が成り立たないので、しかたありません。

でも、世の中の大半は、正解は無いか、誰にもわからない問題であることが多いです。また、そもそも問題や課題そのものを見つけることからやらなければいけません。その場で課題に直面し最高の成果を出さねばいけないことも多々有ります。

今回授業を受けていた学生は大半が4月に入学してきたばかりの1年生でした。彼ら彼女らには、卒業までの4年間で少しでも、正解のない問題や、問題のない問題というものが、社会では多いことを理解して、その社会で生き抜くための力を身につけて欲しいと思います。

Hannaが9年間で最も質問したこと

今日で、長女Hannaが9歳になりました。

最近ではニュースなどを見ながら、難しい質問をします。なぜ戦争をするのかとか、放射能って何かとか。

できるだけ理解してもらえるように一生懸命答えます。

小学生の質問ってある意味大人の質問よりも回答が難しいです。でも、それが、私自身にとってもとてもよい勉強になります。

でも、Hannaから9年間で最も聞かれた質問は

「今日、父ちゃんと一緒に寝れる?」

です。大げさでなく2000回くらい聞かれていると思います。毎朝出勤前に聞かれ、寝る前には「明日は父ちゃんと寝れる?」と聞かれます。なぜ何度も聞くのかというと、何度も私が裏切っているからです。寝られるよと言っておいて、帰宅が遅くなる日があるからです。最近は、そういう事も含めて理解していますが、それでも凝りずに聞いてくれています。

本当に可愛くて愛おしい。

どうかこれからも健康で幸せな人生を送って欲しいと思います。