就職難の時代に卒業する学生が幸せである理由

私が社会人になった頃は、バブルの最後の頃でした。就職なんて言うものは、自分で好きな会社を選んで「行ってあげるよ」的な感じでした。

大学の周りには、企業の人事部の人やOB,OGたちが、待ちかまえていて、学生達を捕まえてはご飯をおごってあげたり、もっと良い店に連れて行ってもらえたりの接待があったそうです(それは私は知りません)。

とにかく、最近の学生の就職活動とは全く別の世界でした。

最近の学生達の就職活動は、本当に大変です。何十社も会社に受けても受からないなんてことは普通です。

もちろん、その就職活動の方法にも大きな問題があると思います。本当の会社のことをわかっていない学生が偉そうに「田舎の中小企業はいやだ」なんて思っていたり、そもそも中小企業の情報が伝わっていなかったり・・・。ただ、今回はその問題については置いておいて、単に就職しやすい時代と、就職が難しい時代で、どちらが幸せなのかを書きたいと思います。

たぶん、今就職活動をしている学生に聞けばほとんど、今ではなくて20年前に就職したかったと言うと思います。20年前に就職活動をしていた方が幸せだったと言うでしょう。

でも、本当は違うのです。

20年前に何の苦もなく就職した人たちは、ちゃんと選抜されたわけでもなく就職しています。本来その会社のレベルにない学生も週shくしています。バブルというおかしな時期に就職した世代だけ、その前後の世代とはレベルが違う場合があります。

しかも、その後バブルがはじけ、就職氷河期がやってきました。就職氷河期とは、企業が採用をしなかったり大幅に減らした時期です。つまり、バブル期に就職した人たちは、後輩がなかなか入ってこなかった人たちです。入ってきても少ない。その少ない後輩達は、厳しい就職活動を勝ち抜いて就職できた人たちです。優秀です。頑張ります。

バブル期に入社した人たちは、なかなか後輩が入ってこなくてずっと下っ端でいて、やっと後輩が入ってこれば、厳しい競争を勝ち抜いた強者で、大変苦労をすることになるのです。

もちろん、全てがこんな感じとは言いませんが似たようなケースは少なくありません。

就職活動に限らず、苦労して得たものにはそれなりの価値があります。たとえ同じものでも簡単に手に入れた人と、苦労して手に入れた人では、そのものの価値は全く違います。宝くじが当たって手に入れた100万円と、自分で必死に働いて貯めた100万円では、全く価値が違います。

「内定」でも同じです。苦労して得られたものにはそれだけの価値があるのです。

それで、最初の質問に戻りますと、簡単に内定がもらえて就職できた時代は良かったのでしょうか?

そのときは瞬間的に楽ができて良かったかもしれませんが、その後、会社に入って10年後、20年後に苦労をしなければいけないのです。

今、苦労して就職する人たちは、頑張って苦労して就職することで「社会の厳しさを知る」ことができるのです。頑張って成果を出す大きな成功体験ができます。長い人生で見たら、とても良い条件だと思います。

一見、悪い条件に見えることでも、見方を変えるだけでとてもよい条件にみえるものです。要は本人の受け止め方次第です。

いま就職活動中の学生のみなさん、就職難で苦労するということは、必ず身になり、将来の役に立ちます。不採用が続くときは、ドンドン人間が鍛えられていると思って、喜びましょう。 

Hannaの宿題で

Hannaの学校の宿題で、生まれた時から今日までのことを親に聞いてくるというものが出ました。

そのレポートと一緒に、生まれた時からの写真や思い出の品を持って行きます。

Hannaに突然聞かれて、思い出したのは、生まれる前の切迫早産、切迫流産の危機、16時間の分娩、耳鼻科通い、夜泣き・・・など、大変だったことばかりの話になってしまいます。

改めて、写真を引っ張り出してきて、それを見ながら思い出しました。Hannaは1歳になる直前から保育園に通い始め3年間、私が送り迎えしていました。毎日往復1時間半くらい、喋ったり、歌ったりしながら懐かしい思い出です。

妹のYouが生まれた直後には、二人でオーストラリアに行ってきました。この経験は私の人生の中でもかなり大きな思い出です。半分仕事だったので、役所やお店やオフィスなどに行ってましたが、最終日に「今日で最後だから好きなところに連れて行ってあげる。どこに行きたい?」と聞いたらHannaに「ホテルで父ちゃんと遊んでたい」と言われちょっとショックでした(笑)

妻が毎年仕事のゴールデンウィークには、4年前から毎年、3人で富士山に行くようになりました。子供たちは行き先よりも何よりも車中泊を楽しみにしています。私としては子供たちも大きくなってきたので、3人で軽自動車で寝るのはかなり辛いので、安ホテルにでも泊まりたいのですが、今年もリクエストは、「行き先」ではなく「車でお泊り」だそうです。

などなど、いろいろ写真を見ながら考えてみれば、やっぱり「あっという間に8歳になってしまったなぁ」と思います。そんなに後悔することはないのですが、それでも、その時々に自分に余裕がなくてちょっと辛い思いをさせてしまったかもしれないと思うこともあります。

可能であれば、1歳の頃、2歳の頃、3歳の頃など、それぞれの時のHannaにもう一度会って、話をしたいです。そして、お礼が言いたい、

本当に生まれてきてくれてありがとう。

無事に育ってくれていてありがとう。 

人の言うことを聞く

前回のブログ記事で、ちょっと誤解を招いた感もあるので、ちょっと補足的なことを書きたいと思います。

 

私はいろいろな人を尊敬しているし、いろいろなアドバイスを頂くことはありがたいと思っているし、良いと思ったことは取り入れて実行するようにしています。

 

昔からそうだったかというとそうではなく、20代の頃は人の言うことは聞かなかったし、どちらかというとアドバイスを受けるとその逆のことをしていいました。例えば、「今は景気が悪いから起業しない方がいい」とか「起業するにしてもいろいろな会社で働いて勉強してノウハウや人脈を得てからの方がいい」と言うようなアドバイスをもらっても、全く聞き入れませんでした。

 

そのおかげで、苦しい思いもしましたが、苦しさを乗り越えることで大きく成長できました。

 

他人のアドバイスを聞くべきかどうか、というのは一概に言えることではありません。

※この場合の「聞く」というのは言われたことを実行すると言う意味で使っています。

 

考え方としては、若いうちは聞かなくて良いが、年を取るにつれて聞いた方が良いと思います。

 

若いうちは、ある程度自分で勝手に決めて、実行し、それで反感を買って、失敗してもよいからです。どちらかというと、そうして失敗してそれを乗り越えたときに得られるものが大きいし、いろいろな意味でやり直しがしやすいから。

 

逆に年を取ってくると、あまりアドバイスをもらう機会も減るし、若い頃に比べれば正しい判断がしやすくなるので、アドバイスを聞き入れる確率は必然的に高くなると思います。

 

具体的な適正年齢は人によって違いますが、30歳くらいまではあえて失敗する道を選ぶくらいでも良いと思うので、あまり聞かなくてもよいと思います。キツイですけどね「ほらみたことか」と言われまくるので。

 

私自身、特に意識をして他人のアドバイスを聞くようになった訳ではなく、何となく自然とアドバイスの有り難みを感じるようになってきて、聞き入れる割合が高くなってきています。

60歳くらいになったら、素直に自分の子供達や若い世代の人たちの言うことを聞けるようになりたいと思っています。

 

・・・で、最初に戻りますが、私はアドバイスをして欲しくないわけではないし、アドバイスをもらえればちゃんと熟慮します。その上で実行しないことはあっても、アドバイスをもらえること自体はとても感謝しています。

ただ、「お前は不幸だから(私の言うとおりの)幸せな人生を送れ」的なアドバイスは拒絶するし、そう言う話をされると居心地が悪いです。というのが前回の記事の主旨です。

 

私の好きな人、そうでない人

いろいろ考える事の多い週末でした。別に悩んでいるわけではありませんが、先週いろいろな人と、たくさん話ができて、いろいろ考える機会があったということです。

その中で、自分が心地の良い時間と、心地の悪い時間があり、その原因や理由を考えてみました。

一言で言えば、自分が好きな人と一緒にいるときは心地良く、好きでない人と一緒にいるのは居心地の悪い時間になります。

では、どんな人が好きで、どんな人が好きでないのかと考えてみると、これが奥深くなかなか、結論まで達せずに、長く考えることになりました。

自分が好きだな、この人は友達と呼べるな、と思う人を思い浮かべて、カテゴライズしてみても、表面的なスペック(年齢、性別、職業、年収、社会的地位など)は、バラバラです。

その人達の共通点は、自分の生き方というのものを持っていて、頑張っている人たちです。別にそれが収入を得るための行動とは限らないので、収入の多い人も少ない人も混ざっています。年齢の高い人も低い人も混ざっています。

それぞれが、自分の「楽しい人生」を持っていて、それを行っている人です。

私も、世の中の多くの人とは大分ずれた人生を送っており、それがとても楽しいです。

でも、さらにさらに考えを進めてみると、それだけではないその人達の共通点があります。それは、その

「自分の人生観を他人に押し付けない」 

ところです。

 私にとって、最も不快なのは他人の人生観を押し付けられることです。それがどんなに正しいことであっても、押し付けられると拒絶します。ルールを破ることはいけないことですが、人生観はルールではありません。

私も、大学生の前などで自分の人生観を話すことがあります。そして、共感してもらえると嬉しいです。でも、それを強要する気はまったくありません。

人生観を共感できる人同士で、仲良く楽しいお話ができることは嬉しいですが、それを望まない人に、無理やり参加させることはしたくないし、してほしくないのです。

よくよく考えると、20歳ころからの私のいろいろな大きな決断や行動の理由は、全てこれに基づいている気がします。 

結論

私に取って心地良い人たちは、いろいろな人生観をもって、それぞれの生き方をしている人たちで、その生き方はバラバラです。ものすごくビジネスで成功している人もいれば、経済活動以外で頑張っていてすごく貧乏な人もいます。共通点は、その生き方に誇りを持っており、かつ、それを他人に強要しないことです。

・・・ということに2日かかってたどり着きました。 

大雪で大混乱の電車移動

今日は、だいぶ前から予定されていた福井出張でした。

前日天気予報で大雪だと言われていたので、いつもより早く起き、雪かきをして、いつもより早く家を出て、いつもより早い電車に乗りました。

名古屋までは順調に来られたのですが、そこからが大混乱でした。

岐阜駅構内で貨物列車の故障によって東海道線が全て止まり、いつ、動くかわからない特急しらさぎ号を酷寒のホームで待ちました。1時間半くらい待ったところで、乗ろうと思っていたしらさぎ号が運休になり、新幹線に乗り米原まで行きました。

米原で、1時間半くらい待って、米原発のしらさぎに乗って福井に向かいました。

・・・と、文章にするとこれだけなのですが、実際はとてつもなく寒くて苦しい待ち時間でした。

しかも、その間に、払い戻しや指定券の取り直しなど、現在手元にある切符やJRの領収書や、払い戻し券などは、9枚!!

特急券の払い戻しは時間がなかったので、明日、帰りに駅で行います。 

みなさん、それぞれの事情があって、イライラしていました。私もお客さんに迷惑をかけてしまうので、困っていましたが、目の前にいるJRの職員にしても、なんともならない状況なので、八つ当たりして不満を吐き出すよりも、冷静に少しでも良い状況になるように考えました。

おかげで、店もベンチも何も無い米原駅では、新幹線の待合室で待つことができ、米原から大混雑だったしらさき号も指定席をもらって座ってこれました。

どんな状況においても、冷静に、その状況での最善の解を探すことはとても重要だと改めて感じた一日でした。