快挙!持久走5位

先日、Hannaの学校で持久走大会がありました。

Hannaは絵を書いたり工作をしたりするのが得意で、どちらかというと運動が得意ではありませんでした。去年まで運動会でも走る系の競技は好きではない感じでした。

特に選手リレーでは、同学年に女の子が二人しかいないので、必然的に選手に選ばれ、もう一人の子が運動が得意なので、保育園の頃から「負ける前提で」どれだけ差が大きくならないかを悩んでいました。

しかし、このところ結構足が速くなってきました。今年の運動会では、リードして受け取ったバトンを、差を縮められずに、どちらかというと差を広げて、 次の選手に渡すことができました。

少しずつ走ることで自信をつけてきたHannaが挑む持久走大会。結果は1,2年生男女込みで5位(女子では1位)!!。 

夜遅く帰宅したら、私の作業机の上に記録証が置いてありました。

去年までのよたよた走っていたHannaのイメージが強いのですが、今年の運動会で(バカ親的には)さっそうと走っていたことを思い出し、どんなことを考えながら苦しい時間を走り続けたのか思うと、涙が出ます。 

私は小学生の頃、足が速いということが最大の自慢でした。特に長距離は得意で持久走大会では常に1位でした。たとえ勉強ができなくても、何かで一番になれるとそれが自信となり、自信を持って取り組むことで、いろいろなことがうまくいきます。Hannaにもそんな体験をして欲しいです。

家では(というか妻曰く私の前では)甘えん坊なHannaですが、ちゃんと成長しているし、一生懸命頑張っています。そんなことを考えると、また、涙が出ます。

子どもが頑張っているのは、何よりも親の励みになります。

自分も子としても親としても頑張らねばと思います。 

私にとっての極上の瞬間

それで充分かどうかはともかくとして、たぶん私は平均的なお父さんよりも子供とかかわることが好きで、実際多くの時間を子供と過ごしてきました。

好きだから別に「一生懸命やってます」感は無いし、ゴルフ好きな人がゴルフに毎週行ったり、お姉さん好きな人が夜の街に通ったりするのと同じです。

たまたま私はゴルフや夜の街より、子供とかかわるのが好きだったというだけです。2歳のHannaと二人だけでオーストラリアに行ったり、毎年ゴールデンウィークは、(妻は仕事なので)娘二人と旅行しているのも、義務とか正義感とかではなく、自分の欲求を満たしているだけです。

あくまでもそれ自体が楽しくてやっているのですが、でも、子供の場合はとてつもなく大きな見返りがあります。笑顔だったり、父ちゃんの取り合いのケンカだったり・・・。

男親の子育てへの関わり方については、いろいろな意見があると思います。ある上場企業の社長は、男は働いている背中を魅せることが最も重要な子育てだと言っていました。週に1回じっくり子供達と将来について話していて、その話の中で子供の教育もできるというようなことを言っていました。

確かに、ある程度大きくなった子供に対しては、それで十分かもしれません。それ以上べたべたするのは子離れできない親なのかもしれません。

でも、小学校低学年までの子供達は、スキンシップや安心感というものを求めていて、それがあって初めて、勉強にも集中できます。だから、小学校低学年のうちから勉強部屋で勉強させるのはよくないと言われています。

・・・なんて、何か教育論ぽっくなってしまいましたが、そんな難しいことを考えながら子供と接しているわけでなく、子供と接している時間は本能の赴くままに遊んでいるだけです。

そして、それが私の極上の時間につながります。

私にとって極上の瞬間は夜中に、夢を見て子供が泣いて起きた瞬間に「父ちゃ〜ん」と私を呼ぶときです。半分寝ぼけながら呼ぶ相手が「父ちゃん」って・・・最高にうれしいです。

無意識に父ちゃんを呼び、父ちゃんを見つけて必死にしがみつかれると、この世の全ての苦しみ、悲しみ、怒りなどが消え去ります。悟りを開いた高僧のような心境になります。

仕事残っていても、一端子供と一緒に布団に入り、寝かしつけて(自分も1時間くらい寝てしまって)必死に布団から出て、仕事の続きをしたり、深夜まで仕事をしてやっと布団に入り、寝入りばなに「父ちゃん、おしっこ出ちゃった〜」と言われて、着替えさせて布団のシーツを剥がして布団を干したりしたこと全てが苦労でなくなります。

こんな喜びを母親に独占させておくのはホント勿体無いと思います。ぜひ多くのお父さんにも味わって欲しいです。

家の周りがボコボコに掘られています

今日、木の選定など家の手入れをしました。その際に発見した家の周りの不思議な穴。

何度もYouが落ちておしりをドロまみれにし、長靴の中にも土が入りまくって靴下もドロドロになった穴。かなりきれいに掘られています。

しかも、写真では分かりにくかもしれませんが、かなり深い。それが、4つほどあり、ひとつは石垣の石がむき出しになるほど掘られていました。

まさか、5歳児でも乗り越えられる柵しかないので、某国の工作員が我が家に侵入するために掘った穴ということはないし、山芋を掘った人であれば、多少なりとも埋め戻す(さすがに我が家の目の前なので)と思います。

そんな推測をするまでもなく、犯人は間違いなくイノシシです。最近家の近くの道路脇も、ものすごく大きな穴が何箇所もあり、夜中に帰宅中に、その穴に頭をいれているイノシシを何度か目撃しています。

しかし、改めて穴を間近で見ると、イノシシの鼻の力というか頭の力ってスゴイと思います。こんな勢いで掘られまくったら、いつか柵を倒して家の敷地内に侵入しそうです。しかも、侵入して家の周りを掘られたら家が傾きそうです。

真剣に対策を考えないといけなくなってきました。 

桃栗三年柿八年・・・庭の木々がボウボウになってます

桃栗三年柿八年・・・と言いますが、8年もすると柿ですら実をつけるほど育ちます。

 

現在のこの家に引っ越してきて8年半になります。

家も傷むし、家の周りの木々も伸びまくってます。毎日見ていると気づきにくいのですが、数年に一度しか来ない人には

「この木、だいぶ育ったねぇ」

とか言われ、そう言われればそうだなぁと思います。ときどき、屋根に掛かってしまっている枝は切ったりしてましたが、近年はかなりボウボウに枝が伸びまくってしまっていて、本格的に剪定をしなければいけない状態になってきました。

 

我が家の敷地(および敷地の周辺)には、山桜の木と、紅葉の木があり、春と秋にとてもよい風景を作ってくれます。

我が家の風景には無くてはならない木々ですが、ちょっと自由奔放に伸びすぎたので、整えます。

 

家の木も、家の周りの木々も、秋が深まると怒濤の落葉をはじめます。放っておくと庭は数センチの落葉で埋め尽くされます。

 

この時期は、落ち葉の片付けが結構な負担になります。ただ、この大変な落ち葉集めの最後の段階は、焼きいもです。自分で焼くからか、外で寒い中食べるからか、とにかく庭の落ち葉焼きいもは最高においしいです。

 

落葉の話ではありますが、落ちのない話ですみません(笑)

自信満々の極意(2)

昨日の続きです。

何事も自信満々で取り組むと良いのですが、問題はどのようにしたら自信満々になれるのかということです。 

自信をつけるには何よりも経験です。経験を積めば積むほど自信がつきます。 

そう言うと、卵が先か鶏が先か的な問題になります。自信がないから挑戦できない→挑戦しないから経験が積めない→自信がつかない・・・。

経験もないのに自信を持つ方法は、無知!無考!

やったことないことに挑戦できるチャンスをもらえたら、深く考えないでやってみることです。考えれば考えるほど不安が増えますが、考えなければ不安は広がりません。

実際に私が二十代の前半で実行していたことです。挑戦するチャンスが出てきたり、誰かに何かを誘われたら「はい」としか言わないと決めてました。

だからバイトも興味の有無や、できそうかどうかとか、儲かるかどうかとか、そんなことを考えずにとにかくやりました。そのすべてが今の自分の自信につながっています。

どんなに忙しくても遊びに誘われれば行きました。変なところに住んだり、釣りをしてはいけないところで釣りをしたり、(自称)シドニーで一番大きな家に住んでいる人と遊んだり、ホームレスっぽい人と遊んだり、変なフィルタを掛けずにどんなことでも受け入れて挑戦すると、いろいろな経験をつむことができて、多く自信をつけることができます。

深く考えるのは年をとって体が動かなくなってからでよいです。若いうちは考えないで即実行!

もちろん、法律を犯したり、他人に迷惑を掛けるようなことはしてはいけませんよ。

 でも「若い頃は無理してでも貧乏になってお金じゃなくて知恵で解決する癖をつけろ」と言ったじゃないかと思った人は、ちゃんと私の話を聞いていた人です。素晴らしい。

この「考えるな」と「考えろ」は矛盾しないのです。そのことはまた今度書きます。

または、会ったときに聞いてください。