救急指定病院へ行きました

夜中に、Hannaが耳が痛いと泣き出しました。

夕方から様子がおかしかったのですが、日曜日なので、なんとか明日までがまんしてもらって、月曜日に病院に行こうと思っていました。

最近、Hannaは自分が耳が痛いと言うと、耳鼻科に連れて行かれて痛いこと(鼓膜切開)されると知っていて、相当痛くなるまで我慢したり、耳鼻科の先生に聞かれても「もう痛くないです」とか答えるので、危険なのです。

たぶん、夕方には結構痛かったのだと思いますが、我慢していたのでしょう。それが、夜になって、どうにも我慢できない痛みになったのだと思います。泣き方が尋常でないので、市(?)の救急医療センターに電話して指定病院を教えてもらって、連れて行きました。

いつもの通り(?)中耳炎だと言われ、抗生剤をもらってきました。

薬を飲んでも、しばらくは泣いていましたが、どうにか1時頃には寝付きました。

実は私、本日締切(厳密には明日の朝顧客の担当者が出勤するまで)の仕事があって、「今晩は夜遅くまでがんばろう」と思っていたのですが、こういう日に限って、こういうことが起きるものです。

下の子(You)が生まれてから、(親が、そうし向けたせいもあって)Hannaは特に「父ちゃん大好き」になり、病気になったりすると「父ちゃん、父ちゃん、父ちゃんだっこ!」とぐずります。病院に連れて行き、しばらく本を読んでやり、寝付くまで添い寝・・・あやうく自分も寝そうになり(と言うか、ちょっと寝ました)ながらも、どうにか起きて、仕事をしました。なんとか完了しましたが、もう、朝になってしまいました。薬が効いたのかHannaは、隣で爆睡しています。まずは一安心。

病気の娘が、ぎゃぁぎゃぁ大声で泣きながら「父ちゃん、父ちゃん」と呼ぶのは、ちょっとうれしいです。去年までは、どんなに仲良しでも、病気になるとお母さんでないとダメだったのに・・・。

夜泣きのYouに授乳をしてる妻に見送られ、夜中に病院に連れて行くなんて、いかにも夫婦で「子育てしてます」という感じでした。

生活発表会、うちの子が一番でした

今日は、Hannaの保育園の生活発表会でした。保育園3年目のHannaですが、これまでの2年間は生活発表会には出ませんでした。0歳や1歳ではなにもできないでしょうから・・・。

2歳児のクラス(Hannaは3歳になっていますが)で、初めての出演です。本人以上に、親たちの気合いは十分、妻の実家から祖父母が来、もちろん私の親&妹(Hannaの叔母)、Youと私と妻が、見に行きました。つまり、一人の園児に観客8人!カメラ3台、ビデオ1台、ケータイ(カメラ)3台!

応援団の数は間違いなく「うちの子が一番だった」でしょう。

Hannaの出番は1番最初です(演技する組の中では一番年少なので)。

Hannaは最初から登場して、みんなを呼ぶ係、役は「カメ」です。たぶん今まで浴びたことのない大量の視線を浴びながら、ステージにいました。

保育園に通い始めた頃は、まだ歩けなかったHannaが、今では歌を歌って、踊って、セリフをしゃべっているだけで、一番最初に場所取りして、一番前の席にいた私は号泣です。

できばえは、もちろん、うちの子が一番。

演技が終わって、観客席入れ替え(出番の組の親が優先的に前に座れる為)で、出口では、それぞれの親が、それぞれ「うちの子が一番だった」と言いながら、出て行くのでした。
演技のうまさはいろいろな評価があるでしょうが、父ちゃんが流した涙の量は、間違いなく「うちの子が一番」でした。

妻に叱られる娘を見ながら考える

子供が自分と同じ行動パターンを取るのは、遺伝なのでしょうか?それとも、そういう行動をする親を見て覚えているのでしょうか。おそらく両方だと思うのですが、Hannaが最近自分にそっくりな行動を取るのが、うれしくて悲しいです。

私は、昔から興味があるものがあると、直ぐにそちらに意識が行って、これまでやっていたことを止めてしまう癖(?)があります。Hannaも全く同じ行動をします。

ダイニングテーブルで、仕事をしながら、隣の部屋での、妻とHannaの会話を聞きながらつくづく思いました。Hannaのおもちゃで、かなり散らかった部屋に、妻の堪忍袋の緒が切れ、Hannaがしぶしぶ片づけ始めました。ところが、片づけている途中で、自分の興味のある何かおもしろいものを見つけると、それで遊び始め、また妻に叱られ(自分が片づけている最中であったことを思い出し)、またしぶしぶ片づけはじめる・・・ところが、直ぐに別のおもしろいものを見つけて遊び出し、また叱られる・・・延々とそれを繰り返しているのです。吉本新喜劇のコントのようです。

「何度言ったらわかるの?」

半ばあきれながら叱っている妻は、全く理解不能という感じなのですが、私にはよくわかります。
どんなに叱られていても、興味のあるものが目の前に現れると、すべての意識がそちらに向いてしまうことを。
そして、それは、30年以上、親や学校の先生、そして、妻に叱られても、治らないことも。

叱られているHannaを見ながら、心の中で私はHannaに謝るのでした

「ごめん、君が叱られているのは、父ちゃんの遺伝子のせいだ」

雪です

昨日から雪が断続的に降っています。

今朝はどうにか道路は凍結していなかったけど、明日は確実に凍結してそうです。

明日は午前中自宅にて仕事をするかもしれません。
自宅は携帯電話の圏外なので、私に連絡したい人がいましたら、メールでご連絡ください。

ちなみに、私は、かなり高解像度なノートPC+VPNおよび、WEBを使ったグループウェアなどを駆使して普段から作業をしており、ブロードバンドでインターネットに接続さえできれば、世界中どこにいても、事務所にいるのとほぼ同じ環境で作業ができます。自宅も一応ブロードバンドです。

会社にいないと電話などで作業が中断されない分、(自分のやりたい)作業は、はかどります。・・・が、私の本来すべき仕事は電話応対だったりするので、会社にいかないといけません。

【本の感想】八重子のハミング(陽 信孝)

人との関わり、愛情、精神、人間の根幹についてなど、いろいろ考えさせられた本でした。かなりの勢いで泣きながら読みました。

「八重子のハミング」

自分がガンとわかると同時に、妻がアルツハイマー病を発病し、闘病および介護の日々を綴った本です。途中に詠まれている短歌もたまらなく悲しいです。

「小尿を 流しし床を 拭くわれの 後ろで歌う 妻に涙す」

自分が誰かをわかってもらえず、ついさっきのことも覚えていられない妻に、たたかれ、髪を引っ張られ、叫ばれながら、「ごめん、ごめん」とあやまりながら、下の世話をする・・・。
人間はどこまで人を愛せるのかという問いに、作者は、「怒りには限りがあるが、愛は無限にあふれ出すものだ」と言っております。
読んでいる途中で、妻の顔を見たり、思い浮かべながら、自分はどこまで妻を愛せるのか、考えることもしばしば・・・。

アルツハイマー病というのが、人間の精神を奪ってしまう恐ろしい病気であることを、この本で初めて実感できた気がします。
過去の記憶はもちろん、今日、一緒に行った場所についても覚えていないというのは、本当に辛く悲しいことだと思います。私がそれに耐えられるのかわかりません。それまで一緒に歩んだ人生を一緒に振り返ることもできず、一緒に新しい思い出を作ることもできず、瞬間瞬間を少しでも楽しく過ごせるように、謝り、なだめて、笑顔で接することが本当に私にできるだろうか。

もし、妻がアルツハイマー病にかかり、精神寿命がつきる直前まで、最後に認識できる人が私だろうか?最後まで、呼んでくれる名前は私なのだろうか? また、逆に私が病んだとき・・・・恐ろしい。

老後は妻と、古いアルバムを見ながら、昔の思い出を語り合えることが本当に幸せなことなのだと、心から思います。