メールの書き方

最近では、メールは仕事だけでなくプライベートでも必須のコミュニケーションツールになっています。

 

私も毎日何十通かのメールを書いて、受け取っています。たくさんメールをやりとりしているので、困ったメールに出会うこともそれなりにあります。

困ったメールとは、別に文章が下手とかいう話ではありません(意味が通じないほど下手なのは問題ですが、今回はそれ以前の問題です)。

 

一番困るのは、誰宛に誰から送られているのかが分かりにくいメールです。特に多いのは、誰から送られてきているの科が分からないメール。

  1. メールソフトの送信者名を正しく設定する
  2. シグネチャなどでちゃんと名前やメールアドレスなどが書かれている
  3. 文中に「株式会社○○の□□です」などと書かれている

3つの内どれかが実施されていれば問題ないのですが、どれもないと、メールアドレス以外何もわかりません。

 

こういうメールを送ってくる人は大きく分けて2つのグループがあります。

  1. ケータイメールを主に使っている若者
  2. メールをどうにか使い始めた人

ケータイ電話の場合、基本的にメールはアドレス帳に登録されている人とのみやりとりします。登録済みの人からのメールは、携帯電話は自動的に電話帳に書かれている名前を表示します。なので、普段からメールには自分が誰かを書かなくても、相手は分かるものだと思っていて、特に文中に自分を名乗ることもありません。

 

2のグループも、結局は相手がどのように受け取っているのかを正しく想像できないから、相手は自分から送られてきたメールだと簡単に認識できていると思っている・・・というか、そういう問題があることを認識していない場合が多いでしょう。

 

先日とても困ったメールには

先ほどはお電話で失礼しました。詳細資料を送ってください。

また疑問が出たら質問させていただきます。よろしくお願いします。

と、だけ書かれていました。何ともなりません。特に1日に何回も問い合わせメールがあるときなど、どの電話で何について話したときの資料が欲しいのかを書いてもらわないとどの資料を送ったらよいのか分かりません。せめて名前だけでも分かれば想像できるのですが、そう言う人に限って、フリーメールで、名前とは関係ないメールアドレスがつけられていたりします。

 

学生さんからのメールの場合、大学名や学部を教えて欲しいと言っているわけではありません。ただ、せめて返事を書くときに、呼びかける苗字だけでも書いてあれば良いです。「○○さん、メールありがとう・・・」というように。そうでないと、「aaa@bbb.com さんメールありがとう」としか書きようがなく、何か書きたくなくなります。

 

最低限のメールの送り方については、小学校で教えて欲しいです。本当は家庭で教えることなのかもしれませんが、メールの場合、親たちが正しく知らないこともあります。世の中に電話が普及し始めた頃、電話の出かたは、誰がどうやって教えたんでしょうかね。

特に自分で名乗ることを。

 

主夫業

このところ、週末は主夫業に勤しんでおります。

朝、妻を送り出し、子供を起こして朝食を食べさせ、掃除洗濯などの家事をこなします。

あまり根を詰めてやりすぎると飽きるので、家事は適当に済ませて遊びに出かけてしまいますが、それでも、妻には褒められます。

 

夕食は毎回カレーですが、子供たちと一緒にドタバタに作って食べ、一緒に風呂に入ってくつろいでいると、妻が帰宅。ビールを飲みながら

「世の中のお父さんって、仕事して帰ってきてビール飲んで寝るだけで、なんてラクなの。ホントありがたいわ。」

なんて言います。

私にしても、子供と一日中遊んで、そこそこ楽しいのに妻から「ありがとう」と言われてとても気持ちがよいです。

 

もちろん、これが毎日続いたら、それぞれの役割においての、いやなことや苦しいことも出てくるでしょうが、たまに夫婦で役割を交換するのはものすごくよいことだと思います。お互いへの感謝の気持ちが高まります。

 

そして、世の中の奥さんのほとんどが求めている感謝の言葉がどんなにうれしいかがよく分かります。ほんの一言、言ってもらえるだけで、それがとてもうれしくて、やる気を倍増させます。

 

みなさん、奥さんに「ありがとう」と言いましょう。・・・もちろん、これは自戒の言葉です(笑)。

美濃焼について議論をする前の前提条件

来年開催される国際陶磁器フェスティバル美濃というイベントの産業振興部会が昨日開かれました。

 

その中身については、私が勝手に公開して良いのかわかりませんので、伏せておきますが、私がかなりショックを受けたことについて書きたいと思います。

 

焼き物関係者と、それ以外の人たちとで全く議論がかみ合わないことがありました。それは、飲食店を経営されている方から、

 

美濃焼は業務用で使いにくい。食洗機に使えないし、重い・・・

 

というような意見が出て、それに対して、賛同するような意見もあったのですが、焼き物関係者は、ポカンとしてます。

 

私はとてもショックを受けました。地元の人でも、業界に関わっていない人は、ここまで美濃焼について知らないということに。

 

恐らく、意見を出した方や多くの一般の方は、美濃焼=志野や織部など伝統工芸としての美濃焼と考えています。それは間違いではありません。

 

しかし、この会議は「産業振興部会」、地場産業である美濃焼を振興するためのことを考える場です。

地場産業としての美濃焼というのは、伝統工芸としての美濃焼とは全く違います以前のブログにも書きましたが、日本一の生産量を誇り、どんなモノでも安く作れるのが美濃焼です。

 

「普通の飲食店では美濃焼は使えないから使っていない」 なんてあり得ません。今でも焼き物のシェアの50%以上は美濃で作られています。日本中の飲食店では美濃焼の器を使っています。強化磁器や、洋食器なども、もちろん美濃焼です。なのに、そういう意見が出て、事務局の人たちも「そうなんだ」的な反応をしていることが、実は産業としての美濃焼の置かれている位置とか問題を如実に表しています。

 

美濃焼をよくするためにどうしたらよいのかを考えるためには、まず、最初に美濃焼の定義をしっかりと確認し、少なくとも関係者が美濃焼とは何かをちゃんと理解する必要があります。

 

改めて、書きますが、美濃焼というのは、日本中にある安い茶碗です。良くも悪くも特徴がない(どんなモノでも作ります)。

日本最大の生産量、そして、どんなモノでも作れる技術を持っているのがこの地方の焼き物産業です。

 

地場産業としての美濃焼というのは、形や色や材質で定義できるモノではなく、生産体制や技術の集合している様をもって定義できるモノなのです。

 

そういうことが、全く理解されていないことが、美濃焼の最大の問題で、それを理解してもらうように啓蒙やPRができてこなかったのが、美濃焼産業に関わっている人たちの問題だと思います。

 

 


【関連記事】

iPadが到着しました!

本日、日本でiPadが発売開始されました。発売時の様子はいろいろなニュースでも報じられました

予約していた人には、本日宅配便で到着することになっていました。それは多治見のような地方都市でも同じです。

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到着しました。思った以上に薄いです。でも、剛性は十分。

想像以上に小さいし、薄い。これなら持ち運びも苦にならないな。

ワイヤレスキーボードもカッコイイ。

ワイヤレスキーボードもかっこイイし

とても良さそうです。

 

 

でも、残念ながら私のモノではありません・・・

ちょうど、マルイ不動産小原さんと打合せ中に、小原さんが予約したiPadが到着したので、触らせてもらって、写真を撮らせてもらっただけでした(笑)。私が買うかどうかは、秘密です。そのうちブログで買う理由または買わない理由をご紹介します。

 

それにしても、今日はマルイ不動産で、とてもうれしいモノをたくさんもらいました。

  1. 仕事
  2. 発売日にiPadを触るチャンス
  3. おいしいロールケーキ
  4. 河辺よしろうさんの著書「社長さん! 税理士の言うとおりにしていたら、会社つぶれますよ!

1以外は、すべてちょうどいいタイミングに私がいたから、もらってしまいました。

4の本は、私も何度かセミナーを聞いた河辺さんの先日発売されたばかりの著書で、amazon総合ランキングで1位になった本です。この本もiPadと一緒にちょうど小原さんの所に配達されたものです。iPadをPCと同期している待ち時間に少し読ませてもらうと、とても読みやすくて勉強になりそうで、会社に戻ったらすぐに注文しようと思っていたら、

「読んだ方がいいぞ。あげるから読め」

と、言われて遠慮せずもらってしまいました。

 

いろいろ、もらった一日でした。

ご恩返しの意味も込めて、仕事の方は目一杯がんばります。小原さんありがとうございました。

贅沢なのか

昨日、実家でスイカをもらって食べました。

とてもおいしくて、私はたくさん食べたのですが、娘達はひと切れずつで「もういらない」と言います。

遠慮しなくていいよと言っても、いらないと言います。おいしくないのかと思って聞くと、おいしいと言います。でも食べない。 

 

子供の頃の記憶として、大抵の子は、皮には赤い部分がほとんど無くなるくらいまで食べていた気がします。

あと、私の印象として、スイカを食べたいだけ食べたのは大人になってからで、子供の頃はいつも「もっと欲しいなぁ」と思っているところで、「もうダメ」と言われていた気もします。

 

なのに、うちの子供たちは、皮に赤い部分を残し(と言っても5mmくらいですが)、まだ、切ったスイカが残っているのに、もういらないと言います。

 

これって、贅沢になっているのか、それとも、ただ、うちの子供たちがスイカがあまり好きでないだけなのか・・・。

妻もあまりスイカは好きではないので、私は、お腹いっぱいスイカが食べられ、子供の頃の夢を毎日のようにかなえています。