初めてできた瞬間に立ち会う喜び

子どもが小さかった頃は、初めてつかまり立ちした、歩いた、喋ったなど、何かができるようになった瞬間に、大きく感動してました。親たちが大騒ぎして喜ぶものだから、子どもは更に頑張る・・・ということになっていたと思います。
でも、最近、そこまで子どもに対して喜びを感じたり、表現したりしてないのではないかと不安になります。
初めて漢字を書いたとか、九九を言えるようになったとか、学校でできるようになったことを、聞いて感動し、褒めてはいますが、目の前で起きたことでないためか、心の高揚感が違います。

でも、先週の日曜日、久しぶりに妻を呼びに走ってゆくほど高揚しました。下の娘が、縄跳びの、うしろあやとびができないと言うので、一緒に練習してました。姉や私がいろいろアドバイスしますが、結局の所、自分の体の感覚でわからないとできないので、何度も何度も失敗し続けていました。もう寒くなってきたので、家に戻ろうか、と思い始めた頃、突然、飛べました。

その瞬間の子どもの笑顔は、最高です。 

見ていた僕も、久々に感動し、家に居る妻に走って報告しに行きました。忘れていたこの感じ、本当に久しぶりです。 

毎日毎日、子どもたちは新しいことができるようになっているのだから、それを喜ぶ感覚は、忘れないようにしたいと思います。 

第2回南知多アクアスロン大会

9月23日、第2回南知多アクアスロン大会に出場しました。アクアスロンというのは、海を泳いでから走る競技です。トライアスロンから自転車を抜いた競技という方がわかりやすいでしょうか。

これまでプールでの水泳を一生懸命練習してきましたが、一昨年からオープンウォーター(海)での水泳大会にも出場するようになり、海で泳ぐ楽しさを知ってしまいました。また、同じく一昨年からランニングにも目覚め、ハーフマラソンの大会にも出場するようになり、ランニングの楽しさも知ってしまいました。

プールでの水泳は、距離はもちろん正確ですし、水温やその他の条件も統一されているので、違う大会でも同じ種目なら比較することができます。

しかし、オープンウォーターの水泳は、プールでの水泳と違って毎回条件が大きく変わります。距離もそんなに正確では無いし、天候、潮流など様々な条件が重なるので、タイムを比べてもあまり意味が無く、その大会ごとの勝負になります。

マラソンも同じで、コースや天候によってタイムは変わってくるので、タイムよりもその時の順位によって自分のレベルや状態を評価できます。

野球や柔道など、相手のある競技であることが、オープンウォータースイム、ロードでのランニングレースの最大の楽しさです。そんなものに目覚めてしまいました。

そして、その二つの競技を同時に行うアクアスロンというレースがあるのです。

知っている人にしてみたら、何を今更ってことでしょうが、私は今年の夏にそれを知り、今回初めて出場しました。

もともと水泳は長距離が得意ですし、走るのも長距離は結構速いほうだと思います。自分の力を一番発揮できるのがアクアスロンかもしれません。

でも、これまでアクアスロンのレースを知らなかったわけですから、どんな風に行われるのか全く分からず、不安もいっぱいでした。泳ぎ終わった後、どうやってランに移るのか、そもそも何を着て泳いで、何を着て走るのか、トライアスロンの選手に聞いたり、YouTubeで動画を見たりして勉強しました。

本格的にやろうと思うと、いろいろ専用のグッズなどもそろえるのですが、今回は初出場ですし、あまりお金はかけず、あるものを使ってやることにしました。

水泳は、普通の水着のみを着て泳ぎ、泳ぎ終わったら、靴を履いて、いつものランニング用Tシャツを着て走る。

最大の不安は、ランの練習量。今年の春に出場したハーフマラソンで痛めた右足踵が、半年経っても治らず、ランニング練習はほとんどできていません。やっと、ここ1ヶ月くらいは30分程度のジョグができるようになったのですが、本格的な練習とはほど遠いです。

そんなわけで、今回はあまり気負わず、水着も練習用、靴も練習用のものにして、スイムもランも、とにかく前半は抑えて、後半余裕があったら少しだけ頑張るというつもりで挑みました。

それでも、妻と娘達も応援に来てくれることになり、年齢別での優勝と、あわよくば、総合優勝もできないかなぁ・・・などと、密かな思いは持っていました。

結果は、年齢別(40代)優勝だけでなく、
現役大学生選手なども含めた総合順位でも優勝できました!

レースの詳細については、興味の無い人も多いと思うので、後ろにつけておきます。興味のある方、時間のあるときに読んでください(^_^)

初めてのアクアスロンであること、踵の怪我が完治してないこと、ランニングの練習がほとんどできていないこと、などがあり、無理せず精神的に余裕をもったままレース運びができたのが最大の勝因だったと思います。

優勝インタビューでは、うれしさと興奮で、かなり酷いしゃべりだったそうです。「そうです」というのは私自身はほとんど何を喋ったのか記憶は無く、後で妻にだめ出しされました(笑)

今年の夏の最後の思い出として最高の思い出ができました。子どもたちにも妻にもいいところを見せられました(^_^)

子どもたちは、私のレースよりも、(今年はもう行けないと言われていた)海水浴にまた行けて、高波注意報が出るほどの激しい波の海で思い切り遊べたことの方が嬉しかったようですが・・・。


【以下、レース詳細】(自分の今後のレースのための備忘録です)

天候は晴れ、波は高めだけどとても良いコンディション。泳ぐときと走るときに身につける別々の電子チップの話など、とにかく初めてで不安なので、大会本部の説明を一生懸命聞き、周りの人たちにもいろいろ教えてもらいながら、準備完了。

泳力に自信のある人は前列中央から、それ以外の人は両端や後ろの方からスタートする旨の説明があり、一応前列中央付近へ移動しましたが、あえて最前列には行かず、とにかく、ゆっくりスタートするように何度も何度も心の中で呟きながらカウントダウンを聞きます。

そしてスタート!

遠浅の海なので、慣れた人たちはドルフィンスルーで進みますが、下手にやったことないことに挑戦せず、走れるだけ走って泳ぎ始めました。できるだけ人にぶつからないように、かつ、ペースを乱さないように、進路を探りながらゲートブイまでたどり着く頃には、進路には人はいなくなりました。遙か前に、一人泳いでいるのが見えたので、2位のポジションについたことが分かりました。

1位の選手は、かなり速く、ドンドン差が広がっているのがわかりました。第一ブイを越え、第二ブイに向かい始めたとき、1位との差は50mくらいに広がりました。これだけ広がると、無理に追いかけようという邪心がなくなるので、安心して自分のペースで泳ぎ続けることができます。3位との差も少しずつ増えていたので、一人で黙々と次のブイを目指して泳ぎました。

第二ブイが近づいてきたとき、あれだけ離れていた1位の選手が、ちょっと近づいてきていることに気づきました。でも、まだまだとても追いつけそうな距離ではないし、ラストスパートをするほどゴールが近いわけでもないので、そこでも必死に自分に、ペース維持、ペース維持と言い聞かせて、心拍数を上げ過ぎないように気をつけながら、第二ブイを回りました。あとは、ゲートブイを通ってスイムのゴールです。

その日は、高波注意報が発令されており、波が高く、後ろの選手の位置がイマイチつかめません。それでも、直ぐ近くには誰もいないことは分かったし、もし、近くにいたとしてもペースを崩さない精神的余裕がありました。

無理せず、でも、少しずつピッチを上げてゲートブイを目指して泳いでゆくと、あれだけ離れていた1位の選手に、だいぶ近づいてきているのが分かりました。そして、高波に合わせてちょっとボディーサーフィンしてみました。ちょっと加速しました。もう一度、波に合わせて加速してみたらちょっと波に乗れて、だいぶ加速しました。

おお?!これいいじゃない!調子に乗って、波に乗って、ゲートブイを越えたあたりでは1位の選手との差は15mくらいまで近づきました。

その後は、浅瀬に入り1位の選手がドルフィンスルーで加速し、普通に泳ぐ私との差が少し開いて、スイムのゴール。

砂浜を走りながら、ゴールぐるとキャップを取り、計測ゲートをくぐったときの1位との差は15秒。

人生初のトランジット。

私がトランジットエリアに入った直後に、1位の選手は走り始めてました。

でも、あせらず、普段同じプールで練習をしているトライアスロンの国体岐阜県代表の星野君に教えてもらったとおり、バスタオルの上に立って、ささっと足を拭いてそのまま靴を履きました。でも、ひもは普通のひもなので、ちょっと手こずりながら結び、ゼッケンベルトを着け、電子チップを腕にはめ、Tシャツを着ようとしたのですが、背中がぬれててなかなか着られない・・・。

背中を出したまま帽子をかぶって、取りあえず走り始め、給水所で紙コップを二つ取り、飲みました。

そのころに3位の選手がトランジットエリアに入ってきました。

Tシャツを直し、ゼッケンベルトを整え、やっと落ち着いて前を見ることができたときには、1位の選手は100m以上前を走っていました。でも、ランもスイム同様、とにかく最初にペースを上げすぎないことだけを考え、前の選手を気にせず、まずは走りました。

脚は思ったよりも軽く、ラクだったのですが、疲労がないわけがないので、段差やコース変更はいつも以上に気を使って走りました。

約1km地点の最初の折り返しの時、前の選手との距離がスタート時よりも詰まっていることを確認しました。そして、後ろの選手が、だいぶ離れていることも確認できました。でも、心乱さず、あせらず、無理せず、ペースを維持。

心が乱れ、ペースが乱れるので、できるだけ前の選手を見ないように、戻ってくると妻と子どもが、ゴールゲート近くにいるのが見えました。子どもたちがまだ気づいていないようだったので、思わず手を振りながら「おーい」と呼んでました! 結構、余裕があることが自分でも分かりました。子どもたちの前を笑顔で通り抜け、二度目の給水をし、最後の周回に入りました。もう、1位の選手とは10mくらいしか離れていません。明らかに自分の方が速いのもわかりました。直ぐに追いつきましたが、道幅が狭いし、周回遅れの選手も多くいたので、直ぐに抜かさずに、ちょっとついて行って、道幅が広がったところで、抜きました。

そこで初めて、少しだけ意識的にペースを上げて走りました。

最後の折り返し地点で、1位だった選手との差がだいぶ付いていたのは確認できたのですが、周回遅れの選手がたくさんいるので、その後ろから追い上げているだろうランが得意な選手が、もしかして既に2位に上がって迫っているのではないかと不安はありました。

さすがに残り1kmは、脚の疲労もたまってくるし、苦しくなってきましたが、ペースを落とさず走りました。まもなくゴールというところで、子どもたちが応援してくれているのですが、さすがにもう声を出す元気はなく、ちょっと手を挙げて声援に応えるのが精一杯でした。

そして、そのまま1位でゴール!

結果として2位に30秒以上差をつけてのゴールでした。

7,000日目!

本日、2013年9月11日は、私がジーアップという屋号で仕事を始めてちょうど7,000日目(1,000週目)にあたります。
 
先日9月5日が、日本で会社を設立して17年目だったのですが、創業はそれより2年ほど前になります。
 
1994年7月14日 オーストラリアのシドニーで、G-UP COMPUTERというビジネスネーム(屋号)登録したのが創業の日です。
それから1,000週間「ジーアップの柴田俊」として生きてきたことになります。
 
話は少し変わりますが、私が今覚えている一番古い記憶(日付が特定できるもの)は、保育園の年中組のときの運動会の朝です。
熱を出して1週間ほど保育園を休んでいました。熱も下がりほぼ回復したので、せっかくの運動会だからと、親が連れて行くことを決定し、それを運動会の日の朝告げられました。でも、私が休んだ最後の1週間で、全員が運動会の練習を繰り返し、段取りをよく分かっているはずです。そこに、段取りも知らず練習もできていない状態の自分が、入るなんて絶対に嫌でした。
それで、泣き叫んで猛烈に抵抗しました。でも、結局、無理矢理保育園の先生に引き渡されたのでした。その時の記憶が人生の最初の記憶です。
 
この人生最初の記憶、アルバムで確認したら1975年の10月6日でした。その日から今日まで 13,855日。
記憶があるのが13,855日、ジーアップを始めて7,000日。つまり、私の記憶の中の半分は「ジーアップの柴田俊」です。
何となく周囲の勧めでビジネス登録をすることにし、数時間だけ考えて決めた名前「ジーアップ」が、こんなにも長く使い続ける名前になるとは7,000日前の私は全く思っていませんでした。ジーアップ(G-UP)って、どういう意味ですか?とよく聞かれますが、せっかく7,000日間秘密にしてきたので、あと3,000日秘密にします(笑)
もし、10,000日目を迎えることができたなら、その時に発表したいと思います。
ちなみに、10,000日目は、2021年11月28日(月)です。Googleカレンダーに予定を入れておきました(笑)

子育て劇場第二幕開演

子育てはいつが一番大変なのかという問いには、いろいろな見解があると思います。

時間的にもっとも拘束され、自分の時間が持てないと言う意味では、乳幼児期が一番大変です。まだしゃべれなかったり、上手に感情を表現できないし、食事やお風呂、トイレなど全てにおいて手伝ってあげなければいけません。


そこを上手にこなせば、小学校に入る頃には、親子の信頼関係がガッツリ形成され、自分のことが自分でできるようになるにつれ、子育ての負担が減り、親が自分の時間も確保できるようになります。


ところが、子どもが小学校高学年くらいになってきて、思春期に入ってくるとまた新たな難しさ(子育ての楽しみ)が始まります。

一人の人間として自立するための心理的葛藤期とも言えるこの時期は、それまで素直に従っていたことに従わなくなったり、自分流の考えを持つようになります。

その子どもの変化に気づかずに、それまでと同じように接しようとしていると、うまくゆかなくなります。


この思春期は、子育て劇場第二幕の始まりです。全ての責任と面倒を見てあげなければいけなかった子どもから、一人の別の大人の人間に変化する最大の見せ場のあるステージです。

子どもが大きく変化しようとしている時期なので、当然、それに合わせて親も変化しなければいけないのですが、往々にして親はそれに気づかず、戸惑います。ベストな接し方は、日々変化してゆきます。常に手探りで少しずつ、進んでゆかなければいけません。


うちの上の娘も、間違いなくこの思春期に突入しました。私がそれに気づかず、これまで通りの距離感を持って、これまで通りの接し方をしてきて、たまに厳しい反応が返ってくるようになってきました。

妻に最近娘が厳しいと相談したら「だから男は鈍いと言われるんだ」と失笑されました。娘の心理的変化に対応した対応をしないと嫌われるよと言われ、ショックでした。新たなステージに入ったという観点から、娘の様々な行動を見てみると、すべて腑に落ちます。これまで通り、無邪気に学校での楽しかったことを話してくれるときもあれば、大人の不条理な理屈を押しつけられて反発するときもあります。


乳幼児の頃の子どもは、ハイハイしたり、しゃべり出したり、歩いたり、1ヶ月単位で大きく変化してゆきます。ところが、小学校に入ると、親が慣れてしまってその成長に気づかないだけかもしれませんが、乳幼児期ほどの急激な変化が少なくなるように感じます。

それが中学生くらいになって、また、急激な変化をするようになって、久しぶりの子どもの急激な変化に親が戸惑うのでしょう。


思春期の娘と父親というのは、最も難しい関係なのかもしれません。一方で、娘にとってこの時期というのは人間形成において、最後で最大の重要時期でもあり、その時期の父親の役割というのも大きいと思います。

適度な距離感を保ちながら、でも、価値観形成に関わってゆく、とっても困難だけど、やりがいがあって、楽しみでワクワクする場面です。


私と娘ダブル主演の「父と娘の成長日記」第二幕がいよいよ開演しました。台本もなく全てアドリブですが、30年後に娘が「最高だった」と言ってくれるような舞台としたいと思います。



思春期前の娘を持つお父さん達に伝言です。思春期の娘と共演するためには、乳幼児期からの関わりがとても大切です。第一幕を経験せずに、突然第二幕に出演するのは無茶苦茶大変です。

私がこんな困難な舞台に楽しく上がれるのは、娘との揺るぎない信頼関係ができている自信と、20年以上前、同じ舞台で娘役を演じた経験のある脚本家(妻)が舞台袖に付いてくれるからです。

最高の舞台に備えて今から妻や子の信頼関係を築きましょう。

恵那峡ハーフマラソン2013

1年ぶり2回目のハーフマラソン挑戦です。
昨年と同じアップダウンの激しいコースの「恵那峡ハーフマラソン」です。
今年は、妻と娘達も競技場まで来てくれて応援してもらいました。
去年はレースの2ヶ月くらい前からチョロチョロと練習しただけでしたが、その時の苦しみをバネに、今年は1年間ランニング練習を続けました。
何度も20km以上を走り、強度の高い練習も繰り返し、最後まで走りきる自信は付きました。
しかし、最後の1週間で右足踵を痛めてしまうという失敗をしてしまい、不安を抱えてのスタートでした。
昨年は、初挑戦と言うことで水泳の先輩(で、ハーフマラソンもめちゃ早い)伊藤さんのアドバイスに従い
  1. 速そうな顔してスタートライン付近に並ぶ
  2. スタート直後にダッシュして、団子に巻き込まれないようにする
  3. そのまま根性で走りきる
を実施しました。今年もその作戦です。ただし、今年は昨年より大幅に参加者数が増え、私も含む一般参加選手の前に並ぶ陸連登録者も何十人かいて、スタート位置は若干後ろになり、また、遅い陸連登録選手に阻まれて、ちょっと団子に巻き込まれた感はあります。
それでも、最初の5kmの上り坂は去年より余裕を持って登り切れました。去年はまったく時計を見る余裕がなかったのですが、今年は1kmごとに時計を見て、目標ラップ(4"05′)との差を見ながら走れました。しかし、まだまだ脚力に自信がないのと、アップダウンが激しいコースなので、ラップタイムと疲労が比例しないこともあり、タイムは見るだけでタイムを見てペースを変えることはあえてしませんでした。
去年よりは、マシとは言え、やっぱり猛烈に苦しい。。。
苦しくて苦しくて、逃げ出したい。。。
右足踵の痛みはドンドン増す。
ランニング好き、もしくは、ド変態以外の方には、なぜそこまでして走るのか理解できないと思います。
沿道の声援にも励まされ、どうにかゴールすることができました。
タイムは去年より約1分速い「1時間28分30秒(ネット1時間28分25秒)」でした!
でも、大会参加者のレベルアップはそれ以上だったようで、40歳以上の部の順位は去年の19位から25位に落ちました。。。
去年より速く走れたのは大満足です。
来月挑戦するぎふ清流ハーフマラソンは平坦なコースなので、1時間26分くらいを目標にしたいと思います。
自分が好きなことができるのは、家族の理解があってのこと。その喜びを大いに感じ、家族に感謝!感謝!感謝!の気持ちを改めて大きくしました。
そして、来年に向けてさらなるレベルアップのための練習をしたいと思います。