育児は育自

結婚する前、一人暮らしをしていた頃は、朝は時間が無くて、朝食も食べず、洗濯などは数日に1回夜行い、それでも遅刻しそうになって慌ててました。夜も時間が無いのと面倒なのとで、風呂ではなくシャワーにしたり、いつも「時間が無い!」と思っていました。
それから10年。結婚をし、妻に育てられ家事ができるようになり、子どもが生まれ、子どもたちの世話をしながら自分の準備ができるようになりました。

昨晩から妻と子どもが実家に行っていて不在なので、プチ独身復帰
昨日は出張で帰宅は10時半過ぎ。食事は済ませてきていましたが、その他の家事を済ませ、少し疲れていたので、筋トレは懸垂10回×3だけして、、風呂をため、のんびり入浴、余裕を持って12時前に布団に入り、少し読書をして就寝。

今朝、ちょっと寝坊して5時15分起床。
55分走って、洗濯、膝のアイシング、ストレッチ、洗濯物を干し、食事、食事の片付け、風呂掃除などなど済ませ、余裕を持って出勤。

最近は子どもたちも自分のことは自分でやりますが、それでも共通の家事が少しずつ増えます。洗濯物も子どもの分があれば、洗濯するのも干すのもたたむのも時間がかかるし、食事の準備も片付けも・・・。ひとりだけだと、時間があるある。
こんなに時間があったのかと驚きました。
独身の頃「時間が無い!」と思っていましたが、それはただの怠慢でした。
これを独身の頃に気づけば、今頃僕はすごい人になっていたでしょう(笑)
でも、それは子育てをする中で、時間のやりくりを、上手にできるようになったから分かることができたんだと思います。

育児は育自!
子どもだけでなく、ちゃんと自分も成長していることが実感できた半日でした。

タイガーマスク基金 募金対応型自販機設置&特別勉強会

3月8日に、ジーアップに自販機を設置しました。

この自販機で飲み物を購入すると、売り上げの一部が児童養護施設で暮らす子どもと、巣立つ子どもの支援に充てられる募金対応型自販機です。

この自販機の仕組みを作ったのは、東京にあるNPO法人タイガーマスク基金です。タイガーマスク基金の代表理事は、NPO法人ファザーリング・ジャパンの創設者でもある安藤哲也さんです。ファザーリング・ジャパンはイクメンという言葉を世の中に知らしめ、日本の父親のあり方について大きな転換を始めるきっかけを作ったNPOです。私もその会員としてセミナーなどをさせていただいております。

父親が、自分の子どもの成長に寄り添い、関わることはとても大切なことで、今後もその活動はしてゆきますが、さらにその先には「自分の子どもだけが幸せ、と言う社会はありえ無い」、子どもたちみんなが幸せになれるように、という考えにつながります。

その考えに共感し、私として何ができるのかを考えていたところ、自販機を設置できる場所を募集されることを聞き、直ぐに連絡しました。その後、NPOや飲料メーカー、タイガーマスクの著作権保有者などとの調整・事務手続を経て、やっと3月8日に設置することになりました。

それが、タイガーマスク基金自販機の第1号ということで、わざわざ東京からタイガーマスク基金の代表理事である安藤さんが来て下さることになり、それならせっかくなので、ということで、講師をしていただき勉強会をすることにしました。

準備期間が短かったのですが、児童養護施設入所者の支援というテーマに、多治見市を始め多くの団体に後援をしていただき、予想を超えるたくさんの方に集まっていただきました。改めてこのテーマの重要性やそれを感じている人の多さを認識しました。 

勉強会では、安藤さんから、保護者の無い児童、被虐待児童などに対しての公的な養護を行う日本の制度や、それら施設の実情や、児童虐待の実情についてお話しいただきました。

テーマの奥にある社会的な問題は、とても複雑で簡単な解決方法があるものではありません。でも、だからといって何もせずにいるわけにはいかないと思います。とにかく一人一人が自分のできることを考えて行動することが重要だと思います。

勉強会終了後に、早速自販機で飲み物を購入いただいたり、マスクをご購入いただいたり、寄付をいただいたり、たくさんの方にたくさんの支援をいただきました。本当にありがとうございました。

私は、お金もないし権力もありません、でも、自販機を設置する場所はある。何人かの方に勉強会に参加してもらえるようにお願いすることはできる。それが言葉通り微力な活動であることは認識しています。でも、たとえ微力であってもみんなが少しずつできることを実行することで、もしかすると大きな力になるかもしれません。

そんなことを想像しながら生きてゆくのはとても楽しいです。

これからも、自分に何ができるのかを考えて、実行してゆきたいと思います。

最後に、今回、お忙しい中、へんぴな場所にわざわざお集まりいただいたたくさんの方に、改めてお礼を申し上げたいと思います。大変ありがとうございました。 

格差社会は悪ではない・・・と思います

格差社会というのが、悪い意味で使われていますが、僕自身はそんなに悪いことではないと思っています。社会が活性化して発展してゆくためには、知能指数が高くて努力を続ける才能のある人が、地位や権力をや収入を高めてゆける仕組みが必要だと思います。

自分の周りを見ても、すごく稼いでいる社長さんたちは、すごく頭もいいし、勉強しているし、何より努力をしています。それも尋常でないほど。

その人たちが贅沢な暮らしをすることに違和感はありません。同時に、自分にはそんなことはできないなとも思ってます。寝る間を惜しんで仕事をしたり、勉強したり、つらいことでも頑張り続ける・・・。

だから、自分の年収がその人たちの10分の1であっても、当然だと思います。

もともと、知能指数が高くて、さらに尋常じゃないほど、考えて考えて、努力をしまくるエリートの人たちには、それなりの贅沢や、多少の悪いことをしてもよいので、日本社会をよくするために頑張りまくってもらえばよいと思います。

一方で、私も含めた凡人は、エリートを妬むのではなく、その人なりの幸せを見つける能力を身につけ、不要なコンプレックスを持つわけでもなく、幸せを感じて生きてゆくべきだと思います。

ちなみに、エリートの人たちは「我々はこんなに、考えて努力しまくって頑張り続けているのに、大多数の人は、努力もせず文句ばかり言っている」と言われます。でも、これは間違いだと思います。先のことを考えたり、努力を継続できるのは、才能です。

身長2mの人が、身長160cmの人に「なぜ、君は天井に手が届かないのか?怠けるな。」と言っているようなものです。 

エジソンが「天才は、1%のひらめきと99%の努力」と言ったそうですが、凡人には何年も寝食を惜しんで努力を継続することはできません。努力が継続できるというのは、持って生まれた才能です。

エリートは、努力が継続できることを、自分の特殊な才能だと認識し、その恩恵で自分が成功者としていられのだと認識して欲しいです。

また、凡人は、努力が継続できないことを悲観する必要はないですが、努力が継続できないからエリートとは成果が違うことを許容し、それでも、自分のいる場所で、幸せになることを考えるべきだと思います。 

最後の最後

私は、普通の人よりプレッシャーを感じたり、緊張したり、悩んだりすることが少ないと思います。最近は特にそうです。

 その理由は、

成るようにしかならない

と思っているからです。重要な交渉でもプレゼンでも、上手にできるかどうかは練習やそれまでの人生で培ってきたものによってきまるので、当日その場では必要以上には緊張しません。そして、もう一つ

成るようになる

と思っているからです。重要な交渉でもプレゼンでも上手にできない可能性はあるけれど、そうであっても、本当に熱意と努力を注ぎ込んでいればきっと上手くいくし、もし、その交渉がだめで骨折り損になっても、いつか神様はきっと棚からぼたもちを落としてくれると思います。


自分にとって何が1番怖いことなのか、何を1番避けたいか、最後の最後まで守りたいものは何か、それが明確にすれば悩みはほとんどなくなると思います。

僕の場合、それは「家族」です。最後の最後、家族の信頼や愛情さえ残るのであれば、あとは捨てられます。家族にさえ信じてもらえているのであれば、難しい交渉に行ったり、謂れ無きことで叱られたり、晒し者にされたり、恥をかかされたとしても耐えられます。

他人に高い評価をしてもらえるのは嬉しいけれど、他人からの評価ばかり気にしていると、プレッシャーを感じたり、悩んだりしなければいけません。最後の最後、世界中のすべての人が低い評価をしたとしても、家族から高く評価してもらえていればそれでいい。耐えられます。

先日も妻には

「よく呑気に寝られるねぇ。私なら直ぐ胃に穴が開くわ」

と褒められましたが、そうやって妻に褒めてもらってから、地獄の釜にに飛び込んで、無事生還しました(笑) 

正解や完璧がないこと

先日、ラジオを聞いていたら、NHKのアナウンサーが「スポーツ実況に満点は無い」というようなことを言っていました。

同じ競技を見ながら実況するにしても、どこに焦点を当てるのか、沢山しゃべるのか、あまりしゃべらないのかなど、様々な要因が組み合わさっているので、完璧ということはないということです。

オリンピック中継などでは、会場内の空気感などによっても、伝えるべきものは変わるし、競技者自身の気持ちによっても、伝えるべきものは違うのだそうです。

子育てや人生も、満点もないことかもしれません。

子どもにとって何がよいのか、誰にもわかりません。お金に不自由せず大学では勉学に集中できるのがよいのか、親があまりお金を持っていなくて、アルバイトをたくさんして苦労をして大学を出る子と、どちらがよいでしょうか?

学業成績は、前者の方がよくなるかもしれません。後者はお金のありがたみや、社会の厳しさを知り、たくましく人生を歩けるようになるかもしれません。

一流企業に入社できるのは、学業成績がよい人でしょうか?様々な経験をした人でしょうか?

どちらもあり得ます。学業成績がよくて得をすることも沢山あります。お金に不自由しなくて得をすることも沢山あります。

でも、学業成績が悪くても得をすることもあります。でも、たとえば学業成績がよい子だけが、学校の先生になったとしたら、「勉強ができない子、苦手な子」の気持ちが心から理解できるでしょうか?

どんなことにも、よい点と悪い点が一緒についてきます。受け止める人や、その人の状態によってどちらがよいかが決まる場合もあるし、それでもどちらがよいのかわからないこともあります。

どんな親も、子の幸せを願っているはずです。 

そのために何をするのか?

お金を十分に稼いで十分に与えるのか?

失敗ばかりしてお金にも苦労して、働きながら大学を出てもらうのか?

正解や完璧な答えはありません。

僕自身は子どもたちに「楽しそうに生きている姿を見せる」ことだけはしてゆきたいと思っています。どんな状況であっても「人生は楽しい」それだけは一生かけて子どもらに伝えたいです。それが伝われば「後は自分でがんばってね」です。