ゴッドハンド

先日、近所の初えびす祭り(?)で、娘がやってくれました!

1回しか引けないクジでしたが、いつもと違いHannaが「Youの方が運がいいから」と譲り、Youが引いたクジがなんと

1等!!!

米1斗を当てました。

賞品の米も嬉しいですが、それよりも商売繁盛の神様のところで、あたった運の良さが、今年の商売繁盛を神様にも応援してもらえてる感じで嬉しいです。

私自身は無神論者で、特に特定の宗教を信じているわけではありません。他力本願で単に神様にお願いするだけでは、何も意味が無いと思います。

しかし、運がよいと信じて何事にも前向きに挑戦するためには、神仏にも大きな意味があると思います。

神に選ばれし我が娘の為にも、今年は今まで以上に難しい挑戦をしてゆきたいと思います。 

God Hand
God Hand

快挙!持久走5位

先日、Hannaの学校で持久走大会がありました。

Hannaは絵を書いたり工作をしたりするのが得意で、どちらかというと運動が得意ではありませんでした。去年まで運動会でも走る系の競技は好きではない感じでした。

特に選手リレーでは、同学年に女の子が二人しかいないので、必然的に選手に選ばれ、もう一人の子が運動が得意なので、保育園の頃から「負ける前提で」どれだけ差が大きくならないかを悩んでいました。

しかし、このところ結構足が速くなってきました。今年の運動会では、リードして受け取ったバトンを、差を縮められずに、どちらかというと差を広げて、 次の選手に渡すことができました。

少しずつ走ることで自信をつけてきたHannaが挑む持久走大会。結果は1,2年生男女込みで5位(女子では1位)!!。 

夜遅く帰宅したら、私の作業机の上に記録証が置いてありました。

去年までのよたよた走っていたHannaのイメージが強いのですが、今年の運動会で(バカ親的には)さっそうと走っていたことを思い出し、どんなことを考えながら苦しい時間を走り続けたのか思うと、涙が出ます。 

私は小学生の頃、足が速いということが最大の自慢でした。特に長距離は得意で持久走大会では常に1位でした。たとえ勉強ができなくても、何かで一番になれるとそれが自信となり、自信を持って取り組むことで、いろいろなことがうまくいきます。Hannaにもそんな体験をして欲しいです。

家では(というか妻曰く私の前では)甘えん坊なHannaですが、ちゃんと成長しているし、一生懸命頑張っています。そんなことを考えると、また、涙が出ます。

子どもが頑張っているのは、何よりも親の励みになります。

自分も子としても親としても頑張らねばと思います。 

私にとっての極上の瞬間

それで充分かどうかはともかくとして、たぶん私は平均的なお父さんよりも子供とかかわることが好きで、実際多くの時間を子供と過ごしてきました。

好きだから別に「一生懸命やってます」感は無いし、ゴルフ好きな人がゴルフに毎週行ったり、お姉さん好きな人が夜の街に通ったりするのと同じです。

たまたま私はゴルフや夜の街より、子供とかかわるのが好きだったというだけです。2歳のHannaと二人だけでオーストラリアに行ったり、毎年ゴールデンウィークは、(妻は仕事なので)娘二人と旅行しているのも、義務とか正義感とかではなく、自分の欲求を満たしているだけです。

あくまでもそれ自体が楽しくてやっているのですが、でも、子供の場合はとてつもなく大きな見返りがあります。笑顔だったり、父ちゃんの取り合いのケンカだったり・・・。

男親の子育てへの関わり方については、いろいろな意見があると思います。ある上場企業の社長は、男は働いている背中を魅せることが最も重要な子育てだと言っていました。週に1回じっくり子供達と将来について話していて、その話の中で子供の教育もできるというようなことを言っていました。

確かに、ある程度大きくなった子供に対しては、それで十分かもしれません。それ以上べたべたするのは子離れできない親なのかもしれません。

でも、小学校低学年までの子供達は、スキンシップや安心感というものを求めていて、それがあって初めて、勉強にも集中できます。だから、小学校低学年のうちから勉強部屋で勉強させるのはよくないと言われています。

・・・なんて、何か教育論ぽっくなってしまいましたが、そんな難しいことを考えながら子供と接しているわけでなく、子供と接している時間は本能の赴くままに遊んでいるだけです。

そして、それが私の極上の時間につながります。

私にとって極上の瞬間は夜中に、夢を見て子供が泣いて起きた瞬間に「父ちゃ〜ん」と私を呼ぶときです。半分寝ぼけながら呼ぶ相手が「父ちゃん」って・・・最高にうれしいです。

無意識に父ちゃんを呼び、父ちゃんを見つけて必死にしがみつかれると、この世の全ての苦しみ、悲しみ、怒りなどが消え去ります。悟りを開いた高僧のような心境になります。

仕事残っていても、一端子供と一緒に布団に入り、寝かしつけて(自分も1時間くらい寝てしまって)必死に布団から出て、仕事の続きをしたり、深夜まで仕事をしてやっと布団に入り、寝入りばなに「父ちゃん、おしっこ出ちゃった〜」と言われて、着替えさせて布団のシーツを剥がして布団を干したりしたこと全てが苦労でなくなります。

こんな喜びを母親に独占させておくのはホント勿体無いと思います。ぜひ多くのお父さんにも味わって欲しいです。

最近の愛されぶり

最近、平日はかなり遅く帰ることが多くなり、女性陣と一緒に寝られない日も多くなりました。

 

その反動か、一緒に寝る日は猛烈です。

 

以前は、Youは一番興味がない感じで、Hannaと妻でもめていました。ところが、最近は下の娘Youが、私にひっつきたがるようになり、争いが激しくなりました。

 

結局、娘二人が私の隣で寝て、妻は二段ベッドの上で寝ることになるのですが、それが確定してからも、娘達が争います。どちらを向いて寝るのかとか、布団のかかり方が不公平だとか、争います。

 

両腕に抱きつかれて寝るので、最低気温が氷点下になってきた最近でも、暑くて目が覚めます。

 

どうでも良い話ですみません。

ただ、このブログを書いている大きな目的のひとつが、大きくなったときの娘達に読ませることなので、記録として書いておきたいのです。

 

そういえば、先日Hannaが、ブログを読んでちょっと笑っていました。まだ、2年生なので読める漢字は少ないのですが、それでも、笑える記事があるようです。早晩、文句が出るでしょうね。こんなこと書くなと。

 

少子化問題や過疎化問題のしわ寄せ

だいぶ日が経ってしまいましたが、秋祭りに世話人としてかかわって感じたことがいくつかあります。

 

一番は、限界が近いということ。

子供の数が急激に減ってきているのに、全体的な制度は何十年も前から変わっていません。それを伝統と呼ぶのですが、そろそろ限界が近いです。

例えば、町内全戸を回る獅子舞も、30年くらい前までは、小学校高学年の男子のみで行っていたそうです。しかも、獅子に触れるのは6年生のみで、みんな「早く大きくなって獅子に触りたい」と思っていたそうです。

それが、年々子供が減り、高学年だけでなく、低学年も参加するようになり、それでも子供が減り、女子も参加するようになり、それでも子供が足りなくて、保育園児も参加するようになりました。

需給関係の変化により、獅子のありがたみも急激に下がり、祭の後半になると獅子舞を持つ子供がほとんどおらず、大人達が手伝わなければいけないほどになってしまっています。

 

ちなみに、子供が誰も引っ越してこないと、Youが小学校4年生の時に、You1人で獅子舞をやらなければいけなくなります。冗談で「たむけんみたいだ」とか「ご祝儀総取りだ」とか言っていますが、ホントどうすべきか真剣に考えないといけない時期になっています。