閉校する小学校の運動会で思う大組織と小組織それぞれのよさ

先日、娘たちの通う小学校の最後の運動会がありました。今年で小学校は閉校になるので最後の運動会です。

全校児童55名。

伝統ある小学校ですが、これだけ子どもが減るといろいろできなくなってゆきます。その極めつけが閉校です。

運動会でも、赤白それぞれ30名足らずのチームです。高学年は全員が役が有り、応援団員3人。。。全ての競技を2学年で一緒に行います。それでも人数が少なすぎるので、名物だった組み体操は去年から無くなりました。寂しい限りです。

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最後の運動会

 

一方で、小さな小学校の運動会だからこそできることもたくさんあります。

時間がたくさんあるので、今年は6年生の親たちで秘密に企画した種目を入れてもらい、それを当日まで秘密にしておいて、当日突然発表して実施しました。こんなことは大きな学校では不可能です。

上の娘は最上級生としての運動会でしたが、8人しかいない6年生は、応援団長、司会進行、児童代表挨拶などみんなが重要な役割を担います。うちの娘も児童代表挨拶を開会式で行っていました。

何事においても当事者意識を持って主体的に取り組むことは重要です。会社に入っても自分はただの雇われ人として、言われたことだけをやっていては人間も組織も成長しません。常に自分が高い視点から物事を見て、自分のやるべきことを自分なりに考える人は、人間としても成長し続けるし、そんな人がたくさんいる組織も成長し続けられます。

小さな学校ではみんなが自分の役割の重要性を理解し、主体的に取り組まなければ成り立ちません。そういう意識付けの訓練がしやすい小さな小学校でよかったと思います。

 

大きな組織では、全員で大きな事ができることがメリットです。一方、小さな組織では全体で大きなことをすることはできません。でも、組織内での各メンバーの役割が相対的に大きくなり、やりがいや達成感を味わいやすくなります。当事者意識を持って主体的に取り組みやすいです。

どちらがよいと言うことはありません。それぞれにメリット/デメリットがあることを理解し、自分のおかれている環境において、何ができて何がメリットなのかを考え、それを活かすことができるかが重要です。

どんどん進んでいってしまう娘を、追いかけて追いかけて・・・

上の娘をサマーキャンプの集合場所まで送ってきました。遠くへ行ってしまう

私の心配をよそに、自己紹介カードやその他持ち物を楽しそうに準備して、行ってしまう娘。。。ついこの間まで「今日は父ちゃんと一緒に寝れる?」が、毎朝のお出かけ前の口癖だったのに。。。


昨晩、久しぶりに夢でうなされて夜中に目が覚めました。人混みの中を娘と二人であるいていたのだけど、娘がドンドン先に進んで行ってしまって(僕が)迷子になる夢。。。

いつ頃からか、私が叱るよりも、娘に私が叱られる回数の方が多くなってきてるし、今でも十分、娘はしっかりしているし頼りになります。

今回のサマーキャンプでも、娘は成長してくるでしょう。

 

子どもにとって親というのは、自分の人生を自分で歩き始めるまでの間、補助をするのが本来の役割だと思います。子どもがドンドン成長するのに合わせて、親はドンドン手出し口出しを減らしてゆかなければいけません。なんてことを偉そうに講座では話しますが、僕自身も現在進行形で努力中です。

子どもが自分で、自分の人生を楽しみ、困難も乗り越えてゆくのを、ドキドキはらはらしながらも、うろたえたりせず、デンと構えて、見守ってゆけるような大きな父親になりたいです。

本当に疲れてしまったときだけ、安心して休める場所を夫婦で守ってゆきたいと思います。

なんて、まるで娘が、遠くに就職したか、結婚でもしたかのような文章ですが、ただ3泊4日のサマーキャンプに行っただけです・・・(笑)

夏バテなどしていては勿体ない

いつぐらいからか、夏バテしたという記憶がありません。特に40歳を超えてからは夏はずっと元気です。

暑い中でたくさん運動をして汗をかいて、お腹がペコペコになるのでたくさん食べて、夜も爆睡、朝の目覚めも良いので朝からRUN!

今年は子どもたちの夏休みの前の週から、3週続けて週末は「海水浴」、「キャンプ」、「海水こんな海にはたまにしかいけませんが・・・浴」に行ってます。今週末も海水浴の予定です(^_^)

子どもが海が大好きであることや、妻が海やキャンプが大好きであることや、それ以上に僕自身が海が大好きであることが、海に行く理由です。しかも、海に行ったら泳ぎまくります。ビーチから沖のブイまで行き、あとはビーチと並行に何往復も泳ぎまくります。休憩代わりに子どもたちとちょっと遊んで、また、沖を泳ぎます。それを何度か繰り返したら、子どもたちとシュノーケリングしたり、水泳指導をしたり、水分補給と昼食時以外は、ずっと海に入っています。

これだけ海を満喫するために、毎日、早寝早起きし、トレーニングを積み重ねが欠かせません。体力を高いレベルで維持、向上しているおかげで、朝早く起きて、朝ご飯のおにぎりを作り、そのまま2時間運転して海に行き、テントを張って、泳ぎまくり、片付けて、また2時間運転して帰宅し、帰宅後に海グッズを片付け、次回直ぐに持って行けるような状態にし、何事も無かったかのように平日は仕事をすることができます。

普段の僕の食生活、特に大会前の調整期などは、食べるもの、食べる量、食べる時間などを細かく指示を受けて、キッチリ食べます。基本的にお酒も飲まないし、夜更かしもしない。そんな生活の何が楽しいのかと聞かれることもありますが、そういう生活でのみ得られる健康や体力によって、子どもの夏休み期間中は、海に行きまくって遊びまくれることが何よりも歓びです。

夏休み期間に限らず、体力に余裕があることで、会社でも家でも働けます。

心の強い人でなければ、疲れて家に帰ってきたら、余分に家事をしようなんて思ったり、妻を労ろうという気もなかなか起きません。でも、 自分は元気はつらつ、妻が疲れていれば積極的に何かしようと思えます。

自分もたくさん遊び、やりたいことをやり、家のこともたくさんできるような状態になるには、自分の健康と元気がとても重要です。そのための努力は惜しみません。

なんて言うと、お前の趣味は泳いだり走ったりすることだからそれは努力でなくて遊びだと言われそうですが、確かにその通りです。走ったり泳いだりする趣味、オススメします(笑)

子どもにとって良い環境とは

子どもにとって良い環境を提供ってなんなんだろうかと考えることがあります。

よく幼稚園や学校を選ぶ理由として「環境が良い」ことを挙げる人がいますが、本当に子どもにとっての良い環境って何かというのは、とても難しい問題で、とても私には判断ができません。

うちの上の娘は、0歳から3歳まで私立の保育園に通い、その後は過疎地の公立保育園に通いました。スタッフの体制、年間行事など全く違う感じでした。

一般的な言い方で言えば、前者はとても環境の良い保育園で、後者はとても環境の悪い保育園です。でも、私自身は、どちらも良いところも悪いところも有り、一概には言えないと思っています。

保育園を変更したのは、子どものために環境を変えようという意図ではなく、単に親の仕事の都合です。

理想的な学校(環境)というのは、大人がある程度作ることができます。でも、子どもにとって理想的な環境で育つことが本当によいのかは、わかりません。

なぜかというと、子どもたちが将来飛び込む現代社会は理想的な環境ではないからです。

職場でも地域でも、いろいろな考えを持った人がいて、いじめだったり、足の引っ張り合いだったり、理不尽なこともたくさんあります。それがなくなるのが理想ですが、きっとなくなりません。そもそも価値観の違う人間の集まりなのだから、全員が満足するような状況にはなりません。

その中で、いかに工夫して楽しく仕事や生活をし、また、その中で最高の選択をして、向上してゆけるかが、豊かで充実した人生を送るには重要だと思います。いじめなど理不尽なことも、うまいこと回避したりやり過ごす術を身につけ、酷い状況の中でも小さな楽しみを見つけて楽しむ。本当に酷い状況であればそこから脱出する方法を考え、挑戦する勇気を持つためには、子どもの頃から少しずつ練習してないと行けないと思います。

所謂環境の良い幼稚園、保育園、学校というのは、汚い現代社会でうまく生きる練習をする機会が少ないかもしれません。

人生の満足度の低い人の多くは、自分の状況や出来事を、自分外のもののせいにする人が多いです。

環境が悪い、世間が悪い、景気が悪い、相手が悪い、だから私はこんな状況になった。。。というように。

子どもの頃から「良い環境は親が用意してくれるもの」として育った子が、大人になり、良い環境ではないことを自分の努力や工夫が足りないとは考えなくなり、人生の満足度を下げるとしたら残念です。

子どもにとって「良い環境」とは、「良くない環境」なのかもしれないとも言えます。もちろん、親として子どもがいじめられたり、悲しい思いや、苦しい思いをしそうな環境に放り込むのは、ものすごくしっかりした信念と勇気が必要です。

親が不安を解消するために、とりあえず評判の良い学校に入れておく、評判の良い塾に入れておく、それも親の精神安定のためには悪いことではないと思いますが、あくまでも親の自己満足の為であることを認識しておく必要があると思います。

ちなみに、私は子どもに、あえて、良い環境を提供することも、厳しい環境を提供することもしているつもりはありません。あまり子どもに合わせすぎず、親の都合で引っ越したり、放課後教室に入れたりしてます。決められないから、なすがまま、です。あえて言えば、そういう状況を親子で受け入れています。

初めてできた瞬間に立ち会う喜び

子どもが小さかった頃は、初めてつかまり立ちした、歩いた、喋ったなど、何かができるようになった瞬間に、大きく感動してました。親たちが大騒ぎして喜ぶものだから、子どもは更に頑張る・・・ということになっていたと思います。
でも、最近、そこまで子どもに対して喜びを感じたり、表現したりしてないのではないかと不安になります。
初めて漢字を書いたとか、九九を言えるようになったとか、学校でできるようになったことを、聞いて感動し、褒めてはいますが、目の前で起きたことでないためか、心の高揚感が違います。

でも、先週の日曜日、久しぶりに妻を呼びに走ってゆくほど高揚しました。下の娘が、縄跳びの、うしろあやとびができないと言うので、一緒に練習してました。姉や私がいろいろアドバイスしますが、結局の所、自分の体の感覚でわからないとできないので、何度も何度も失敗し続けていました。もう寒くなってきたので、家に戻ろうか、と思い始めた頃、突然、飛べました。

その瞬間の子どもの笑顔は、最高です。 

見ていた僕も、久々に感動し、家に居る妻に走って報告しに行きました。忘れていたこの感じ、本当に久しぶりです。 

毎日毎日、子どもたちは新しいことができるようになっているのだから、それを喜ぶ感覚は、忘れないようにしたいと思います。