子育ての大変さは無限大

子どもが1人の時と2人の時(さらには3人や4人の時でも)で、子育ての大変さは違うのかと考えると、種類や性質は違うにしても、絶対的な大変度は、子どもの人数にかかわらず無限大なのではないかと思います。

二人になったら2倍大変かというと、そうではなく、無限大のままです。

一人の時は、愛情も情熱もお金も、その子のために注ぎ込みますが、どれも、「もっと」注いであげたいと思います。結局、その時点での親たちの精一杯のものを注ぐだけです。お金に関して言えば、ものすごくお金に余裕があれば、十分注げるかもしれませんが、それ以外は絶対に満足できない、満足してはいけないものだと思います。

子どもが、二人になっても同じで、結局足り無いながらも、自分たちの精一杯のものを注ぐだけです。

 

もっと、時間をかけて子ども達と接したい、もっと精神的余裕を持って子ども達と接したい、そんな思いは永遠に持っていないといけない感覚だと思います。

 

もちろん、子育ての苦労が無限大であるのと同時に、子どもから与えられる喜びも無限大です。

 

これは、神様が生物としての人間に、仕込んだ実に巧妙な仕組みに思えます。子育てのような大変なことを何年も続ける動機としては、生半可なものでは足りません。無限大の苦労には、無限大の喜びを与えて何とか続けさせている・・・神様はよく考えたものです。

 

最近、この神様の巧妙な仕組みに反するような事件などを新聞などで見かけます。人類を滅ぼす原因は、気候変動ではなく、生命としての基本が壊れてしまうような人間の変化なのかもしれません。

アントレ10月号「独立で手に入れた!ワタシ流極上生活」

自分は何のために生きていて、どうしたいのか?

日常生活の中でそんなことを考える機会はあまりありません。

 

先日、雑誌の取材を受け、いろいろ聞かれ、いろいろ話している中で自分の人生について考える機会をもらえました。

 

岐阜県多治見市で生まれ育った私は、何となく都会の生活にあこがれていました。就職先では、横浜への配属を希望して横浜で生活をしました。しかし、想像していたようなかっこいい生活はそこにはなく、今度はオーストラリアのシドニーへ移り住みました。

オーストラリアで起業した当時は、どんどん会社を大きくして、いずれは上場、六本木ヒルズ(当時はありませんが)のようなところでの生活を夢見た時期もありました。

 

しかし、オーストラリアでの極貧かつ、とてつもなく楽しい生活が私の人生観を少しずつ変えつつありました。

移民の国オーストラリアでは、いろいろな人種や文化、宗教の人たちが混ざって生活しており、価値観の多様性を前提とした社会になっています。

自分の価値観にあった生活。自分の価値観を無理に他人に合わせない生活。そういう生活をよしとする考えが、私の深層心理に少しずつ刻み込まれ、それが今の生活を手に入れる大きなきっかけとなりました。

 


本に戻ってからも、しばらくはまだ都会志向なところはありましたが、日本中から多治見周辺に集まっている若手陶芸家と出会い、地元の中学校で焼き物につい
ての授業をプロデュースし、妻と出会い、子供が生まれたあたりで、私の価値観、目指す生活、幸福な時間の定義が、完全に大きく変貌し定着しました。

今の家に引っ越したのはHannaが生まれた1ヶ月後でした。

 

横浜にいた頃は、「岐阜県出身である」とか「多治見出身である」というのは、あまり言いたくありませんでした。でも、今は聞かれなくても、会社は多治見です。家は土岐市です。山奥です。イノシシが出ますと言えます。

それを聞いた人がどう思うかはわかりません。哀れむ人もいれば、うらやむ人もいるかもしれません。でも、その人達に迷惑をかけているわけではないので、そ
れで良いのではないかと思います。無理にカッコつける必要もないし、ありのままの自分を見せて、ありのままの自分を話し、気が合えばつきあいは深くなる
し、気が合わなければ、あまり深くつきあうことはないというだけです。

みんな違う価値観を持って生きているのだから、全ての人の共感を得ることはできませんし、する必要もないと思います。

 

私は、今の生活にかなり満足しています。かなり幸せです。

あえて不満を言えば、あまりに幸せなので、向上心が薄れそうになることがあるという点くらいです。

 

家や家での生活がボロくてサイコーにおもしろいというような話をよくするので、私が「仕事はあまり好まず」家庭での生活のみに喜びを感じて、仕事には力を入れていないと、思われがちですが、それは大きな誤解です。

私は仕事も大好きです。仕事という定義が難しいですが、家の中以外で行っていることもとても楽しくて、大好きです。会社(仕事)は、私の自己実現の場所としてとても重要な位置を占めています。


かなか理解してもらえないのですが、私にとって家や、家での生活、会社での生活、会社以外での社会生活、水泳など、全てがとても重要で、とても楽しくて、
どれもものすごく真剣に考えています。もちろん、どうしても一つだけ取らなければいけないとすれば「家族」を取るでしょうが、どれも大好きです。

金曜日の夜には、週末を思ってワクワクするし、日曜日の夜には月曜日を思ってワクワクします。うれしさ倍増、苦しさ半減・・・と結婚式のスピーチのようですが、仕事でうまくいっているときは、家での生活もよりうまくいくし、仕事がうまくゆかないときは、その苦しさは家で軽減されます。水泳や仕事以外の人とのつきあいでも、喜び倍増、悲しみ半減だと思います。どれも私には欠かせない重要なものです。

 



んなことを、話した記事が本日(8月27日)発売の「アントレ10月号」の「独立で手に入れたワタシ流極上生活」というコーナーに掲載されて
います。

約4時間しゃべった内容が、400文字にまとめられるとだいぶアレンジされるので、このブログ記事はその補足です。

 

家族での写真が載るのはなかなか恥ずかしいものです。慣れない撮影で、特にYouが照れてしまって(ずっと隠れていて)なかなか写真が撮れなかったのですが、さすがはプロカメラマン、良い表情の瞬間をとらえてもらってます。座っているのは自作の縁側です。

1日がかりの取材+数十枚の写真撮影・・・恐らく他のページもそうやって作っているんでしょうが、雑誌を作るというのはすごくお金も時間もかかって大変なことなんだと改めて感じました。

 

楽しくて貴重な経験でした。

初めてHannaに散髪してもらいました

いつもは妻が行っている私の散髪ですが、今回初めてHannaにやってもらいました。

丸刈りなので、バリカンでただひたすら頭の表面を擦る(?)だけですが、刈り残しがあると見苦しいのでそれなりには難しいです。

 

散髪していることが楽しいようで、ゆっくり丁寧にやってくれます。猛スピードでやっつける妻の作業より断然優しい感じです。

 

ところが、途中でバリカンの動きが止まり、頭を触って不思議そうに刈り直したりしています。そして、

「とうちゃん、なんかここ変だよ」

と言います。何がどう変なのか聞くと

「髪の毛が切れない。頭が見える」

というのです。衝撃的な告白。あわてて自分でさわって確かめると、全く無いという感じではありません。そんなやりとりをしている横を通りすがりの妻が、

「禿、禿。父ちゃん、もう禿てんだよ」

と言い放つではありませんか。Hannaは、

「ふ〜ん。」

と納得した様子。違うと否定しつつも、ちょっと心配になって、後で鏡を見て確かめると、確かに若干つむじのあたりが薄めではありますが、40歳近くになってこれくらいは、「やむを得ない」範囲です。

 

改めてHannaに「父ちゃんは禿ではないからね」と念を押しておきました。Hannaが保育園で誰かに言えば、数日で町内の人すべてが知る事実となってしまいますので、十分に言い聞かせておく必要があります。

 

ちょっと厳しい現実をつけつけられた、初めてのHannaにしてもらった散髪でしたが、散髪自体は上手に無事終わりました。

今年も始まりました「夏休み子ども科学電話相談」

毎年楽しみにしているラジオ番組「夏休み子ども科学電話相談」が、今年も始まりました。

 

日中に、子どもたちが電話で相談するのに、各分野の専門家が答えるという番組です。

質問するのは主に小中学生なのですが、意外と知らないことが多くて、新しい発見が多いです。

 

昼間の番組なのでなかなか聞けないのですが、今日は外出する予定があり、移動中の車の中で聞くことができました。今日の質問で一番びっくりしたのは、

鷹やハヤブサのような鳥は、どうして高いところをすごいスピードで飛びながら餌を見つけることができるのか?

というものです。この答えは「鳥は人間に比べて目が大きいのと、レンズの調節機能が非常に優れている」というものでした。

 

この番組は、結構答える先生によって当たり外れが大きいと思います。もちろん、どの先生も、その分野の専門家なのですが、小さな子どもからの質問にちゃんと答えられない人も少なくありません。たぶん、質問者が高校生や大学生くらいだったら、ちゃんと答えられるのでしょうが、小学生だと答えるのは非常に難しいことは想像できます。

小さい子どもの質問って、聞き慣れていない人には、その質問の意図が理解できないのだと思います。

 

そんな中、なんと言っても私のひいきの先生は、天文・宇宙担当の「永田美絵(ながたみえ)さんです。

プラネタリウム解説員の永田さんの答えは、小さい子どもの質問でも、とてもわかりやすく、かつ、夢を奪わず、かつ、正しい科学知識を教えてくれます。

自分の子どもたちも、永田さんのような人から話を聞いたら、宇宙や星について興味を持って楽しく勉強できるのではないかと思います。

私は小中学生の頃は、宇宙や星にとても興味があって、カール・セーガンコスモス(宇宙)などを、興味津々で見入っていました。

 

子どもたちにも、宇宙に興味を持って、一緒に夜空を見ながら話ができるようになったらうれしいなぁと思います。

 

■関連リンク

NHKラジオ 夏休み子ども科学電話相談

最強の嫉妬娘

 (ただののろけ話です)

自分で言うのも変ですが、私は上の娘(Hanna)に相当愛されております。尋常でない愛され方です。

 

以前は、Hannaにとって母はライバルでした。家で(子供達が遊んでいるときに)夫婦でソファに座ってコーヒーなどを飲みながら話していたりすると、直ぐにHannaが間に座りにきます。そんなときにふざけて夫婦でひっつこうものなら泣きながらHannaは怒りました。

 

ところが、最近はHannaにとって母はライバルではなく、敗者と見ているようで、少々夫婦でひっついていても、遠目にちらちら見ながら

「たまにはお母さんがくっついてもいいよ」

などと、余裕の発言をしたりします。

 

ただし、妹のYouは未だにライバル視しているというか、相当嫉妬します。私がYouを抱っこしたり、つついたりして遊んでいると、もの凄い勢いでそれをじゃましに来ます。

 

最近、週末もいろいろ仕事などで予定が入ってしまうことが多いのですが、空いた週末に、それぞれとデートをすることになっています。

最初は、5月にHannaとデートしました。6月に入り1度子供達を実家に預けて妻とデートしました。そして、残るはYouとのデートということで、先日、私がYouにどこに行こうか相談していました。

「Youちゃん。海に行きたい」

「そうか、なら、海に行こうか」

なんて話をしていると、突然、近くにいたHannaが、ポロポロと涙を流し始めるのです。何事かと思ってHannaに聞くと

「Hannaちゃんも行きたい〜」

と言います。妻とのデートの時には

「たまにはお母さんもデートしておいでよ」

なんて余裕の発言をしていたのに、Youについては許せないようです。

 

Youと私だけが出かけることがどうにも悲しくて、涙がぽろぽろこぼれたようです。

先日、私が出張でいないときに夜、寝るときも、突然涙をぽろぽろ(と言うよりボロボロ)こぼし、シクシクと「寂しくて、眠れないよ〜」と言っていたそうです。

最近、ちょっとこのHannaからの愛され方、重いです・・・。

 

Hannaを泣かすには「今晩、水泳の練習行っていい?」と聞くだけでよいです。私がそう言って3秒後には涙が落ちています。

 

 いつまでこんなに愛してくれるのか・・・。

 

 

■関連リンク

久しぶりにHannaとデート。かなりデートっぽくなってきました