抱っこ星人はHannaでなくて私でした

お母さんが右手に幼児を抱え、左手に買い物袋を持ちながら、
「ねぇ、お願いだから歩いてよ〜」
と言いながら困っている光景をスーパーなどでよく見かけます。我が家でもそうでした。特に長女のHannaは、抱っこ星人と親から呼ばれていました。

常に「抱っこ!抱っこ!」言ってました。疲れてという理由もあるのですが、それ以上に不安で言うことが多かった気がします。
私と二人でオーストラリアに行った時も、周りに誰も人が居なければ、ご機嫌で走り回っていたのですが、人ごみでは常に「抱っこ!抱っこ!」と言っていたのが、ビデオにも残っています。自動車の免許更新の時もどうにもならず、実は写真撮影時に下の方で抱き抱えていました。

そんな抱っこ星人も、既に小学3年生。流石に抱っこ星人卒業かと思われるかもしれませんが、一応ギリギリ健在です。家では、私にまとわりついてきて、抱っこを要求します。
でも、家の外では抱っこ要求は全く無くなりました。冗談で「抱っこしてやろうか?」と聞くと、かなり怒ります。面白いので、スーパーなどで追い掛け回して抱っこしてやろうとすると、悲鳴をあげながら逃げます。そのうち警察に通報されそうです(笑)

小さな頃は、抱っこを求められることが当たり前で、時には嫌がったりもしましたが、今となっては「抱っこさせてくれ〜」という感じです。
どうにか次女のYouがまだ、抱っこさせてくれるので、買い物の時はYouを抱っこしていますが、これも時間の問題。
子どもの成長に、親がついて行けていません(笑)

冒頭に書いたような光景に出会うと思わず「抱っこしましょうか?」などと声を掛けたくなってしまいますが、警察に通報されてもいけないので、グッと我慢してます。

七夕祭り

7月7日、七夕の夜は雨も降っていたし、私の仕事が片付かなかったこともあり、毎年恒例の七夕祭りは延期しました。

天気も良く、私も受験が終わった日曜日の夜、七夕祭りを行いました。

我が家の七夕祭りは、ちょっと異様で、七夕飾りを振り回しながら庭を走り回り、願い事を叫ぶという儀式があります。

誰が考えたのかわかりませんが、Hannaが保育園の年少組の頃(5年くらい前)には、既に始まっていました。

今年も、それぞれ短冊に書いた願い事を、大きな声で叫びながら3日遅れの七夕祭りが行われました。

 

私も願い事を沢山叫びましたが、でも、何より一番の願い事は、来年も無事に家族みんなで同じように七夕祭りができることです。

遅く帰ったときの楽しみ

本当は、早く帰って子どもと一緒にご飯を食べたり、一緒にオフロに入ったり、一緒に寝たりしたいのですが、最近は帰宅が遅い日が続いています。

でも、遅く帰った日にも、楽しみが2つ有ります。

一つ目は、手紙。

おかずが何で、どこにあるかとかが書かれた手紙や、小学校や保育園で必要なものについてのメモなどがあります。

サラダが冷蔵庫にあります。ドレッシングをよく混ぜてからかけて、おいしく食べてね。

などと書かれています。大したことは書かれていないのですが、それでも嬉しいです。

二つ目は、寝顔。

離れの寝室に静かに入ると、大抵下の娘は、私の枕を抱えて寝ており、上の娘は私の布団にくるまって寝てます。その寝顔をみてちょっとニヤついてから、布団と枕を取り返し、娘たちをそれぞれの本来の寝場所に移し、寝ます。

この喜びは、ヨダレや汗でベタベタになった枕で寝る不快感を打ち消してお釣りが来ますw

我が家の奇跡

奇跡と言うほど大げさなことではありませんが、山の中の一軒家である我が家では、普通ではありえないことが起きます。

美しいところで言えば、ホタルが大量に舞ってます。いろいろ蛍の名所に観に行ったこともありますが、街灯がなくて近所に家がなくて、人が少ない、という点から我が家の前で見るホタルが一番良く見えると自負しています。足元が見えないほど暗いですから。

そんな山の中に暮らし始めて9年以上が経ち、大抵のことには慣れましたが、今年はじめて見つけた驚きの事実があります。

1.山鳥の巣が電気メーターの上にある


ツバメのように人家にすを作る鳥なら珍しく有りませんが、野鳥は珍しいです。逆に我が家にはツバメは来ません。燕も野鳥も、我が家は人家ではなく森の小屋だと思っているのでしょう。

2.井戸小屋の屋根に桐の木が育っている


桐の木ってよく知りませんが、山の中に普通に生えている木なのでしょうか?女の子が生まれたら庭に桐の木を植えて、結婚するときにタンスを作って持たせる、なんて話を昔はしていましたが、我が家はこの木で娘の嫁入り道具を作れるのか???
でも、いくらなんでも屋根の上では大きく育てないと思います。種が飛んできたのかどうかわかりませんが、なぜ、よりによって屋根の上に根付いてしまったのでしょうね。

10年前もそうでしたが、10年間で家の周りの木は、かなり育ちました。鬱蒼としてきました。どうしたものか思案中です。我が家が森と一体化してゆくのは、聞こえはよいですが、住み心地としてはかなり悪いです。日当たりは悪くなり、湿気が多くなり、いろいろなものがカビますし、家そのものが森の栄養になりつつあります(つまり、朽ち果ててゆく)。

木に囲まれているので、かなり涼しいし酸素も多いです。でも、家が倒壊しても困るし・・・。悩ましい問題です。

少なくとも今のところ子供たちは、この家を気に入っているようなので、それは嬉しいですけど、年頃になったら嫌がるかな。

子としてのやるべきことと、親としてのやるべきこと

先日、岐阜大学の「私らしいキャリア設計」の授業において、いろいろ学生さんから質問を受けました。

その中で、一瞬回答に詰まりそうになった質問がひとつありました。

「自分が今、大学を辞めたり、休学したりして海外に行くとしたら、親が反対をすると思うが、それを押し切ってでも、行っても良いのか?迷惑をかけても良いのか?」

というような主旨の質問です。

その質問の前に、私が「若いうちは貧乏になっても自分がお腹がすいたのを我慢すればよいだけなので、無理してでも貧乏したり、リスクの高そうなことでも挑戦しましょう」というような事を言ったのに対しての質問です。

結婚して子どもができてからは、自分のためだけに自分の時間を使うことができなくなります。大学生くらいから結婚するまでの期間というのは、自分の為に一番時間が使える時期です。その時期にどれくらい経験を積んで、頑張る癖をつけるかが、その後の人生を幸せにするかどうかの重要な要素となります。

でも、親にお金を出してもらって、大学に入り、通っている大学生が、親の反対を押し切ってでもやってよいことと、いけないことがあるというのも事実かもしれません。

そのようなことを頭の中で考えて、一瞬回答に戸惑いました。

しかし、結局のところ、親は子供の幸せを考えているわけで、幸せを考えた上で反対もしているのです。であれば、その時は反対されていても、最終的に子どもが幸せになっていれば、後からは許してもらえるのではないかと思います。

私自身、親の反対を押し切って、いろいろなことをしてきました。おかげで辛い経験などもしましたが、すべての経験が今の人生の糧になっているし、そうして迎えている現在は、常に幸せです。今後もずっと幸せでいられると思うし、そうして幸せな人生を送っているところを親にも見せ続けることが出来れば、それが親孝行なのではないかと自分に言い聞かせています。

そして、今、自分が親という立場にもなり、きっとこの先、子どもがなにか決断をするときに反対をすることもあると思います。もちろん、親として子供の幸せを考えて下す判断によって。

しかし、もし、その反対を押し切って、子どもがそれを行ったとしても、最後までその判断が正しかったと、子どもが思い続けていられるのであれば、子供の判断が正しかったのだと思ってやろうと思います。途中で、泣きを入れて「ゴメンナサイ、私が間違っていました」と言ってきたら、それはそれで、良い経験を積み、その後、正しい判断ができるようになったのだと、思ってやろうと思います。

いずれにしても、親に対しては、自分が幸せであることを示し続け、子供に対しては、子供の幸せを願い続けることが、私のやるべきことだと思っています。