先週、岐阜大学で開催されたG-netのインターンフェアに参加しました。
大学生と話をするのは、いろいろな意味で楽しいです。ブログでも何度か書いていますが、自分自身の(良い意味で)若くて、野望に満ちて、トントンに尖っていて、無謀で、無茶していた頃を思い出させてくれて、初心に戻ることができます。
それ以外に、今回気づいたのが、学生に話をしながら自分自身に言い聞かせているようなことがよくあるということです。
もちろん、学生のためになるようにと思いながら、話をしているのですが、それは学生達が40歳くらいになったときに気づくことなのではないかと思うことがあります。
例えば「家族、友達、その他全ての人に感謝の気持ちで何事にも取り組もう」というようなことを言ったりします。
実際、これは正しいことだと思います。しかし、私が20歳くらいの頃、そんなことを考えていたかというと全くそんなことはありません。自分のことしか考えていなかったし、周りの人をけ落としてでも自分が上に上がろうと思っていました。
とても生意気な若者だったので、かなりいろいろなところで叩かれたりもしました。しかし、そのおかげでがんばれたのです。
偉そうなことを言った手前、投げ出すことはできず、がんばれたと思います。
今は、20歳くらいの頃に比べればずっと、家族、友達、その他全ての人に感謝の気持ちを持って、生きています。まだまだ足りませんが、足りないことに気づいています。
私より、もっと人間的に立派な人であれば、20歳くらいからある程度、高貴な理由や目標を持つこともできるかもしれません。でも、やはり人間には、年齢に応じてやるべきことがあり、若いうちというのは、生意気で無謀で孤高な生き方を目指すべきなのだと思います。
さて、先日学生に聞かれた質問で、一番印象深かったのは
これまでの人生で一番辛かったのはいつですか?それをどう乗り越えましたか?
です。この質問を受け、考えたのですが、もちろん、辛いことはたくさんあったのですが、それほど覚えていないというのが正直なところです。私の脳はものすごく都合良くできていて、イヤなことや辛いことは直ぐに忘れ、楽しかったことなどは良く覚えているので、思い返すと楽しかったことばかりなのです。
ただ、それでは学生が求めている答えではないので、一生懸命辛かった時を思い出しました。
一番辛かったのは、オーストラリアに渡って半年位したとき、目標がなくなったときでした。信頼していた友達が去り、思っていたほどオーストラリアの生活も楽しくなく、かといって「これをしよう」という目標もなく、なんとなく毎日を過ごしていた頃、将来に対してはとても不安があり、辛かったです。
目標に向かってがんばれているときと言うのは、経済的に苦しくても、体力的にきつくても、平気です。一番辛いのは目標を失ったときです。
そのとき、どうやって乗り切ったのか?
妄想です。意味もなく、空港へ行って飛行機が飛んでゆくのを見ていました。自分があの飛行機に乗って、どこかへいってしまったら、そこでどんな生活ができるだろう? とても幸運にも大富豪と仲良くなり、プリティウーマンのリチャードギアみたいな仕事と生活をしていると、幸運にもジュリア・ロバーツみたいな人と出会って・・・
また、ノースヘッドという断崖絶壁に行って、波を見ていました。そう言う物を見ながら、自分がスターチャイルドとなって宇宙を漂いながら、地球を眺めたら・・・
なんて妄想をしてました。そのうち小さな目標を見つけ、少しだけ日々の生活が意味のあるものになり、良い出会いもあって、一生の目標を得ることができました。
何となく、学生達が求めているような答えではなかったかも知れませんが、事実なので仕方ありません。
そんな話をしながら、「最近つらいなぁ」と思うことがあるのですが、よく考えれば目標を失ったときよりはマシか、と思い直すことができました。
「家族全員が健康である」これ以上の幸せはありません。
もし、家族の誰かが病気にでもなったりしたら、どんな良いことが起きても幸せではないでしょうし、それに比べれば、辛いと考えていることはとても小さなことだと思えます。
20歳くらいの頃には、全く意味が理解できませんでしたが、今は心から「健康」に感謝できるし、家族の健康が最大の喜びです。