出会い週間(3):森本尚樹さん

出会い週間3人目のお会いした方は、以前私が本の感想をブログなどに書いた「マーケティングは他社の強みを捨てることから始まる」の著者の森本尚樹さんです。

 

そもそも、なぜ森本さんとお会いすることができたのか、と言うことなのですが、それが本当に信じられないようなきっかけでした。先日、突然森本さん本人から「感想を書いてくれてありがとう」とメールを頂いたのでした。最初は、新手のスパムか何かと思ったのですが、よく読むと本当にご本人でした。

メールには「また機会があればお会いしてお話しでもしましょう」と書かれており、「来週東京へ行きますのでぜひ・・・」という感じでお返事を書きました。そしたら「では23日に」という具合に決まってしまいました。

トントン拍子に決まってちょっと驚きました。

実際お会いしたときに「私は社交辞令という言葉を知らないので、今度会いましょうと言われると本当に会いに来てしまいます。すみません」と謝ると森本さんも「それは私も同じです」と笑って言われていました。

 

実際に森本さんとお会いして、お話を聞いて、もの凄く勉強になりました。本はいろいろな人に向けてある程度抽象的に書かれているところを、より具体的にお話しいただいたりして、実践的なヒントもたくさん頂きました。

 

また、勉強になったと言うだけでなく、とても楽しい時間でもありました。思わず話し込み、名古屋まで行く最後の新幹線で帰りました。

 

それにしても、会いたいと思って、思って思っていると会えるもんなのだなぁと人ごとのように感心してます。これからも、自分が会いたい人のことをドンドンブログに書いて、強引にでも会いに行きたいと思います(笑)。

 

 

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出会い週間(2):美濃焼エバンジェリスト水野真孝さん

出会い週間の今週出会った二人目の方は、美濃焼エバンジェリストの水野真孝さんです。

私の家に近いところ出身で、現在は東京に暮らしながら美濃焼を何とかしようと活動している方です。

 

私自身、伝統工芸としての美濃焼だけでなく、産業としての美濃焼については、山盛り意見、考え、思い、アイデアがあり、その一部を実行したりもしています。ですので、水野さんとは、もの凄く共感する部分が多いです。

 

簡単に言えば、

  • 美濃焼(若手陶芸家)というのはもっと評価されるべきである
  • 伝統工芸としてだけでなく産業としての美濃焼の衰退は忍びない

というものですが、それに対してやるべきことはもの凄く多くて複雑で難しいのです。

  • 若手陶芸家が正当に評価される場を作る
  • 産業としての美濃焼がどんなにスゴイものかをみんなに知ってもらう
  • 新しい流通方法を作る
  • 地元の子供達に美濃焼のすばらしさを知ってもらう
  • 観光地スポットを作る

こんなものだけではないのですが、どれかひとつでなんとかなるものではなくて、全部またはほとんどができないと、本当の問題解決はできない気がします。

でも、それをするにはもの凄く多くて高い壁があります。そもそも、部外者のワカゾーが、偉そうにそんなことを言っても聞いてもらえません。それなりにお金も必要で、個人や一企業の利益のためにやることでもないので、組合や行政などがやるべきことも多いのです。

この組合や行政というのは、もっとも動かしにくい存在です。責任のなすりつけあいや、利益の独り占めをしようという方向にドンドン進んでしまうからです。

 

その点は、水野さんも実感されていて、あきらめないといけないかと考えたこともあるそうです。

私も、全てを解決する特効薬的な回答や方法、ビジョンは見いだせていません。でも、なんとなく自分たちが取るべき方法というのは感じています。それは、まずは、全体のことを考えず、小さなことを行ってゆくことです。それが焼け石に水のように思えても、やり続けることです。

それがいつか、全体の動きにつながると信じています。

 

ひとりでやっていると、どうしてもやっぱり無理なことをやろうとしているのではないかと思えて、へこたれそうになってゆくこともあります。そう言う意味では、もの凄く共通の意識を持った仲間に出会えてのは、とても勇気づけられました。

 

いつかは、大きな目標が達成できるように、お互いに協力して小さなことでも続けてゆきたいと思います。

 

 

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出会い週間(1):Asimonさん

今週は、初対面の方と何人かお会いして、お話をさせていただくことができました。

とても貴重な出会いというか、楽しい出会いであり、楽しい時間が過ごせただけでなく、心や頭に残る言葉を多くお聞きして、元気や勇気や知恵を授かりました。

 

こんなに重要な出会いが、こんなにまとまって来たのは生まれて初めてかもしれません。

 

最初にお会いしたのは、Asimonさん。

Secondlife上では有名な方で、同じく有名なうちのエースとAsimonさんが会う機会ができたので、社長特権(?)で便乗させてもらいました(笑)。

 

話は、Secondlifeのことだけでなく、ビジネスのことだったり、会社のことだったり、デザインのことだったりと広範囲でありながら、深いところまで掘り下げたものでした。

Asimonさんの、考えやお話には非常に共感するところも多く、いくつかのキーワードが、頭や心に残りました。

 

久しぶりに肉をたくさん食べ(?) 楽しく有意義な時間でした。

 

 

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最近の若いもんは・・・

日曜日に、最近の若いモンに会ってきました。私自身、まだまだ「最近の若いモンは・・・」と言われている存在だと自負しておりますが、冷静に考えると、今の大学生の2倍近く生きており、その人達と比べれば「過去の若いモン」かもしれません。

 

そのより新鮮な「最近の若いモン」には、インターンシップフェアという大学生が集まるイベントでお会いしました。インターンシップに興味のある大学生と、インターンシップを受け入れたい企業の社長が、話をするようなイベントです。

 

私は、20代前半の人たちと話ができるイベントは大好きです。何故かというと、私の20代前半から中盤というのは、おそらく私の人生の中で非常に重要なターニングポイントだったからです。そのときの感覚を思い出すには、そう言う世代の人たちと、話をするのが一番よいと思っています。

 

30代も後半にさしかかると、ついつい「守り」に入ってしまいそうになります。そんなときに、がむしゃらにもがいて、走り抜けていた頃を思い出すと、また、やる気が補充される気がします。

 

そんなわけで、今回のイベントも本来の趣旨とは関係なく(というか、そもそも趣旨が分かっていなかった)、楽しい時間を過ごせました。

 

話をした学生さんは、みんな素晴らしい人たちばかりでした。これは本当にそう思います。

 

でも、その素晴らしすぎるところが、ちょっと心配にも思えました。

 

みんな将来のこととか、自分という存在についてもの凄く真剣に、悩み考えているのです。それは素晴らしいことなのですが、でも、私の経験から言うと、考えても答えは出ません。

 自分の天職は何なんだろう? って、じーっと座って考えていても答えは出ません。生き甲斐、人生の目標、みんなそうです。20歳そこそこの若者が、考えて答えが出るような問題ではないのです。私だってまだ分からないことも多いです。

  では、どうすべきかというと、ひたすら何かに必死に取り組むことです。世間の人は「くだらない」と思うようなことでも、何でもよいので必死に挑戦して、失敗して、それを乗り越えてみることです。そんなことを繰り返しているうちに、少しずつ自分のやるべきこと、やりたいことが見えてくると思います。

 

 そう言う意味で、あまりにも真面目で真剣に悩んでいる最近の若いモンは、素晴らしいのだけど、ちょっと心配。悩むのは大いに結構。でも、立ち止まって悩むのではなく、全速力で走りながら悩むべきだと思うのです。老人になってから、全速力で走りながら悩むのは大変なので、老人になったときに座って考えられるように、若いうちは、若者らしく、無鉄砲でバカバカしいことを、やっていていいのではないかと思ったのでした。
 

 でも、とても楽しくて、私自身が元気になれたイベントでした。

人生を変えた言葉

心に響いた言葉というのは、ずっと記憶に残り、その後の自分の考え方や行動に影響を与えることがあります。

 

私もこれまで、いろいろな人からいろいろ心に残る言葉をもらい、いろいろなときにそれを思い出すことがあります。

 

その一つは、中学1年生の時に、所属していた水泳部の先輩から言われた言葉です。その先輩は、個人では県大会で優勝するくらいの水泳の成績を残し、また、部長として団体(学校別)でも総合優勝をしていました。

また、学業成績も極めて優秀で、中学卒業後はその地区で一番の進学校に行き、有名大学に行きました。

当時、私は、一応1年生の中では一番よい成績で、県大会などにも出させてもらっていました・・・が、とても団体優勝に貢献するようなレベルではありませんでした。

 

 

 その先輩が、中学の卒業が近づいたとき、私ともう一人1年生の水泳部員を呼び出して、言われた言葉が今でもとても印象深く心に残っています。そのときの状況は鮮明に記憶しています。

 

そのとき言われたのは、

「おまえ達二人が、2年後には水泳部の部長と副部長になれ」

ということと、よく勉強して

「 K高校(その先輩が行く高校)へ来い」

と言うことでした。今よりずっと謙虚だった(?)中学1年の私は

「僕らはバカだからK高校なんていけませんよ」

と言うと、

「常に考える癖をつければ大丈夫だ。常に考えろ。授業中他の人が先生にあてられて話しているときも、自分ならどう答えるかを考えろ。何かテレビを見ていても、遊んでいても、それについて常に考えるくせをつけろ。」

と言われました。この「常に考える癖をつけろ」という言葉はもの凄く印象に残りました。自分が憧れる先輩が、わざわざ自分を呼び出して、言葉をかけてくれた、ということがとても嬉しかったせいもあると思いますが、その言葉の意味を、ずっと深く考えたことを覚えています。

 

2年後、先輩の予告(?)通り、私は水泳部部長に、もう一人の友人が副部長になりました。残念ながら水泳部の成績は先輩がいた頃ほどにはよくありませんでしたが、それなりの成績ではありました。

 

高校は、二人とも先輩に言われた高校とは違う高校に行きましたが、私は高校に入ってからも、水泳を続け、大会や県の合宿などで、その先輩にはお世話になりました。

 

「常に考える癖をつけろ」

 

という言葉は、今でも常に意識して自分の行動に大きく影響しています。街で見かける、広告を見ても、買い物をしていても、すれ違う車を見ても、レストランで食事をしていても、考えています。広告の特徴、なぜ、この広告は目につくのか、どうしてこんなに安く売れるのだろう? どういうビジネスモデルで成り立っているのだろう、何故スポーツカーには小太りの男が乗っていることが多いのだろう。全て、自分なりの結論が出るまで考えています。

 

これは、もの凄く自分の人生を豊かで楽しいものにしてくれている要素です。人生を変えた言葉のひとつだと言っても過言ではないと思います。

 

 

私の人生に大きな影響を与えた、その先輩ですが、高校卒業後は一度も連絡を取らず、何をされているのか全く知りませんでした。東京の大学に進学されたので、そのまま東京の一流企業にでも就職したのかなと勝手に思っていました。

 

ところが、最近思わぬところで、先輩の消息を知りました。

先日、仕事の取引先の社長と話しているときに、「柴田さんと同じようなことを言っている人がいるよ」と言われ、その人が本を書いているからと、その本を勧められました。

その本の著者名を見てビックリ!!

 

なんと25年くらい前に私に「常に考える癖をつけろ!」と言った先輩だったのです。

 

その先輩は、私と同じ多治見で、私と同じ約10年前に起業され、現在は私とは比べものにならないほど大きく会社を成長させておられました。私はそんなことは全く知らず、その会社のお客さんとなっていました。

 

無性に、先輩に会いたくなったのですが、先輩は秘書がスケジュールを管理しているような会社の社長になってしまっており、簡単には会えなさそうです。

 

今は、毎日のように、どうやったら先輩に会えるかを考えています(笑)。

 

小原さん! どうか飯でもおごってください!!