オーストラリアでやったアルバイト(2):ケーキ屋さんの掃除など

前回書いた、レストランのウエーターと、クラブのウエーターのアルバイト以外にもいろいろなアルバイトをしました。同じ時期に掛け持ちでやっていたものもあります。

■ケーキ屋さんの掃除
 バイト代よりも、余ったケーキがもらえるのがうれしかったです。

■ゴルフのキャディー
 ゴルフをしたこともないのに・・・

■英語学校でのカウンセラー?
 日本人の生徒の現地での生活全般のサポート

■タイピスト
 手書きの文章をワープロなどに入力

■出張パソコン教室

それ以外にも短期や単発でやっていました。
あと「給料はくれなくていいから働かせてくれ」と頼み込んで、現地のシステム開発会社にも通っていました。本来はこれで生活したかったのですが、英語もあまり話せない外国人はなかなか雇ってもらえないので、勉強のつもりで無給で通っていました。
どのバイトも非常に給料は安かったので、いつでも金欠でした。・・・が、それで悲壮感というのは全くありませんでした。それは私の性格と、オーストラリアの風土が貧乏=不幸とは感じさせなかったのだと思います。

ビーチ沿いのアパートで、朝、海に入って波と戯れ、昼間はお金をもらえない会社で働き、夕方から夜中まではアルバイト。
休みの日は友達と、ボロボロの車で遊びに行ったり、釣りをしたり。
アルバイトが終わった後(真夜中)に、カラオケボックスに行ったり。

とにかく楽しくて仕方のない日々でした。

 

■関連リンク

 

 

オーストラリアでやったアルバイト(1):ウエイター

オーストラリアに着いて、1ヶ月もするとほとんどお金がなくなりました。

そこでアルバイトを探しました。最初は、ほとんど英語も話せないので、普通の現地の会社などでは働くことは出来ず、日本食レストランと、クラブ(お酒を飲む方の)でウエーターとして働きました。

このときのクラブでのバイトは、とても良い経験となりました。お客さんとして来る人は、日本を代表する大手企業の駐在員などで、そういう人たちと知り合いになれ、いろいろおもしろい経験や勉強をさせていただきました。
バイト代はかなり安くて、とても貧乏な生活をしていましたが、その代わりというか、タダ、いろいろな体験をさせていただきました。
一番多いのが、お客さんに誘って貰って、超高級レストランなどでの食事、旅行などです。

某大手航空会社の機長さんに誘って貰って、その航空会社系のホテルの超高級フロアで食事や宿泊をさせて貰ったり、そのフライトのスタッフとのお食事会に誘っていただいたり(当然女性が多いです(笑))したこともあります。
マグロ漁船の現地サポートをしている会社(?)の社長に誘われて、マグロ漁船の上で、取れたてのマグロを食べながらのパーティーなども何度かありました。そのとき食べたトロは本当にうまかったです。

結局、そこでのバイトは1年ちょっとしましたが、そこで知り合った人や、経験が、その後のオーストラリアの生活に、いろいろな影響を与えました。

■関連リンク

私の人生を大きく変えたオーストラリアでの生活

オーストラリアで4年ほど生活していたことがあります。

そのときの生活は、その後の私の人生を大きく変えることになりました。人生観を大きく変え、現在の会社もオーストラリアで操業しました。

そのときのことを少しずつ書いてゆきたいと思います。

まず、なぜオーストラリアに行ったのかという理由ですが、あまり大きな理由はありませんでした。当時勤めていたた某大手ソフト会社で、自分の明るい将来が見えない気がして、会社を辞めようと思いました。
「何がしたい」という事がないけど何となく会社を辞めます、というのはかっこ悪い気がしたので、「外国に行きたいので会社を辞めます」と言って辞めたという程度です。

そんなにお金もなく、長く海外で生活するためには、ワーキングホリデイビザしかないと思ったので、当時ワーキングホリデイビザが取れる、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアの3カ国の中で、海が一番良さそうな国という理由でオーストラリアを選択しました。

そこで、1年くらいプラプラ過ごして、将来のことなどを考えようか・・程度にしか考えていませんでした。

ところが、結局オーストラリアには4年以上滞在し、人生の転機となりました。

15年後の会社の目標

会社も個人も成長するためには必ず目標設定が必要です。

目標も短期的なことであれば、比較的簡単に考えられます。
しかし、本来目標は、遠いところから設定し、それに合わせて細かい目標を作らなければいけません。

つまり、10年後にこうなる!という目標のために、5年後にはこうなっていなければいけない、3年後にはこうなっていなければいけない、1年後には・・・、半年後には・・・という具合です。

10年以上先の目標(理想)を設定するのは非常に難しいです。これまで目標としていたのは「社会的影響力の強い会社になる」というものです。大きな予算で大きな仕事ができるようになれば、社会的影響も大きくなりますし、従業員が何万人にもなれば、会社を移転するだけで地域に多大な影響を与えます。トヨタのように地名まで変えてしまうかもしれません。

この目標自体はなかなかよいのですが、もう少しわかりやすい目標も作りたいと思っていました。そこで考えたのが、人気の高い企業になるというものです。
http://job.goo.ne.jp/topics/special/itr/01.html
http://job.nikkei.co.jp/2007/contents/corp/ninki/
こういう調査で上位にランクインするような企業になりたいと思います。

「15年後に、(どこか大手)就職・転職ランキングでNo.1になる」

これが目標です。

長期の目標がしっかりすると、短期の目標は簡単に明確になります。

人気の高い企業になるには、高い利益率で高収益をあげ、魅力的な報酬、魅力的な福利厚生、やりがいのある仕事、そこで働いていることを自慢したくなるために会社(ブランド)の認知を高める、などが必要です。認知を高めるためには、十分納税し、十分な社会貢献をし・・・。もしかしたら株式公開というのもよいかもしれません。

・・で、明日から何をすべきか?

まずは目標を言いふらして、常にみんなで目標を意識して行動するようにしたいと思います。

マイクロソフトの社長でなくてよかった

私も一応、社長という立場ではありますが、かなりお気楽な社長です。
マイクロソフトの元社長の古川さんのブログ(http://spaces.msn.com/members/furukawablog/blog/cns!1pmWgsL289nm7Shn7cS0jHzA!2246.trak)を読んで、つくづく思いましたが、マイクロソフトの社長でなくてよかったです。というか、もちろん私などマイクロソフトの社長になどしてもらえるわけがないのですが、会議中に失神して救急車で運ばれるなんて、どんなに給料もらっていてもいやです。

だいぶ前に、マイクロソフトに勤めている人からマイクロソフトで働かないかと誘われて、東京の本社まで行ったことがあります。自分で会社を興すのでも、マイクロソフトで経験や人脈を作ったらよいのではないかと言われました。
 私は20代後半まで、一切メモを取らなくても会議中での発言は、誰がどのタイミングで何を言ったかまで覚えていました。また、同じ瞬間に複数のことを同時に考えたりもできていたし、今より、かなり頭は切れていた方だと思います。おかげで、人を馬鹿にして生きていた感もあります。
そんな男が、とても優秀な人と達と、ぎりぎりのところでせめぎ合いながら仕事をしたときに、どうなっていたか。自信喪失して退職し、ひねくれた人生を送ったか、それとも、そのプレッシャーを乗り越えてステップアップして、さらにレベルの高い人生を送ったか、どうなっていたかはわかりません。

ちなみに今の私は、メモをしても、メモをしたことすら覚えていないし、一つのことを考えるだけでも精一杯な状態です。おかげでかなり謙虚になれました。
零細企業の社長として、何度かの危機を乗り越えて打たれ強くもなりました。

間違いないのは、今までの人生のすべての選択は、今の自分になるためにの唯一にして、最高の選択だったと言うことです。