目標設定&目標達成を繰り返す意味

今日、久しぶりに会った方に「痩せました?」と聞かれてしまいました。

最近、妻や子供にも「痩せた、痩せた」と言われています。

言われるほど痩せたわけではありませんが、体中の皮下脂肪はなくなったと思います。長時間座っていると、おしりが痛いのはおしりの脂肪がだいぶ減った証拠だと思います。

妻には「どうしたいの?」と聞かれますが、自分でもよくわかりません(笑)

ひとまず、体脂肪率を落としてみようと思って、そのとおり落ちた・・・目標を建てて実現する、ただそれだけなのかもしれません。

成功体験を繰り返すことで、自信がつきます。その為には、どんなことでもよいので、目標設定&目標達成をすることには意味があります。

社長の評価は結果のみで

一般的に、会社の役員を評価するときには結果を重視し、担当者を評価するときには過程を評価するとよいと言われています(もちろん部署にもよります)。

過度な成果主義を担当者レベルで採用すると目先の数字を追ってしまったり、他人の足を引っ張ったり、クレーム処理のような売上につながらないけど、会社にとっては重要な業務を疎かにされたりします。なので、担当者レベルでは過程や内容も評価する必要があります。

自分の所属部署全体や、会社全体が見えるようになってきたら、結果重視の評価の比率を高めていくのがよいです。

社長の評価は、会社がちゃんと儲かっているのかという結果だけをみて評価されます。どんなに頑張ったって、会社が赤字で給料も払えないような会社の社長は評価されません。

「今年は、儲からなかったけど、本当に一生懸命頑張ったから、借金の返済を猶予してあげます」なんて、銀行が言ってくれたらいいのですが、絶対にありません。

最終的には、自分があんまり頑張らなくても会社が儲かるような仕組みや組織を作って、自動的に良い結果が出続けるようにするのが多くの社長の目標です。

ズッコケそうになりましたが、全体的には期待以上でした(岐大生の私の話のまとめ)

今日、岐阜大学で「私らしいキャリア設計」の授業がありました。前回の授業では、我々ゲスト講師が話をしたのですが、それを受けて今回は学生たちが、グループ毎に発表をしました。

自分の話したことがどれくらい正確に学生たちに伝わっているのか、とても興味深く楽しみな授業でした。自分のことを、他の人が発表をするのを聞くのは生まれて初めての経験かもしれません。

内容については、思った以上に理解してもらえていて驚きました。

授業の最後の講評のときに、私は「誤解されていることが多くて驚いた」的なことを言ってしまい、授業後に私のことを発表した学生から「スミマセン。どこが違っていたでしょうか」的なことを言われたので、それに対するフォローをこのブログでしようと思います。

確かに大きな誤解があり、そのインパクトがとても大きかったのも事実です。それは「柴田さんは既にやりたいことを全てやってしまって、もうやりたいことはない」というようなことです。吉本新喜劇バリの勢いでズッコケそうになりました(笑)。

これについては全く逆で、やりたいことが多すぎて、ちゃんと優先度をつけて行うことに頭を悩ませています。

あまりに、その印象が強かったのでつい行ってしまったのですが、それ以外では考えてみると、かなりちゃんと伝わっていたと思います。多少解釈のズレはあっても、本質的なところが伝わっていたのはとても嬉しかったです。

学生からの質問の多くは「挑戦しなければいけないことは分かった。けど、一歩を踏み出す勇気がない。どうしたら一歩を踏み出せるのか」というようなものでした。

若者の特権は、身の程知らずでいていいことだと私は思います。私自身、身の程知らずで、自惚れていました。だから、本気でできると思っていたし、それで何も心配せず挑戦していました。

あと、何も考えず言われたことを全てYESで答えるというゲーム(?)をしていた時期もあります。経歴詐称しまくってオーストラリアで就職したときには、詐称しているので、なんでもできるとボスは思っているので、ドンドン難しい仕事を私に言いつけます。できないと嘘つきになってしまうし、詐称がばれるので、必死に頑張ります。そうしているうちに、経験を積み、実力もついてきます。だんだん身の程を知ってきて、虚構の自信はなくなってきます。その自信がなくなるペースよりも、本当の経験に伴う本当の自信を付けるペースが早ければ良いと思います。

この話が、ほぼ正しく理解してもらえていたのが嬉しかったです。

私が心配になるとき

私は、いろいろなことがうまくいっているときは、心配になります。逆にうまくいかなくて、苦しんでいるときは安心します。

昔からそうですが、近年ますますその傾向が強くなっています。

うまくいっているときは、何かそのうまくいっていることが、うまくいかなくなる事を恐れます。

うまくいっていないときは、いろいろ頑張っているうちに、必ずうまくいくと信じています。試行錯誤して、失敗を繰り返しているということは、成功する確率がドンドン上がっていっているということなので、ドンドン安心してゆきます。

恐らくこういう考え方は、人生を失敗しにくくすると、思います。うまくいっていないときは、経済的だったり物理的には苦しくても、精神的に幸福だし、うまくいっているときは、精神的にはちょっとブルー気味ですが、経済的、物理的には満たされていて、結局、どんなときも、そこそこ幸せを感じていられます。

その場で考える力

先週の岐阜大学での講義の後、提出されたアンケートの回答にこんな感じのことが書かれているものがありました。

急に言われても質問もできないので、予め準備するために課題などを教えておいて欲しい。

恐らくこの学生は、小さい頃からちゃんと授業の前に予習をしてきているのでしょう。問題も答えも教科書に書かれている、もしくは先生が知っている勉強では、そういう姿勢はとてもよいし、先生にも評価されます。

家で妻に話したら、世の中の大半の高校生はそうだと言われました。ちゃんと前日に予習をして来るものだと。予習できないと不安で授業が受けられないのだと。

私の場合は、チャイムが鳴り教室に先生が現れて「あっ、次は数学なんだ」と知って常に学校に置いてある教科書を出す高校生だったので、予習という言葉の意味すらよくわかっていませんでした。そのため、それなりの学業成績でしたが、逆に言うと(頭の)反射神経はとても鍛えられていたと思います。今でもプレゼンをするときは、事前に準備する発表本体よりも、その後の質疑応答の方が得意なのは、その頃からの訓練の賜物かもしれません(笑)。

いずれにしても、ちゃんと準備ができる課題や授業内容になってしまうのは(特に高校くらいまでは)、そうして生徒を学力で分類しないと学校制度が成り立たないので、しかたありません。

でも、世の中の大半は、正解は無いか、誰にもわからない問題であることが多いです。また、そもそも問題や課題そのものを見つけることからやらなければいけません。その場で課題に直面し最高の成果を出さねばいけないことも多々有ります。

今回授業を受けていた学生は大半が4月に入学してきたばかりの1年生でした。彼ら彼女らには、卒業までの4年間で少しでも、正解のない問題や、問題のない問題というものが、社会では多いことを理解して、その社会で生き抜くための力を身につけて欲しいと思います。