メールを書くときに気を使う相手

日本人以外で、日本語の上手な人に日本語でメールを送る時、日本人にメールを送るより緊張します。

英語で書いたりすることもありますが、その時は気を使いません。間違っていて当然、という感覚が自分にも相手にもあるので、多少の文法のミスなどは気にせず書きます。あまりに文章がひどい場合は相手が訂正して教えてくれるので、勉強にもなります(ゴメンナサイ)。

一方、日本語でメールを送る場合は、緊張します。絶対に間違えないように、複数の意味を持つような文章にならないように、読みやすい文章になるように・・・などなど、いろいろ考えます。

私がメールを送る日本人以外の人は、かなり日本語のレベルが高いので、漢字や言い回しなどは特に考えてレベルを落とすようなことはしません。もしかすると、相手の知らない漢字だったり言い回しを使っているかもしれませんが、その人達は、それをちゃんと辞書で調べることはできるので、それこそ勉強にもなるだろうから普通に日本人が使う漢字や言い回しを使います。

でも、文章は何度も見直して問題がないことを確認します。気を使います。

普段何気なく使っている言葉も勉強しなおしたりします。なぜ、そこまで気を使うのかというのは、職業病というか癖のような物だと思います。

今の会社を作る前に働いていたのはオーストラリアの翻訳会社です。その会社では、もともと、(かなり職歴やスキルを詐称して)タイピストのアルバイトとして入社し、2年ほどで翻訳された日本語の検査する人になりました(時給は10倍くらいになりました)。そこでは、かなり日本語のうまいオーストラリア人の翻訳者の各日本語をチェックして、ほんの少しのミスも指摘する仕事をしていました。

日本語ができる友達のほとんどは、その会社で知り合った人たちなので、その頃からの癖で、日本語の専門家っぽく振舞っているのだと思います。

彼ら、彼女らとの出会いのおかげで、私は日本語の勉強をするようになりました。学生時代全く興味のなかった国語に興味を持ち、大人になってから、日本語の基本的なことから勉強しなおしました。

今でも緊張感を持って、日本語の文章を各チャンスをもらえるという意味では、とてもありがたい存在です。

常に日本語を勉強し続けている彼ら、彼女らに負けないように、より高い日本語のレベルを目指して私も勉強し続けてゆきたいと思います。

 

人の言うことを聞く

前回のブログ記事で、ちょっと誤解を招いた感もあるので、ちょっと補足的なことを書きたいと思います。

 

私はいろいろな人を尊敬しているし、いろいろなアドバイスを頂くことはありがたいと思っているし、良いと思ったことは取り入れて実行するようにしています。

 

昔からそうだったかというとそうではなく、20代の頃は人の言うことは聞かなかったし、どちらかというとアドバイスを受けるとその逆のことをしていいました。例えば、「今は景気が悪いから起業しない方がいい」とか「起業するにしてもいろいろな会社で働いて勉強してノウハウや人脈を得てからの方がいい」と言うようなアドバイスをもらっても、全く聞き入れませんでした。

 

そのおかげで、苦しい思いもしましたが、苦しさを乗り越えることで大きく成長できました。

 

他人のアドバイスを聞くべきかどうか、というのは一概に言えることではありません。

※この場合の「聞く」というのは言われたことを実行すると言う意味で使っています。

 

考え方としては、若いうちは聞かなくて良いが、年を取るにつれて聞いた方が良いと思います。

 

若いうちは、ある程度自分で勝手に決めて、実行し、それで反感を買って、失敗してもよいからです。どちらかというと、そうして失敗してそれを乗り越えたときに得られるものが大きいし、いろいろな意味でやり直しがしやすいから。

 

逆に年を取ってくると、あまりアドバイスをもらう機会も減るし、若い頃に比べれば正しい判断がしやすくなるので、アドバイスを聞き入れる確率は必然的に高くなると思います。

 

具体的な適正年齢は人によって違いますが、30歳くらいまではあえて失敗する道を選ぶくらいでも良いと思うので、あまり聞かなくてもよいと思います。キツイですけどね「ほらみたことか」と言われまくるので。

 

私自身、特に意識をして他人のアドバイスを聞くようになった訳ではなく、何となく自然とアドバイスの有り難みを感じるようになってきて、聞き入れる割合が高くなってきています。

60歳くらいになったら、素直に自分の子供達や若い世代の人たちの言うことを聞けるようになりたいと思っています。

 

・・・で、最初に戻りますが、私はアドバイスをして欲しくないわけではないし、アドバイスをもらえればちゃんと熟慮します。その上で実行しないことはあっても、アドバイスをもらえること自体はとても感謝しています。

ただ、「お前は不幸だから(私の言うとおりの)幸せな人生を送れ」的なアドバイスは拒絶するし、そう言う話をされると居心地が悪いです。というのが前回の記事の主旨です。

 

私の好きな人、そうでない人

いろいろ考える事の多い週末でした。別に悩んでいるわけではありませんが、先週いろいろな人と、たくさん話ができて、いろいろ考える機会があったということです。

その中で、自分が心地の良い時間と、心地の悪い時間があり、その原因や理由を考えてみました。

一言で言えば、自分が好きな人と一緒にいるときは心地良く、好きでない人と一緒にいるのは居心地の悪い時間になります。

では、どんな人が好きで、どんな人が好きでないのかと考えてみると、これが奥深くなかなか、結論まで達せずに、長く考えることになりました。

自分が好きだな、この人は友達と呼べるな、と思う人を思い浮かべて、カテゴライズしてみても、表面的なスペック(年齢、性別、職業、年収、社会的地位など)は、バラバラです。

その人達の共通点は、自分の生き方というのものを持っていて、頑張っている人たちです。別にそれが収入を得るための行動とは限らないので、収入の多い人も少ない人も混ざっています。年齢の高い人も低い人も混ざっています。

それぞれが、自分の「楽しい人生」を持っていて、それを行っている人です。

私も、世の中の多くの人とは大分ずれた人生を送っており、それがとても楽しいです。

でも、さらにさらに考えを進めてみると、それだけではないその人達の共通点があります。それは、その

「自分の人生観を他人に押し付けない」 

ところです。

 私にとって、最も不快なのは他人の人生観を押し付けられることです。それがどんなに正しいことであっても、押し付けられると拒絶します。ルールを破ることはいけないことですが、人生観はルールではありません。

私も、大学生の前などで自分の人生観を話すことがあります。そして、共感してもらえると嬉しいです。でも、それを強要する気はまったくありません。

人生観を共感できる人同士で、仲良く楽しいお話ができることは嬉しいですが、それを望まない人に、無理やり参加させることはしたくないし、してほしくないのです。

よくよく考えると、20歳ころからの私のいろいろな大きな決断や行動の理由は、全てこれに基づいている気がします。 

結論

私に取って心地良い人たちは、いろいろな人生観をもって、それぞれの生き方をしている人たちで、その生き方はバラバラです。ものすごくビジネスで成功している人もいれば、経済活動以外で頑張っていてすごく貧乏な人もいます。共通点は、その生き方に誇りを持っており、かつ、それを他人に強要しないことです。

・・・ということに2日かかってたどり着きました。 

大雪で大混乱の電車移動

今日は、だいぶ前から予定されていた福井出張でした。

前日天気予報で大雪だと言われていたので、いつもより早く起き、雪かきをして、いつもより早く家を出て、いつもより早い電車に乗りました。

名古屋までは順調に来られたのですが、そこからが大混乱でした。

岐阜駅構内で貨物列車の故障によって東海道線が全て止まり、いつ、動くかわからない特急しらさぎ号を酷寒のホームで待ちました。1時間半くらい待ったところで、乗ろうと思っていたしらさぎ号が運休になり、新幹線に乗り米原まで行きました。

米原で、1時間半くらい待って、米原発のしらさぎに乗って福井に向かいました。

・・・と、文章にするとこれだけなのですが、実際はとてつもなく寒くて苦しい待ち時間でした。

しかも、その間に、払い戻しや指定券の取り直しなど、現在手元にある切符やJRの領収書や、払い戻し券などは、9枚!!

特急券の払い戻しは時間がなかったので、明日、帰りに駅で行います。 

みなさん、それぞれの事情があって、イライラしていました。私もお客さんに迷惑をかけてしまうので、困っていましたが、目の前にいるJRの職員にしても、なんともならない状況なので、八つ当たりして不満を吐き出すよりも、冷静に少しでも良い状況になるように考えました。

おかげで、店もベンチも何も無い米原駅では、新幹線の待合室で待つことができ、米原から大混雑だったしらさき号も指定席をもらって座ってこれました。

どんな状況においても、冷静に、その状況での最善の解を探すことはとても重要だと改めて感じた一日でした。

Twitterの威力?

Twitterを使い始めて 

一昨年から、Twitterを使い始め、日常生活で感じたことなどは、ブログからTwitterで発言するようになってきました。

ブログとTwitterの使い分けにルールなどは無いのですが、私個人としては、思ったことをすぐに書くのをTwitterで行い、ちょっと気合を入れて書くのをブログで行っています。

そのため、Twitterでの発言が増えることで、ブログの更新頻度が落ち、ブログの記事の平均文字数が増えてゆきました。 

ブログの更新頻度は下がったけれど 

一般的に、ブログは更新頻度とアクセス数は比例します。更新頻度が高いブログほど、アクセス数は増えます(他の条件が同じなら)。

Twitterに軸足がシフトしてきた昨年後半からは、ブログの更新ペースが以前の半分くらいになってきました。普通に考えれば、それに伴いブログのアクセス数も減るはずですが、昨年後半から急激にブログのアクセス数が増えてきました。

特にブログを更新していない日のアクセス数が増えました。Twitterを始める前は、更新をしない日のブログのアクセスはかなり落ち込んでいましたが、最近はあまり落ちません。

仕事の内容的の変化により、以前に比べていろいろな人と話をする機会が増えたことも要因だとは思いますが、やはり、一番の要因はTwitterだと思います。 

新規のブログ閲覧者の流れ 

Twitterで絡む→Twitterのプロフィールを見る→ブログを見る

という流れで新しい読者が増えているのだと思います。

今後もブログは更新し続けますが、ブログでは「考え」を、Twitterでは「状況」を中心に書いてゆきます。ぜひ、Twitterでもフォローをお願いします。

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