ブログ更新の原動力

私は、2年ほど前からブログを書いております。

これまで三日坊主で、日記などを書き続けることができなかった私にとって、2年も続いているのは大変な進歩です(自画自賛)。

 

先日、ある方から「ブログって、真っ暗な洞窟に向かって叫んでいる感じではないですか?」と聞かれました。考えてみれば、確かにそんな感じもします。誰が聞いているのか(読んでいるのか)わからない中で、一生懸命叫ぶ(書く)という感じもします。私自身もそういう感覚を持っていた時期もあります。

ただ、最近は違います。

ブログのページだけ見ていると、一方的に書いているだけで、極たまに、誰かからコメントをいただく程度で、如何にもむなしいのですが、メールでコメントをもらったり、会ったときに「ブログ見てますよ」と言われたり、すると励みになります。

更には、 ブログがきっかけで就職してくれたり、本の著者の方とお会いすることができたりすると、非常に励みになります。

 

そんな励みを糧に、日々ブログを更新しております。

 

でも、本当はもう少しブログにコメント書いてもらえると嬉しいです(笑)。

 

みなさん、よろしくお願いします。
 

お客様は神様ではない!

営業の基本として「お客様は神様である」という考えがありますが、私はこれは間違っていると思います。少なくとも、私のところのように企業が顧客の場合は、お客様と対等(に近い)の立場にないと仕事はうまく行きません。

 

少なくともうちの会社は、その考えを改め、お客様を選別するようになってから、うまくゆくようになりました。

 

お客様は神様だと言って、言われることを全て実施していたら、良いものができあがらないばかりか、自社は利益が出ずアフターサポートも充分にできなくなります。会社が利益を出せないと言うことは、極端に言えば会社が倒産して、一切のサポートができなくなります。

 

専門的なサービスを提供している場合、お客様は専門家ではないので正しい要求ができない場合がほとんどです。お客様から要望が出た場合、何故お客様がそう言うことを言われたのかを考えて、本質的な要望を推測し、それに対して専門家としての提案をすべきなのです。

ときには要望を断ったり、別の方法を提案する必要もあります(「そんな機能をつけたらシステムの安全性が保てないのでできません」など)。 

その為には、神様と奴隷の関係ではいけません。ほぼ対等な立場で、意見を言える(聞き入れてもらえる)関係でなければいけません。

 

そして、更に言えば適正な利益を出せる対価をもらわなければいけません。

「予算がない」と言われたら、闇雲に値引きするのではなく、できるだけ本質的な部分を残して、機能を減らす提案をし、適正な利益を出しながら金額を減らす方法を提案すべきです。

 

もちろん、そのためには、常に企業努力をして、同業他社と比べてより魅力的な提案をできるようにしなければいけませんが、お客様が求めているのが本来の専門的サービスではなく、(とにかく言うことを聞け!というような)神様と奴隷のような関係であれば、そういうお客様は取り引きをお断りすべきです。

 

常に同業他社よりも良い提案を出せる実力と、それを同業他社よりも低コストで提供できる実力を磨き続けることで、適正な利益を出しつつ、継続的に事業を続けられるのです。

それが最終的にお客様にとっても大きなメリットになるはずです。お客様が神様であるという考えは、(少なくともうちの会社のような商売では)お客様を不幸にする考えだと思います。

 

 

 

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【本の感想】コアラ社長の経営戦略

最近、小原さんネタばかりになってますが、著書「コアラ社長の経営戦略−どうすれば地方でNo.1になれるか」についてちゃんと書いておりませんでしたので、書きたいと思います。

 

この本は、 小原さんが起業してから、地方No.1になるまで体験談や、そのとき実践した理論などについて書かれています。

 

起業前に、生まれ育った実家が競売にかけられそうになり、必死に働いてそれを免れた話などは、そのときの状況を想像して涙がでそうになりました。

 

起業後は、25年前に私にアドバイスされたとおり、とにかく他人よりもたくさん考え、たくさん努力することで、現在の地位を築いたそうです。もちろん、本に書かれていない苦労もされていると思いますが、それを苦労を苦労と感じないプラス思考によって、乗り越えてこられたのです。

 

悩んだときに地球儀を眺めて、自分の悩みがちっぽけなものだと考えるようにした話は、私自身も同じようなことを実践していて嬉しかったです。

 

今から起業しようという人にはとても参考になると思いますし、そうでない人にも読み物としてだけでもおもしろい本だと思います。

 

 

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真似するよりも嬉しいこと

若い頃、自分のあこがれの芸能人やスポーツ選手と同じものを持ったり、同じことをしました。そうすることで、少しでもその人に近づけた気がして嬉しかったのだと思います。

 

でも、もっと嬉しいのは、同じものを持っていたり、同じことをしていたことに後から気づいたときです。知らず知らずのうちに、あの人と同じものを持っていた、同じことをしていた、というのは、ものすごくその人に近づけた気がして、非常に嬉しいものです。

 

そんなことが最近もありました。

先日20年ぶりに再会した小原さんの本を読んだり、お話を聞いたら、同じことをしていたり、同じような考えをしていたことがたくさん見つかって、嬉しかったです。

 

小原さんは、悩んだときには地球儀を見るそうです。自分の机にはいつも地球儀を置いておき、何か悩んだときには地球儀を見て、日本がいかに小さく、自分の存在はもっともっと小さく、その悩みなんて大したことないと考えているのだそうです。

私は地球儀を見たりはしていませんが、悩んだときにはとにかく大きいものを見に行くようにしていました。オーストラリアにいたときは、よくノースヘッドという断崖絶壁に行きました。住んでいたところから自転車で15分くらいでいけて便利な場所でしたが、下を見ると人間が米粒くらいに見えるし、南太平洋が見渡せ、自分のちっぽけさを感じるには十分な場所でした。

最近は宇宙の本を見たりもします。どんなに悩んだところで120兆年後には陽子崩壊によって、何もかもなくなる・・・と思えば直面しているどんな問題も大したことないと思えます。

 

それ以外にも、道具をあまり使わない海の遊び(スキューバダイビングよりも素潜り、サーフィンよりもボディーサフィン)が好きであるとか、会社を設立したのが数日違いであったり、将来の夢もなんとなく似ていたりしています。

この夢については、私はともかく小原さんの方は、公開するといろいろ問題になるような気がするので、秘密と言うことにしておきますが、同じようなことを考えていることを先日聞いて驚きました。

 

なんて、先輩との共通点を見つけて嬉しくなっている私はまるで恋する乙女のようです(笑)

 

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【本の感想】木を読む―江戸木挽き、感嘆の技(語り:林以一 著:かくまつとむ)

日本に10人以下しか残っていない「木挽き」という職人さんのインタビューを元に書かれた本です。木挽きとは、
大鋸(おが)という道具ひとつで、銘木と呼ばれる大きな木を切って、柱を作ったり、板を作ったりする人です。ちなみに大鋸屑(おがくず)とは、もともと大鋸から出るくずのことを言います。

木挽きの仕事や、どのように木を取り扱っているのかなどが書かれています。銘木と呼ばれる1本数千万円もするような木を、扱う職人さんが、どんなにスゴイ能力があって、柱などを作りだしてゆくのかや、木がどのように育って銘木になってゆくのかなども書かれています。

日本で建材に使用する木の種類や産地毎の特徴や、見分け方、よりよい使い方なども書かれています。

 

印象に残ったのは、木挽きは、何百年も生きていた木を切って、その命を奪うのではなく、そのままにしておくと朽ちてしまう木を、切って第二の人生(木生?)を始められるようにしているのだというところでした。この本を読むまでは、木を切ると言うことは、その時点で木の命を奪うということだと思っていました。しかし、実際は正しく切って、正しく加工して、正しく使用すれば、そのまま自然に残しておくよりも長く(生き)残ることも少なくないのだそうです。

 

また、木のことだけに限らず、いろいろなところに「昔はよかった」「昔の人はよく頑張っていた」「近頃の若い者は・・・」というようなことが書かれており、少し耳が痛い気もしました。木挽きの世界では50歳くらいでも若手だそうで、そう言う意味では私など子供です。

 

私もいつかは、よい木をたくさん使った家を建てたいとも思いました。

「家を建てるなら、建てる場所の近くで育った木がよい」

というのは考えてみれば至極当然のことです。その地の気候の中で育った気を使って家を建てれば一番よいということです。

 

残念なのは、最近はそうやって家を建てるのには、とてもお金がかかってしまうことです。