江戸時代の医学は西洋医学よりも進んでいた

学校で習った江戸時代の医学は、西洋に比べて非常に遅れていて、それを勉強した杉田玄白が翻訳した解体新書が、医学界に衝撃を与えたり、その後、シーボルトが来て、その知識や技術が、多大な影響を与えた・・・というようなものです。

実際、日本では解体新書が出るまで体の中がどうなっているかという知識はほとんど無く、解体新書が日本の医学知識の向上に非常に役立ったことは間違いありません。

 

しかし、実際の治療技術では、日本の方が優れていたことも多かったようです。例えば、大きな切り傷に日本では、焼酎をかけると治りが早いことを経験上知っていて実施していましたが、ヨーロッパでは、傷の治療や手術の時に手や器具を洗浄する習慣が無く、化膿や敗血症が蔓延していたのです。

しかも、悪いことに、外科技術や麻酔の技術については、進んでいたヨーロッパでは、汚れた手で外科手術を行って、傷口を縫合することで、本来の病気よりも不潔な手術によって、病気を悪くすることもよくありました。

 

また、薬についても、当時ヨーロッパで使われていた最先端の薬の多くは今では考えられないものだったのに対し、日本で当時使われていた漢方薬は、現在では科学的に効果が確認されて、病院で処方されているものも少なくありません。もちろん、これは日本が進んでいたのではなくて中国が進んでいたと言うことなのですが、日本でもこの優れた東洋医学を取り入れていました。

 

 それで、何が言いたいのかということなのですが、何となく私たちは、江戸時代に鎖国をしている間に、日本はヨーロッパから遥かに遅れた社会になっていたように思っているのですが、実際は日本の方が優れていたことも多くあったのです。

 その事をもっと歴史の時間などで教えてもらえれば、もっと早く江戸時代に興味を持って、もっと前から古典落語を楽しめたかもしれません(笑)。

 

 

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江戸時代の初等教育は世界最高水準

 江戸時代の庶民の教育レベルは世界的に見ても非常に高かったそうです。

 

 江戸時代は、現在のように国の制度としての教育はありませんでした。庶民は、基本的に私塾である寺子屋に通って勉強をしていました。

 当時の日本の庶民の識字率は、男子50%程度、女子20%程度です。非常に低いようにも感じますが、当時の先進国イギリスの庶民の識字率は都市部で10%程度だったそうなので、如何に日本の識字率が高かったのかがわかります。

 

 江戸府に限ると、庶民の識字率は70%を越えていたそうで、世界でもダントツの識字率でした。ちなみに全人口の5%程度の武士階級の人たちは識字率ほぼ100%でした。

 火事と喧嘩は江戸の華と言われるほど、火事の多かった江戸では、非常に多くの人が建築関係の仕事をしていた職人だったのですが、字が読めなければ職人にはなれないと、子供は寺子屋に通わせていたそうです。

  もちろん、今の小学生ほどたくさんのことは習いません。基本的には読み書きとソロバン程度ですが、当時の世界で考えると、日本(特に江戸)は、非常に進んだ初等教育の仕組みができていたと言えます。

 

 幕末に、黒船が来て圧倒的に進んだ欧米諸国と、鎖国の間にもの凄く遅れてしまった日本の格差を見せつけられた・・・というイメージを持たれている方は多いと思いますが、実際は日本の方が進んでいたことも多くあったというのが事実のようです。ことに庶民のレベルでは、日本が進んでいたことが多かったようです。

 当時、黒船などで日本にやってきているのは特権階級の人たちばかりなので、その人達と人口の大多数を占める庶民と比べて間違ったイメージができあがっているのではないかと思います。

 

 

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Gmailが日本でも携帯電話から使用可能になりました

ついにGmailが日本の携帯電話にも対応しました。

 

(au携帯には以前から対応していたようですが、私はソフトバンクユーザーなので、これまでは使用できませんでした)

 

待ちこがれていました。

Gmailのサービスが利用できるようになってから、全てのメールをGmailに転送するようにしました。そのおかげで、Gmailにさえアクセスできれば過去のメール(送受信とも)が、いつでも検索できるようになっています。

 外出が多い(最近そうでもありませんが)私にとって、PDAなどでも、過去の全てのメールが検索できるのは非常に便利、というより最近は無くてはならない存在になっていました。

 例えば移動中にお客さんから過去のプロジェクトについて問い合わせがあったりとか、見積について問い合わせがあったりした場合、メールを検索すれば答えられます。

 

 これまでは、出張中にはPDAやノートパソコンを使ってGmailにアクセスしていました。でも、利便性で言えば携帯で使用できることが望ましいので、ずっと待っていました。待ちこがれていました。

 

 早速アクセスしてみると、サービス開始直後と言うことで、多くの人が試しているのかもしれませんが若干遅い気もします。でも、全てのメールが一発で検索できるのはとても便利です。

 添付ファイルについても、ある程度は頑張って携帯でも表示してくれます。

 メール作成画面はわかりやすくて使いやすいです。

 ちなみに、私の携帯電話はVGA表示で、文字サイズ最小で表示していますので、一般的な携帯で見たときの印象は違うかもしれません。

 

 今後ますますGoogle依存度が高くなりそうです。ソフトバンクユーザーの私としては、本当はYahooにもう少し頑張っていただきたい(まずはメール容量3Gbyte)です。

江戸時代の優れた時間制度

 江戸時代の江戸の人の暮らしは、多くの人が考えている以上に進んでいて優れていました。それは、「風流」だとか「粋」だというような意味だけでなく、もっと科学的にも進んでいたということも含みます。

 

 最近、古典落語に登場する江戸の人の暮らしに興味を持って勉強してゆくにつれ、感心し、見習うべきことも非常に多いと感じ始めました。

 

 まず、一番合理的で便利だったと思うのが、時間です。当時は不定時法で、夜明けから日没までを6等分して、1刻(とき)とします。夜は逆に日没から日の出までを1刻とします。1年で、日の出や日の入りの時間は大きく変化するので、1刻の長さも変わるため不定時法と言います。

 季節によって時間が違う、と聞くとすごく不便な気がしますが、実はとても合理的で便利なのです。

 太陽を見れば、時間がわかるこのシステムは、慣れれば時計が無くてもかなり正確に時間がわかったはずです。また、日照時間を最も有効に使えます。

 時計が無い時代では、現代の定時法では、時間を知ることが非常に困難です。また、照明器具が無く、太陽が沈むとはほとんど活動ができなかった時代では、少しでも日照時間を無駄にしないことが、とても重要だったはずです。

 現代では、時計もあるし照明器具も発達しているので、太陽に合わせて時間を決めなくても生活できるのですが、夜明け後の明るい時間にも寝ていて、夜になると照明器具を使って明るくして起きているというのは、もの凄くエネルギーを無駄遣いしていることになります。

 サマータイム制というのは、少しでもエネルギーの無駄遣いを減らすための方法ですが、江戸時代はもっとエネルギーの無駄遣いをしない時間制度を採用していたのです。

 

 

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花見に行ってきました

日曜日、家族で土岐川河川敷まで花見に行ってきました。

場所は、このあたりです。

 

満開でした(一部、散り始めてるところもありました)。お昼時に行きましたが、ほとんど誰もいませんでした。最初は、うち以外には、遠くに若い女性のグループ1組と、散歩している老夫婦数組程度で、その後、2,3組の家族連れが来ましたが、都会の公園のような人口密度とはほど遠い状況でした。

 子供達も広い場所で走り回れて楽しそうでした。Youはどれくらい理解しているのかはわかりませんが

 「しゃくら〜、きれい〜!」と連呼しながら走っていました。