大力屋

昨日、土岐市駅近くにあるおにぎり屋(?)「大力屋」で、おにぎりを買いました。

 

 ここのおにぎりは全部100円(税込)で、かなり大きめです。注文をするとその場で握ってくれるのでホカホカというより、アツアツです。

 ふわっと握ってあるので、子供が外で食べるにはちょっと難しいかもしれませんが、おいしいです。

 

 二人が注文を受付、直ぐ後ろで二人が握っています。もの凄く手際がよいので、5個くらいの注文であれば、ほとんど待ち時間はありません。おいしくて、ボリュームがあって、100円(税込)! すごい!

 これは人気が出ると思います。都会の場合家賃が高くて100円では儲からないかもしれませんが、もし、東京駅構内などに同じ条件で出店したらかなり流行ると思います。

 実際、この大力屋さんもかなり流行っています。お昼時は人の列が絶えません。是非ともフランチャイズ展開して、私の出張先にも出店して欲しいです(笑)。

 

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 ・炊きたてご飯とみそ汁で500円の店

仕事と遊びの違い

ITProにこんな記事がありました。

「プログラミングは仕事か遊びか」

 

 私の場合、プログラミングが仕事というわけではありませんが、遊びと仕事の間にはそれほど大きな違いはないと思っています。

 
 最近は、だいたい毎月会社から給料もらいますが、5年前には給料が無いことがよくありました。給料がもらえないとしたら、平日昼間にやっているのは「仕事」ではなくて「遊び」なのでしょうか? だとすれば基本的にはやっていることは5年前も今も同じようなことなので、今でも平日昼間遊んでいると言ってもよいのかもしれません。

 

 責任や、真剣度が仕事と遊びの決定的な違いである、と言う人がいるかもしれませんが、私の場合は遊びも、かなり真剣です。あまり、大きな差はありません。特に子供と遊ぶときなど、一生懸命真剣に遊びます。

 趣味(?)の読書は、仕事や遊び、子供とのかかわりの為に大いに貢献しています。真剣に一生懸命読んでます。

 落語については、たくさん落語を聞きまくり、笑うだけでなく、江戸時代の人々の生活や、落語に出てくるいろいろな場面が、それを勉強するきっかけとなってくれます。それで得た知識は、人間の深みを増し、営業先での話に大いに役に立っていると思います。

 子育てについては、これは本当に人間性を高める上でもの凄く重要な要素だと思っています。子育てとは、「子供に自分が育てられる」という意味だと、強く強く思います。人間的に成長すれば、仕事にも大いに役に立ちます。

 

 私にとっては、24時間365日、全てが仕事であり、全てが遊びなのかもしれません。

【本の感想】落語絵本じゅげむ(川端誠)

子供でもわかりやすい落語のひとつである寿限無の絵本です。

 

寿限無とは、子供が生まれたある夫婦が、子供の名前に悩み近所の和尚さんに縁起のよい名前を教えてもらい、それを全てつなげた名前に決める話。ちょっと名前を呼ぶだけでも大変で、落語の中では何度も何度も名前を呼ぶので、若手の噺家が口の訓練の変わりに話したりもするそうです。

 

Hannaが、最近NHKのにほんごであそぼという番組で、よく流れるこの寿限無の全部の名前を覚えたようなので、オリジナルの話にも興味を持つかもしれないと思って、図書館で借りてきました。

 予想通り喜んで何度も読みました。

 

伝統が守れなくなった理由

 前回、社会構造の変化によって伝統・風習などを守ってゆくのが非常に困難になってきたと書きました。

 それは、決して現在の人が昔の人よりも怠けているという訳では無いと思います。私なりに考えた理由は、以下のようなものです。

  1. 農家の割合が減った
  2. 現金収入での生活になった
  3. 都会に働きに行くようになった
  4. 核家族化が進んだ
  5. 女性の社会進出が進んだ
  6. 飲酒運転の取り締まりが強化された(車が増えた)

 もちろん、これらが悪いことであるとは言いません。よいことも多いことも多いと思いますが、しかし、伝統行事や風習は、上記のことが(過去数百年続いた)上記のことがない社会を前提としているので、現代でそれをやるのはすごく大変になってきているのです。

 大家族で、女性が家にいれば、小さい子供がいても行事に参加できますが、(わが家も含め)核家族では、小さい子供がいる限り、夫婦のうちの一人は家で子守をしなければいけません。

 

 時代と共に変わらなければいけないことも多いと思いますが、お盆の時の風習やその理由など、とても興味深く、また、子供達への情操教育にも非常によいと思います。

 

 ご先祖様がお盆に里帰り(?)した後、元の世界へ帰る時、荷物を運ぶように、馬の人形(馬形?)を作ってその馬に食べ物や味噌などを載せて飾ったり、うちの子供達は、妻方の祖父母に教えられて楽しそうに昔の風習に親しんでいます。そんなときに、一番質問しているのは私です(笑)。

 

 

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伝統を守れないのは仕方のないことかもしれませんが・・・

 4年くらい前から田舎の風習や行事について、非常に興味を持ち始めました。田舎に引っ越して、町内の長老(?)達からいろいろな行事の謂われや意味を教えてもらったり、妻の実家で、いろいろな行事や風習を体験したりすることが非常に、興味深くおもしろいです。

 

 しかし、そのいろいろなところで、全体的な方向性としては、簡略化、省略、廃止に向かっています。とてもすばらしい文化だと思っていても、社会構造が変わり、地域の年齢構成が変わっている現在では、伝統を守ってゆくには、守る人たちにもの凄く負担が大きくなってしまいます。

 

 何百年も前から続いている風習は、基本的には何百年と同じような社会構造であった為に守れてきたものが多いのです。つまり、基本的には生まれた土地でみんなが生活し、兄弟も多く、平均寿命も長くない(若者の構成比率が高い)・・・その様な条件は、ここ数十年で大幅に変わってきました。若者の多くは都会に行き、地元に残っている人も、農業ではなくて会社に勤めていては、いつでも家族が家の近くにいることを前提とした行事や風習を守るのは大変です。

 

 

 これは、日本中すべての地域で抱えている問題だと思います。社会構造の変化などは、個人の努力のレベルでは解決できないので、仕方がないことでもあるのですが、寂しい気もします。

 これまでの数百年でも、社会構造の変化によって行事や風習も常に変わっていているのだとは思いますが、その速度は非常に遅かったと思います。ここ50年くらいは、これまでの10倍以上の速度で変化が起きているのではないかと思います。

 私自身、まだまだ勉強が足りないと思いますが、少しでも多くの伝統行事やその意味などを、子供達の世代まで伝えてゆきたいと思います。

 

 

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