今後ますます重要となる文章力

私は、人間の価値を決める要素の中で、最も重要なものはコミュニケーション能力だと思います。単にしゃべったり聞いたりするという意味ではなく、相手を理解し、自分を理解してもらうための総合的な能力です。

 

そのコミュニケーション能力の中でも、文章力というのは、これからの社会では、今まで以上に重要になってくると思います。

 

10年くらい前まで、仕事でメールを使っているのは一部の人でした。

それが、今ではメールを使っていない人の方が少ないくらいです。

 

メール以外にも、自分のブログや、他人のブログへのコメントなど、文章で、自分を表現する機会は以前よりも確実に増えてきています。

 

しかし、自分をアピールしたり、他人のことを理解するための能力を磨く訓練の機会は非常に少ないと思います。

 

そもそも、メールやブログなどを書く場合に、そのソフトやシステムについて十分に理解できていない人が多いことが問題です。メールに署名を付ける方法や、件名と本文の意味が分かっていないと、受け取った側が困ってしまうようなメールになってしまいます。

ただ、この表名表面的な問題は、大きな問題ではありません。ソフトやシステムが良くなることで、あまり知識のない初心者でも、問題になるようなメールを書かないようにはできます(半角カタカナを自動的に全角にしたり、件名がない場合に警告を出したり)。また、簡単な教育で直ぐに身につけることができます。

 

もっと大きな問題は、文章力の問題です。「はじめてのメール」「インターネット入門」「ビジネスメール術」というような入門書には必ずと言っていいほど「メールの本文は、(普通の手紙と違って)本題のみの完結にわかりやすく書きましょう」と書かれています。

でも、「わかりやすい文章」を書く能力というのは簡単に身につくものではありません。小学校のころから少しずつ身につけなければいけない能力です。

良いか悪いかは別としても、現在は昔に比べて手書きで文章を書く機会は圧倒的に少なくなっています。つまり、パソコンを使って文章を書くことが普通になってきた今、正しい漢字を(手で)書く能力よりも、正しい漢字を選択できる能力が、役に立ちます。

難しい漢字をたくさん書けることが、わかりやすい文章を書くこととはつながりません。仮に難しい漢字を知っていても、その文章を読む相手が知らないだろうと予想されるのであれば、その漢字は使わずに、ひらがなで書いた方が良いでしょう。

 

相手に理解される文章を、相手に理解される文字を使って表現する能力がより重要なのです。

 

読む側の能力も、高める必要があります。仮に相手がわかりにくい文章を書いてきたとしても、それをどこまで理解できるかは読み手の能力次第です。

仕事の場合、相手に「もっとわかりやすい文章を書いてくれ」などとは言えません。自分が頑張って理解するしかないのです。相手の知識レベルや性格まで加味して想像し、文章を読み砕く必要があります。

 

パソコンや、ネットがますます普及し、一般化してゆく中で、わかりやすい文章を書く能力と、他人の文章(わかりにくい文章)を理解する能力を付けている人が、ビジネスだけでなく、日常の生活の中でも、優位に立つようになると思います。

オーストラリアで出会った人(3):カリスマ(?)同時通訳者

オーストラリアに行く前、日本では大手コンピュータ会社に勤務していました。会社を辞めることになって、最後に社長と面談をしたとき、社長から

 

「オーストラリアで困ったら、この人を頼ってみなさい」

 

と、社長の友人という人(Aさん)の連絡先が書かれたメモを渡されました。

Aさんは、同じ会社のオーストラリア現地法人の翻訳部門で働いていた人で、社長と同期、そのときは既に退職されて、フリーの翻訳・通訳者として活躍されているとのことでした。

 

オーストラリアに着いて1ヶ月くらいしたとき、別に困ったわけではなかったのですが、一度、Aさんに電話をしてみました。すると、ぜひ一度うちに遊びに来なさいと言われ、週末に遊びに行くことにしました。

 

Aさんの家は、私の住んでいたシドニーから、300kmほど内陸に入った田舎町にありました。ちなみに、オーストラリアで300kmというのはご近所です(笑)。

その夜はちょうど、Aさんの元同僚(つまりは私の元先輩にあたる人たち)が、何人も集まって同窓会的なことをすると言うことで、私も参加させていただきました。

 

 

Aさん以外はみんなオーストラリア人なのですが、皆翻訳者または、通訳なので、日本語はペラペラ、と言うより、学術的な知識で言えば私より遥かに日本語に詳しい人たちばかりでした。

ただ、皆さん(Aさんも含め)英語を母国語としている人たちなので、お酒が回ってくると、会話の中の英語の比率が高くなってきます。

集まった人たちは、Aさんを師と仰ぐ人たちで、今でも仕事の相談などをAさんは受けているようでした。

 

Aさんは、当時シドニーからだいぶ離れたところに住んで、通訳の仕事があるときだけシドニーに行っていました。

 

主には国際会議などの同時通訳をされていました。私はそれまで知らなかったのですが、同時通訳という仕事はものすごい準備と訓練が必要な仕事だそうで、その日も10時過ぎまで楽しくみんなでお酒を飲んでいたのですが、日課となっている訓練をされていました。

夜の12時から3時までは、必ず訓練をするのだそうです。ラジオなどを聞きながら、最初は、ラジオの言語のまま同じことを同時にしゃべり、次に、日英同時通訳をしながらしゃべり、英日同時通訳をしながらしゃべるという、訓練です。

 

実際の学会は、1週間もなく、それも2ヶ月に1回程度しか仕事をしていないそうですが、毎日基礎訓練をし、仕事の数週間前からは、専門用語やその他関連知識の勉強や訓練をして、仕事に臨むそうです。

 

Aさん曰く、翻訳や通訳は勉強してある程度知識やテクニックを身につければできるが、同時通訳はスポーツと同じで、訓練をやめたらできなくなる、のだそうです。

 

端から見ると、郊外の大きな家に住み、2ヶ月で1週間しか働かなくて、悠々自適な生活に見えるかもしれないのですが、実は365日ほぼ休みなく働いているのでした。

また、1週間シドニーで仕事をすると、5kg位痩せるそうです。

 

それだけの努力をしているから、最高クラスの仕事ができて、後輩たちからの信頼も厚いのだと思います。

 

Aさんとの出会いが、翻訳や通訳という仕事に興味を持つきっかけとなり、その後(数年後ですが)、翻訳会社に勤めることにつながりました。

 

ちなみに、私は翻訳者でも通訳でもありません。TOEIC630点です(笑)。

 

 

 

シドニーの気候

オーストラリアにいる間、旅行などを除いてすべてシドニーにいました。

他の町を知らないので、比べたわけではありませんが、私はシドニーの気候が非常に好きです。ある程度四季があり、でも、真冬でも雪は降らない。真夏で40度を超える日でも日陰に入れば、涼しい。そして、何と言っても花粉症がないというのが魅力です。

貧乏生活を送っている頃、真夏によく行っていたのがマンリービーチ沿いにある立体駐車場です。

そこはコンクリートの建物で壁が無く、海からの風がずっと吹いていて、非常に涼しいのです。それこそ40度を超えるような日でも、その駐車場の上の方の階の海側で、昼寝をしたり本など読みながら休日を過ごしました。

青い海と青い空を一望に見渡せ、眺めも最高でした。
写真は、私が撮った写真ですが、久しぶりに見ました。若い一時期に、こんな風景の中で生活できたことを本当に良かったと思います。

あんなゆったりした時間は、もう何年も経験していません・・・

娘二人を寝かせるようになりました

Youが生まれたときから、Hannaはずっと私が寝かしつけるようになりました。最近は「たまにはお母さんとねたら」と言っても「いや。父ちゃんと寝る」と言います。

Youは、先日まで寝る前だけオッパイを飲んでいたので、妻が寝かしつけていたのですが、断乳の仕上げということで、Youも私が寝かせるようになりました。さすがに同時にはできないので、先にYouを寝かせて、Youが寝たら、Hannaを寝かせると言う順序です。

Youは、もっと抵抗するのかと思っていたのですが、電気を消して歌を歌ってやっていると、ほとんどぐずらずに寝ます。子供ってこんなに簡単に寝るものなの?という感じです。
Hannaは、赤ちゃんの頃からとにかく寝かしつけるのが大変で、未だに30分以上かかります。本を読んで、歌を歌って、話をしてという感じです。いろいろ試しているのですが、なかなか寝てくれません。そのうちに私が寝てしまって余計怒って、ますます寝ない・・・という悪循環です。

これも個性なんでしょうかね。

妻の実家で最後の物色

いよいよ来週壊される妻の実家(移築後60年の古い家)に、先週に引き続き、陶芸家のMさんと一緒に
最後の物色に行きました。

先週はまだ、人が住んでいたので、置いてあるものを中心におとなしく貰っていったのですが、今週はもう、最後と言うことで、電動ドリルやバールを持ち込んで、取れるものは何でも取ってしまえとばかりに頑張りました(?)。

建具類は、Mさんがつくるギャラリー用に。掘りごたつの火鉢や、棚板など私の家にも入れられる小物はうちに。義理の母達も見たことがない、天井裏の物置からは、蚕を飼っていた竹製の網(?)や、背負子、鍬などを掘り出してきました。

男達が天井裏などに上がっている間に、妻はこそこそと、ドアの取っ手をドライバーで外していました。真鍮製(?)の、古い取っ手は、最近では見かけない形で、しかも何十年と使われ、年季が入って、いい感じの風合いになっています。また、子供の頃、おじいちゃん(故人、Hannaのひいじいちゃん)が、座って農作業をしていた記憶があると言う手作りの椅子や、手作りの小物入れなど、次々と汚いものを探し出しては、両親に「これ貰ってもいい?」と確認して、貰ってゆきます。
「そんな箱なら、もっときれいなのがあるよ」
などと、母は進めるのですが、「この汚いのがいい」といって、古い方を貰ってゆきます。

雨が降っていたので、2台の屋根のある軽ワンボックスに積めるだけの量しか貰えませんでしたが、はれていればユニック付きの大きなトラックで来て、建材なども貰ってゆきたいところでした。もし使えないものでも、薪としては使えるので・・・。

貰ってきた私たち夫婦も、Mさん夫婦も、もちろん貰えて嬉しかったのですが、両親にしても長年使ってきた家の部品が、産廃としてすれてられるのではなく、再利用されることに喜んでいました。見慣れた建具が使われている部屋が残ればやっぱり嬉しいですよね。

みんな嬉しくて良い一日でした。唯一、嬉しくなかったのは、両親はもちろん、一番の親友(?)のおじいちゃんまでが、忙しく動き回っていて少しも遊んでもらえなかったHannaでした。