妻の幸せと子の幸せ(4)

妻が仕事を辞めて2年過ぎました。

妻はそれまでに比べて、生まれ変わったと言うくらい人生が変わったと言います。人生観が変わり幸せを感じられるようになり、これからも幸せな人生を送れそうになったようです。日々のストレスが無くなったことで、心に余裕ができて、私や子供達に対して非常におおらかに接し、それがまたストレスを減らし・・・という良い循環ができています。

一方のHannaはというと、最近は保育園に喜んで行きます。そう言う意思を言葉で伝えられるようになったということもありますが、明らかに以前より楽しそうです。そして、私が迎えに行くと、走って私に飛びつきます。帰りの車の中では、一日保育園であったことを話してくれます。

私とでも寝られるようになりました。・・・と言うより正確には、最近は常に私を指名して一緒に寝にゆきます。私が出張でいないときに逆にぐずる程です。
お出かけも私と二人だけで言っても、楽しそうに過ごすようになりました。その極めつけが先月2人で行ったオーストラリア旅行です。

それで、現在Hannaは幸せなのだろうか?という疑問の答えは分かりません。今、聞いても性格に答えることはできないだろうし、Hannaが大人になったときに聞いてみないと分かりません。

では、妻は幸せなのだろうか? 全体的にはかなり幸せになったと思います。特に「仕事」というキーワードで考えた場合は、以前に比べれば間違いなく幸せになっています。それまで、1日8時間耐えて、イライラしてへとへとになって帰ってきていたのが、楽しく8時間過ごせるようになったのですから。最も今は第2子の誕生でほぼ専業主婦ですが。

それでも、Hannaがあまりにも私にベッタリなので、寂しいと言うこともあります。
妻:「たまにはお母さんと寝ようよ」
Hanna:「いい。父ちゃんと寝る」

もちろん、Hannaが母親を嫌いになったというわけではないと思います。一緒に遊んだり、出かけるときには楽しそうです。でも、母親がいなくても落ち込まない(ように振る舞う)のも事実です。

我が家ではシングルベッド2つとセミダブルベッドをつなげて4人で寝ているのですが、たいてい、私が一番端で半分ベッドから落ちそうになりながら寝て、その私に半分重なるようにHannaが寝ていて、妻はダブルベッドくらいのスペースで寝ています。その隣にまだ動けないYouが寝ています。
妻が孤立感を感じるのも理解できます。

それでいよいよ、このシリーズ(妻の幸せと子の幸せ)のまとめなのですが、妻が仕事を辞めて新しいことに挑戦したことで、どうなったのか?

結論は、こうです。

妻:かなり幸せになったが、母としての幸せは減ったのかもしれない。
娘:かなり寂しそうな時期もあったが、今はそれなりに毎日が楽しそう。
  でも本心はあと15年くらいしてから本人に確認してみないと分か
  らない。

・・・で、ひとつ確実なのは、私はかなり幸せであるということです。
愛しいHannaには、過剰なまでに愛され、いつでもベッタリされるようになり、オーストラリアにまで一緒に行ってくることができた。そして、好きなことをやれることで心に余裕のできた妻には、今まで以上にやさしくされるようになった。出張や休日の仕事が増えても笑顔で送り出してもらえる。

以前にも増して大幸せな私です。

あまり変わっていない横浜線

昨日から出張で、東京と横浜に行ってきました。

東京はよく来るのですが、横浜はかなり久しぶりです。実は(?)15年ほど前に新横浜に通勤していました。住んでいたのは古淵という駅の近くで、横浜線で新横浜に通っていました。今回、訪問したのは横浜市内の会社だったのですが、帰りに久しぶりに横浜線に乗りました。

15年ぶりの横浜線は、相変わらず混みまくっており、痛勤電車を思い出しました。電車の色や形も変わっていないし、15年ぶりというのが信じられない感じでした。

大きく変わっていたのは新横浜駅です。新横浜駅は私がいた頃は、何もない街はずれの駅という感じでしたが、駅ビル内に沢山の店があって驚きました。

若かりし日を思い出す出張でした。

妻の幸せと子の幸せ(3)

妻は学校に通っていたころ、毎朝早く起きて、自分と私の弁当を作っていました。家事もそれまで以上に家事を行っていました。Hannaの保育園の準備なども本当に一生懸命やっていました。

それについては、私自身もすごく感心するほど頑張っていました。妻は、「自分の好きなことをやらせてもらっているから」と言うので、ますます私は妻を応援しなければいけないという意識が強くなりました。

一方、Hannaは、それほどぐずらず保育園に通っていましたが、最初の1週間は、朝はずっと保育園で泣いていたそうです。ぶかぶかの保育園帽子をかぶり、泣き疲れて保育士の背中で寝ている写真を見るたびにじ〜んときます。

自分の人生を変えるために頑張っている妻と、恋しい母親から離されて保育園に連れて行かれている娘を見ながら、悩む日々が続きました。

休みの日にも妻は、学校関係の用事で出かけなければいけないこともありました。
そんな時は、私はHannaを連れて動物園や、水族館などに遊びに行きました。Hannaあこがれの電車に乗って。
Hannaは、それなりに楽しそうな顔も見せますが、3人で遊びに行くときと比べると、圧倒的に元気がありませんでした。「お母さんは?」「早く帰ろう」そんな言葉を聞くと、私はますます悲しくなってしまいました。

昼間は、それなりに楽しく過ごせても、Hannaは眠くなると、どうにもお母さんでないとダメで、良く泣きました。眠くなると、お母さんの耳たぶを触りたがるクセがあって、お母さんの耳を触っていると落ち着いて眠れるのですが、そうでないと眠れませんでした。時々、Hannaが眠り始めた時に妻とこっそり入れ替わって、私の耳を触らせてみても、ちょっと触ると目を開けて「違う」と怒るくらいでした。

半年以上経っても、状況はあまり変わりませんでした。私たちの親たちからはHannaがかわいそうだという言葉や言葉にならないプレッシャーがかけられていました。必要に駆られてならともかく、そうでないのに、無理に保育園に通わさなくてもよいのではないかと言うことです。

1年後、妻は学校を修了しました。しかし、仕事をするためにHannaはそのまま保育園に通い続け、今年の5月に、3回目の誕生会に出席し、ステージ上で自分の名前と年齢を言えたと連絡帳に書かれていました。

(つづく)

妻の幸せと子の幸せ(2)

結局、妻は仕事を辞め学生になりました。学校は4月スタートなので、5月生まれのHannaは1歳の誕生日を待たずして保育園に行くことになりました。

これを決断するまでには、私と妻はそれぞれ、かなりの葛藤がありました。妻は、自分のやりたいことをするために、子供を犠牲にするという感覚があり、世間や親類も「あの人は、1歳にもならない子供を保育園に預けて自分の好きなことをやっている(母親として問題だ)」と思われるということで悩んでいました。

私自身は、自分のやりたいことをやっているし、この先もやりたいこと以外できないと思っているので、妻がやりたいことをするのに反対することはできません。実際、妻にもやりたいことをやって悔いのない楽しい人生を送って欲しいと思っています。
でも、まだまだ母親が恋しいHannaを保育園に出すことには、心から賛成することもできませんでした。そのころHannaは、ほとんど母乳のみで育っていましたし、夜寝るときも母親としか寝られませんでした。そのHannaが昼間、母親と離れなければいけないのは、どうしても哀れと思えたのです。

「親が自分のやりたいことをやって幸せな人生を送ってみせることが子供に一番よい」
という考えは変わりません。でも、目の前に「おかあさーん」と泣く子供がいれば、母親に自分を犠牲にしてでも子供のそばにいた方がよいのか・・・という考えが頭をよぎる。
それでも、それを言えば、確実に妻は、Hannaを保育園に預けて自分が、学校に行くとは決断しないと分かっていたので、私は、常に「絶対、仕事を辞めるべきだ。」と強く勧めていました。

親たち二人の悩みの結末は、妻は仕事を辞め学校に通い始め、Hannaは、毎日私と一緒に片道40分のドライブをして保育園に行くことになったのです。

その後の1年で、妻とHannaはどう変わったのか、また次回にします。
(つづく)

妻の幸せと子の幸せ(1)

Hannaは、満1歳になる前から保育園に通っています。私の親も含め、多くの人から「こんな小さいうちから保育園なんてかわいそう」と言われていました。私自身も、そう思うことが無かったわけではありません。
まだミルクを飲んでいる子供が知らない人ばかりのところに置かれて1日過ごすことを想像すると涙がでることもありました。

私が、一番つらかったのは、そう思っていることを誰にも言えなかったことです。妻にも「Hannaは保育園に行かせた方がいい」と言い張らなければいけなかったことです。
確かに、保育園に行かせた方がよいと思っていたのも事実です。それは親が幸せに生きていて、その姿を子供に見せるために、という理由です。
私は、子供の教育上非常に重要なことは、親が幸せに生きていることだと思います。親が毎日幸せそうであれば、子供はきっと「自分も幸せになれるかも」と考え、希望の持てる人生を送れると思います。
そのために、親は幸せな人生を送らなければいけないといけないと思います。

私は、強がりでもなんでもなく、本当に幸せな人生を送っていると、自信をもって言えます。25歳くらいからそう思えるようになりました。人にだまされようが、他人から見たら苦労しているように見えようが、常に「幸せ」なのです。将来も幸せである自信があります。人はこれを「超楽観主義者」と呼ぶようです。

でも、妻はそうではありませんでした。ストレスをためやすい性格で、仕事から帰ってくると、よくストレスに潰されて廃人のようになっていました。
私はよく「人間が壊れるようなひどい仕事ならやめてしまえばよいのに」と言っていましたが、妻は続けていました。その理由は、収入や(形式上の)労働条件は非常によい仕事であったことなどがありますが、最大の理由は、その職業が、妻が中学生の頃からあこがれていた仕事であったことだと思います。つまり、自分がこれまでの人生の半分くらいあこがれて、それを公言していて、実現したのに、それを辞めてしまうことは、ある種の自分否定になるからだと思います。

妻も、仕事を辞めた方がよいと思っていました。そして、誰よりも、「辞めたい」と思っていました。あとは、仕事を辞めるための正当な理由と後ろ盾が欲しかったのです。
私が考える以上に、妻が仕事を辞めるにはエネルギーが必要でした。誰に言っても反対されていました。それもそうです、何せ旦那は零細ベンチャー企業の社長。高収入の妻は一家を支える大黒柱だったのですから・・・。

ちょっと文章が長くなったので、つづきは、また次回にします。
結果だけ書くと、結局、1年の育児休暇の終わりを待たずに妻は、仕事を辞め、学生になりました。そして、Hannaは保育園に通い始めることになりました。
(つづく)