今回もまた、セラパダイニングの話しです。850人超の来場者があったセラパダイニングが無事終わったのは本当に奇跡的でした。
準備期間が短かったり、準備期間中のスタッフがすくなかったこともあり、準備不足や想定が甘かった点が多々ありました。
その数々の問題を、当日現場でかかわってくれたスタッフや協力者の方々が、解決していってくれたために、どうにか無事終わりました。
ゆるキャラの中に入っていただく人は、前の週に私がTwitterで呼びかけて、それに答えてくださった方が、わざわざ大阪から来ていただいたのでした。数日で入ってもらえる方が見つかったのは、Twitterのすごさを改めて認識しました。
それ以外のゆるキャラの人たちも、完全ボランティアで来ていただいて会場を盛り上げていただきました。しんぶんくん、とっくりとっくん、ぷらずまくん、ミナモ、うながっぱのみなさん。本当にありがとうございました。
みんなかわいい顔してますが中は、うながっぱ曰くライトな地獄状態です
セラパダイニングは、多治見市制記念花火大会のイベントで、主催も多治見市制記念花火大会実行委員会です。しかし、最初に企画を出した時点で、もともと花火大会本体でも人手は足りないので、本部からの人員的応援はゼロとして計画を立てるように指示があり、私もそのつもりで計画を立てました。しかし、絶対的に人は足りず、結果的に当日も最後まで会場で残っていただき、席を追加するのに、ブルーシートを買ってきてもらったり、会場内で急遽テーブルを移動させてブルーシートを敷く作業などをやり、当日の片付けまで手伝っていただきました。本当は、会場の準備ができているか視察して、軽くビールでも飲んで、花火会場に移動されるはずだったのだと思いますが、入場者が後を絶たないただならぬ様子に急遽残っていただきました。それがなかったら、席が足りないという苦情が殺到して大混乱になっていたかもしれません。ありがとうございました。
それ以外にも、たぶん最初は受付を担当のスタッフビールを飲みながらのんびり喋ったりしながら、過ごすつもりでこられた中川さんも、受付のただならぬ状況に、結局、ずっと受付の仕事をしていただき、かつ、片付けまで手伝ってもらいました。中川さんがいなかったら受付は、大混乱になっていたかもしれません。ありがとうございました。
また、音響設備のことを私が全く把握していなくて、何も音も鳴らない状況だったところを急遽駆けつけてきてくれて、設置設営をしてくれたキングラスホッパーズの近藤さん。その手は神の手に見えました。
当初の設営完了(ただし実際はあとで席を大量に増やしました)
本部の救護係として岐阜県の看護師協会から来ていただいた木村さんも、(幸いけが人もほとんどでなかったので)アンケートの回収や、本部の移動(席を増やすために)、その他、案内板を作ったり、受付の手伝いなど、ずっと動いていただきました。しかも、お客さん用の席やテーブルが足りなくて、イスはビールケース、机はサンテナという救護所で・・・。
当初想定していなかった多くの協力者の方々がいなかったら・・と考えるとぞっとします。きっと、みなさん「あれっ?私が手伝わないと大変なことになるぞ」という雰囲気を察していただけたのだと思います。
そしてそして、何よりも一番大変で、一番頑張ってくれたのはスタッフのみなさんです。圧倒的に人数が足りない中、それぞれの人が最高のパフォーマンスを出してくれたおかげで、どうにかギリギリの状態で無事終わることができました。誰一人欠けても、イベントは失敗していたと思います。
C-POWER肥田さん姉弟、PRセンター佐藤さんの子供達とその友達、中京学院大学の学生ボランティア、飲食店をとりまとめてくれた魚三の滝上さん、toukiの滝上さん、contactの長谷川さん。本当に本当にありがとうございました。
一番私が感動したのは、PRセンター佐藤さんの子供達とその友達です。見た目は今どきの子って感じですが、とにかく素直でよく働く。高校生くらいになると、親と一緒に出かけるのもイヤって子が多いと思いますが、友達誘って一緒に手伝いに来るというのは本当にすごいです。前日の準備から、炎天下でよく働くし。こんな若者が多ければ日本の未来は明るいと思いました。
夏草や兵どもが夢の跡・・・
最後に付け加えさせていただくと、今回のイベントには、うちの家族にもものすごく協力してもらいました。前日の朝、妻が実家に子供達を預け、昼頃から設営を手伝い。夜は賞品の梱包や、掲示物の制作などをし、当日は朝から晩まで、翌日の片付けもフルに手伝ってくれました。翌日は実家に行って倒れていたようです。
前の週くらいから準備のために帰宅が遅い日が続き、私と寝ることができなくてしくしく泣いてしまったHannaも、(ストレスのためか)いつも以上に癇癪を起こしまくったYouも、孫と翌日廃人のようになって倒れ込んだ娘(妻)の面倒を見てくれた実家の両親も、みんなの支えがあって、できたセラパダイニングでした。
お客さんも含め、かかわった全ての人に本当に心から感謝です。
みなさんのおかげで2010年8月1日セラミックパークMINOで奇跡が起きました。
セラパダイニング2010 バンザイ!