恋する乙女?

昨日、朝からHannaはどことなく元気が無い。

学校の話を聞いても、つれない返事。

大好きな造形教室について聞いても、ぱっとしない返事。

 

体調でも悪いのかと聞いても、うつむきながら首を横に振るだけ。

 

妻に、「Hanna体調でも悪いんじゃないの?何で元気ないの?」と聞いてみると、分からない人だねぇ・・という返事。

 

「Hannaは、今日も父ちゃんの帰りが遅いって聞いて落ち込んでるの!」

 

そう言えば、今週は1日もHannaと一緒に寝ていない。今日は、早く帰ってくるのだけど、夜、町内の役員会議に出なければいけないので、Hannaと一緒に寝られるかは分からない・・・ということを話したのを思い出した。

Youが熱を出して保育園を休んでいるので、遊び相手もいないし、妻もYouに手がかかって、Hannaとしては余計にストレスが溜まっているのでしょう。

 

しかも、日曜日は早朝から町内の河川清掃、その後、ホタル小径の準備、そして公民館の花壇の移動があり、日中はHannaと遊べません。

 

恋する乙女Hannaのため息が絶えません。

 

仏教から始まって、神様、神話へ流れる好奇心

1ヶ月くらい前に、何となく般若心経に興味を持ち、般若心経の本や、仏教の本を読んでいます。

非常におもしろくて、読めば読むほど興味が深まり、毎回図書館で、関連図書を借りています。

仏教の教えについてだけでなく、歴史についても調べ出すと、歴史そのものの勉強もしたくなります。日本に仏教が伝わってから、飛鳥時代や奈良時代などの仏教の扱われ方を調べ出すと、神話からなる天皇の位置づけ、そのときどきの権力者の思惑や考えが、複雑に絡み合って、戦争が起きたり、政権が変わったりして、興味は尽きません。

その辺りをより深く理解するためには、日本の神話についても勉強したくなり、神話の本も借りてきました。

 

もちろん、仏教そのものの世界観もおもしろいし、歴史的背景によって出てきたいろいろな宗派や高僧の教えなども、おもしろいです。

こういうおもしろさに、子供の頃に気づいた子たちは、きっと学者とかになっているんでしょうね。

 

しばらく関連図書の読みあさりが続きそうです。

妻の自慢

環境適応能力というのは、幸せな人生を送る上でとても重要な能力のひとつです。

自然災害、自分や身内の病気など、自分自身ではどうにもならない理由で、生活環境が大きく変わることはあります。

そんな大げさなモノでなくても、結婚したり、子供ができるという多くの人が経験していることでも、生活環境は大きく変わります。

 

新しい生活環境の中を、どう考えて、どう生きるかによって、幸せになるかならないか(幸せと感じるかどうか)が変わってきます。

 

同じ状況であっても「幸せ」と感じることも、「不幸」と感じることもできます。幸せになるひとつの方法は、所謂不幸な状況に適応して「普通」と感じることです。

 

例えば、最近ではデフレの影響で、日本の多くの家庭では世帯収入が下がっています。そんなときに、給料が下がって不幸だと感じるか、それとも、その少ない収入に慣れて、普通だと感じるかです。

ものすごく収入が減ったのに「普通」と感じることができれば、少しだけでも収入が元に近づけばものすごく「幸せ」になれます。

 

そう言う意味で、うちの妻はとても才能があります。うちの妻は特にお金持ちの家ではありませんが、親が公務員で、自分も公務員として働いていたので、並以上の給料を確実にもらえる所謂安定した生活をしていました。

そんな彼女が、零細企業の経営者なんて言う「安定」とは、対局にある私などと「よく結婚したなぁ」と思います(私が言うのもおかしいですが)。

 

最初は、妻も戸惑っていたり、将来の不安を抱えていたりしていましたが、今ではすっかり慣れて、楽しく生活をしています。

最近は、将来に対する「根拠のない自信」は、私に勝るとも劣らない強さです。

 

外食しない代わりにお弁当を作って持って行くとか、楽しそうに臨時バイトに行くとか、ちょっとした臨時収入を非常に喜んで家族で小躍りするとか(笑)、我が家の

幸福年収比 = (幸福度)/(年収)

が極めて高いのは妻のおかげです。

 

子供たちが何気なく「うちは貧乏だけど、幸せだからいいんだよねぇ」なんて言うのを聞くと、どこまで理解してそれを言っているのか分かりませんが、日頃妻にそうやって言われているんだろうなと思い、安心すると共に、私自身はもっと頑張らないといかんなぁと思います。

 

ただのオノロケ記事で、大変申し訳ありません。

 

直感で動いてみる

20代の頃、とにかく面白そうな話があれば何にでも首をつっこみ、関わっていました。特に仕事(会社で行うこと全般)については、関連性、収益性、将来への見通しなどよりも、「面白そうか」に重みを置いていました。

個人としてはとても楽しく有意義な時間が過ごせるのですが、会社としての規模の拡大や、組織化という点では、うまくゆきません。

その後、いろいろなセミナーに参加したり、本を読んだり、いろいろな人から勉強させてもらったりして、少しずつそれを実践したりしてきました。

それで、最近は、ちゃんと考えて、これは会社のこれまでの事業とどのように関わるのか、どうやって収益性を高めるのか、将来的にどのように展開してゆくのかを、それなりに考えて判断するようになりました。

恐らく経営者としては、多少成長したというか、以前よりはマシになったと思います(あくまでも以前の自分と比べてです)。

 

社長としては、寝ても覚めても会社の収益を上げる方法を考え、考え、考えまくって、いなければいけません。それができる人だけが(経営者として)生き残れる人だと思います。

 

ここ数年、そのような努力をしてきましたが、何となく自分自身に閉塞感というか、ものすごく我慢して苦しい感じがしているというか、うまくいっていない気がしていました。

 

なんとなく息苦しい・・・。

 

気が重い→表情が険しくなる→運が逃げる→気が重い→・・・

というような悪循環を断ち切るべく、ちょっと考えずに走ってみたくなりました。

 

もともと、じっくり考えるよりも、瞬間的に対応するのが得意ですし、何か起きたらそのときに考えればよいか・・・と開き直り、いろいろなことに、手を出してみることにしました。

本能の赴くまま・・・好奇心の赴くまま・・・楽しそうな匂いをたよりに・・・。

 

そうしたら、一気にいろいろが動き出しました。楽しくなり、表情も良くなってきました(たぶん)。運も良くなってきました。

 

後は走りきるだけです。右足が沈む前に左足を出し、左足が沈む前に右足を出す方式で。

メールの書き方

最近では、メールは仕事だけでなくプライベートでも必須のコミュニケーションツールになっています。

 

私も毎日何十通かのメールを書いて、受け取っています。たくさんメールをやりとりしているので、困ったメールに出会うこともそれなりにあります。

困ったメールとは、別に文章が下手とかいう話ではありません(意味が通じないほど下手なのは問題ですが、今回はそれ以前の問題です)。

 

一番困るのは、誰宛に誰から送られているのかが分かりにくいメールです。特に多いのは、誰から送られてきているの科が分からないメール。

  1. メールソフトの送信者名を正しく設定する
  2. シグネチャなどでちゃんと名前やメールアドレスなどが書かれている
  3. 文中に「株式会社○○の□□です」などと書かれている

3つの内どれかが実施されていれば問題ないのですが、どれもないと、メールアドレス以外何もわかりません。

 

こういうメールを送ってくる人は大きく分けて2つのグループがあります。

  1. ケータイメールを主に使っている若者
  2. メールをどうにか使い始めた人

ケータイ電話の場合、基本的にメールはアドレス帳に登録されている人とのみやりとりします。登録済みの人からのメールは、携帯電話は自動的に電話帳に書かれている名前を表示します。なので、普段からメールには自分が誰かを書かなくても、相手は分かるものだと思っていて、特に文中に自分を名乗ることもありません。

 

2のグループも、結局は相手がどのように受け取っているのかを正しく想像できないから、相手は自分から送られてきたメールだと簡単に認識できていると思っている・・・というか、そういう問題があることを認識していない場合が多いでしょう。

 

先日とても困ったメールには

先ほどはお電話で失礼しました。詳細資料を送ってください。

また疑問が出たら質問させていただきます。よろしくお願いします。

と、だけ書かれていました。何ともなりません。特に1日に何回も問い合わせメールがあるときなど、どの電話で何について話したときの資料が欲しいのかを書いてもらわないとどの資料を送ったらよいのか分かりません。せめて名前だけでも分かれば想像できるのですが、そう言う人に限って、フリーメールで、名前とは関係ないメールアドレスがつけられていたりします。

 

学生さんからのメールの場合、大学名や学部を教えて欲しいと言っているわけではありません。ただ、せめて返事を書くときに、呼びかける苗字だけでも書いてあれば良いです。「○○さん、メールありがとう・・・」というように。そうでないと、「aaa@bbb.com さんメールありがとう」としか書きようがなく、何か書きたくなくなります。

 

最低限のメールの送り方については、小学校で教えて欲しいです。本当は家庭で教えることなのかもしれませんが、メールの場合、親たちが正しく知らないこともあります。世の中に電話が普及し始めた頃、電話の出かたは、誰がどうやって教えたんでしょうかね。

特に自分で名乗ることを。