嘘から出た誠的な履歴書詐称就職

学歴詐称はないですが、オーストラリアにいた頃、スキルや経験を偽って就職したことがあります。

当時就職したかった会社に送った履歴書には、無茶苦茶好き放題書いていました。これだけ書けば絶対面接までしてもらえるだろう、という内容で、「こんなこともできる」「こんなこともやってました」と、書きまくりました。

ねらい通り面接まで進み、面接でも何を聞かれても「できます」「やったことあります」的な返答をしました。

 

そして、予想通り就職決定!!

 

ここまでは狙い通りですし、難しいこともなく進みましたが、ここからが大変です。嘘がばれないようにしなければいけません。

仕事を頼まれると、本を買ってきて徹夜で勉強。何とか少しずつ仕事をこなします。もちろん、慣れない作業では時間がかかりますが、それがばれないように、夜遅くまで仕事をしたり、休日に出勤して遅れを取り戻すなどして、間に合わせてゆきました。

幸い会社では、準個室があてがわれていたので、四苦八苦している様子は他の人たちにはばれません。涼しい顔して、実は冷や汗かきまくりながら過ごしていました。

 

しかし、そんなことを繰り返して半年もすると、履歴書に書いた偽りのスキルが、本当のスキルとなります。緊張感が違うので、ものすごい勢いで知識や技術が身につきます。

 

退路を断ってから、物事を行うのは、意志の弱い私にはとても有効な手段でした。おかげで、その会社でも半年もすれば、一人前に仕事ができるようになり、そのときの自信は今の人間形成にも大きく貢献しています。

 

その後、その社長とは公私ともにとてもかわいがってもらうようになり、ある日、実は就職時に書いた履歴書には相当な嘘があった・・・、嘘とまでは言えないにしても誇大表現があった、と打ち明けたところ、怒られるかと思ったら「知っていた」と言われてしまいました。私が夜遅くまで作業していたことも、いろいろな本を見ながら四苦八苦していたことも全部お見通しでした。その上で、期待を込めての内定でした。

 

私としては、自分がうまく騙したと思っていたのですが、実際は全て社長の手のひらの上での出来事でした。

それでも、私は大いにスキルを伸ばし、経験を積み、自信をつけることができたし、会社にも貢献できたので、誰にも迷惑をかけずに皆が幸せになったということで、結果オーライ。

 

そして、社長の仕事は社員が十二分に能力を発揮する環境を作ることなのだと言うことも、その社長から教えてもらった気がします。

男の子は大人にならない

日経BPのSAFETY JAPANのコラム「激動の時代を生き抜ける子供の育て方」によると、

 

一般的に、男の子は女の子に比べて自己管理力の目覚めが遅い。そして、

男の子には、次のような傾向がある。これらは、すべて親にとっては望ましくないものだが、後で伸びるために今必要なことなのだ。
 ・自分がやりたいことはやるが、やりたくないことはやらない。
 ・どうでもいいことに熱中する。
 ・生活の約束を守らない。
 ・言われたことをすぐ忘れる。
 ・ちょろちょろしたり、ちょっかいを出したりする。

なのだそうです。だから、男の子と女の子を子育て中に比べて、男の子を叱ってはいけないというような主旨の文なのですが・・・なんか、これって大人になってもそのままのことって多いです。特に二番目の「どうでもいいことに熱中する」なんて、妻はもちろんHannaにもときどき注意されます(笑)

 

女の子は大人になりますが、男の子はずっと男の子なのかもしれません。

なぜそうしたのか?

今日は岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」の講義にゲストとして呼んでいただき参加してきました。

 

遅刻しないように、いつもより30分以上早く出たのですが、名神高速が工事中+事故で渋滞していて完全に車が止まってしまって、下りることも進むこともできず、ちょっと遅刻してしまいました。

 

講義では学生達にインタビューを受けたのですが、なんとなく質問が積極的でなかったのは、「ディープな質問をしてもらいたい」と書いたからだったのかと、ちょっと後悔してます。次回は、くだらないことでも良いのでドンドン質問してください(笑)。

 

さて、一番印象深かった質問は、

「なぜ○○したのか?」

という系統の質問です。なぜ印象深かったのかというと、たぶん学生達の期待する回答ができていないだろうなと思いながら回答したからです。

○○の部分には「会社を興した」とか「オーストラリアに行った」というような言葉が入ります。

それに対する私の回答は、

「なんとなく」とか「楽しそうだったから」というようなものでした。学生としてはもっと高貴なストーリーを期待していたかもしれません。でも、実際は、そんな深いことを考えていなくて、何となくオーストラリアに行ったというのが本当です。

 

でも、もう少し解説を加えるとすると、当時私の方針というか、行動ポリシーとして、とにかく、挑戦できそうなことは挑戦する。何かに誘われたらすべて参加する。やるかやらないか迷ったときは「やる」。というようにしていました。

なので、どんな行動もなぜやったのか?という質問には、あまりちゃんとした回答ができないのです。

でも、この行動ポリシーは若者にはおすすめです。何かしようかどうか迷うことは多いと思いますが、若いうちは、迷ったらすべて「行動する」方を選ぶとよいです。とにかくやってみて、失敗もして経験を積むことが、若いうちは重要です。

 

やるべきかどうかを考えるのは年を取ってからでよいのです。若いうちは選択肢が二つあったら積極的な方の選択肢を闇雲に選択しましょう。

 

国会議員のミニ集会

昨晩、地元選出の国会議員のミニ集会(?)に参加してきました。最初は「人数が足りないと格好が付かないから」という感じで言われていたのですが、結局、会場となった家が満タンになる20名ほどが集まりました。

 

家から少し離れた駐車場に車を停めて、歩いてゆくとブヒブヒと声がします。よく見ると

こんなのが何頭かいました。最近まで野生の動物だった者たちなので、迫力があります。おそるおそる近づいて写真を撮りました。

 

その後、ミニ集会では定番の絶品料理がたくさん出されました。

 

そうです。先ほどのやつのなれの果てというか、処理後というか・・・。あまり深く考えると食欲が減るので、深くは考えず、おいしく頂きました。もちろん、議員さんからの提供ではなく、我々の食事会に議員さんをご招待と言うことです(贈収賄ではありません(笑))。

 

集会自体は、かしこまった集会ではなく、ざっくばらんに食事をしながら話をする感じで、みなさん、それぞれ日頃考えていることや国に対しての要望などを言われていました。それに対し議員さんは、メモを取りながら聞かれていました。

 

国会議員になると、東京と地元を行ったり来たりしながら、小さな集会にも参加して、いろいろな意見を聞きながら支持を広げ、いつ来るか分からない次の選挙に備えなければいけないので、たいへんだなぁと思いました。

中心となって支援をする人たちも、選挙期間中以外でも、いろいろなところにお伴しなければいけないし、自分が抜けてもちゃんとまわってゆく会社の仕組みを作った人か、名士と呼ばれるような資産や時間の余裕のある人でないと無理だなぁとも思いました。

 

キャリアデザインについて

長文です・・・が、岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」の授業で、来週私に質問をしようと思っている学生さんには、ぜひ、全て読んでもらって、よりディープな質問をしてもらいたいです。「その眼鏡はどこで買われましたか?」という質問は禁止です(笑)。今年は眼鏡をしてゆかないので。

人生においては目標設定が目標達成よりも難しい

何事も目標を持ってそれに向けて進んでゆくことはとても重要です。ゴールを決めて、それにはどのようにアプローチしたらよいかを考えて、そこに向かうことでゴールにたどり着ける確率が高くなります。

 

でも、人生設計やキャリアデザインと呼ばれるような問題については、そう簡単には行きません。そもそもゴールの設定が難しいです。自分がどんな人間になりたいのか、どんなことがしたいのかは、所謂成功者と呼ばれる人たちでも40歳以降にゴールを見つけた人は少なくありません。

 

効率よくゴールに向かうためには少しでも早くゴールの設定をした方がよいのですが、早ければ早いほど決めるのが難しいのです。

小学生の時に、人生のゴールを決めて、それに向けてその後の70年以上、ゴールが変わらずにがんばることはたぶん無理です。たまたま、親に言い聞かせられて、それを信じ続けることができたりしない限り無理です。しかも、相当運良く環境の変化がない場合です。

様々な要因で考え方が変わり目指すべきゴールも変わる 

普通は、人間は年を取るごとに自分の置かれている環境が変わり、それによって人生に対する考え方も変わります。いろいろな人に出会い、考え方が変化することもあるでしょう。大切な人を失ったり、自分が大きな怪我をしたり病気をしたりすることで、考え方が大きく変わることもあります。そう言う変化を全て受け入れながら、人生のゴール設定も変わってゆくのが普通です。

私自身も、年を重ねるごとに考え方が変わってきたことも多いです。

 

では、そうやって考え方が変わるから若い頃のゴール設定は無駄なのかというと、そうではありません。この先どのように自分の考え方が変わるのか分からないから、今は何も決定もしないし行動もしないというのは最悪です。

若い頃にとにかくがむしゃらにがんばることが人間の深みを増す 

最も重要なのは、その時々で最大限の努力をするということです。もしかすると、今現在追い求めている夢やゴールは、10年後には変わってしまっているかも知れませんが、それでも、一生懸命努力した結果や、努力したことそのものが大きな意味を持ちます。

特に若い頃というのは、体力的にも置かれた環境的にも一番無茶できる年代なので、この時期に無茶苦茶がんばると、それがその人の底力というか、人間力となり、その後の人生で大いに花咲けるはずです。

 

私の場合、15年くらい前にはオーストラリアの永住権を取って、ずっと住み続けることが、ひとつの目標でした。それに付随して、事業を大きくし大金持ちになることも目標でした。今現在は、それは目標ではありません。でも、当時、裏も表も含めて永住するための制度を勉強したり、実際にいろいろな申請をしたりしたことや、事業をしていたことは、具体的な知識や経験として役に立つだけでなく、「誰よりも努力した」という事実がもたらす自信につながっています。

幸福で充実した人生を送るためのキャリアアップ

そもそも、何のためのキャリアデザインなのか、と言えば「幸福で充実した人生を送る」  為だと私は思います。これについては、私は20年以上全く揺るぎはありません。この先も恐らく死ぬまで変わらないと思います。

一方「幸福で充実した人生」とは何かというのは、高校生くらいの頃から、現在までいろいろに変化してきました。この先も、死ぬまで変化し続けると思います。15年前には、オーストラリアの永住権を取得して大金持ちになることが幸福だと思っていましたが、現在は家族が仲良く過ごし、娘たちが健やかに育つことが最高の幸せだと思います。

 

幸福とは何かを考える上では、抽象的なことから具体的なことまで、それぞれのレイヤーで考える必要があります。例えば「(ある程度の)お金持ちになる」 というのは、多くの人にとって目標にすべき事柄です。でも、できるだけ目標レイヤーの中では低い位置に置くべき事柄です。つまり、私の場合「娘が健やかに育つ」という目標の下に、「お金持ちになる」という目標はあってもよいですが、順番が逆になることは考えられません。娘が学校でいじめられない程度には物を与えてやりたいし、家の経済的な理由で大学進学を諦めるようなことにならない程度には収入は増やしたいです。でも、それ以上にお金は必要なく、それよりも貴重な幼少期に少しでも多くの時間一緒に過ごせることのほうが、価値があると思っています。

 

どんなゴールを目指すにしても、お金に関する目標は、低いレイヤーにおいた方が人間として美しい人生を送れる気がします。最悪なのは「お金持ちになる」ことを人生の目標にしてしまうことです。これは全くのナンセンス。意味がありません。

 

お金で大抵の物は手に入るが、お金が無くても大抵の物は手に入る

私がお金に対しての執着が減ったのは、いろいろな人と出会うことができたからです。大金持ちの人、ものすごく収入の少ない人、いろいろな人と仲良くなって、今でも友達と呼べる人の年収や資産の格差は、100倍以上はあります(年収200万円〜年収2億円以上)。いろいろな人とつきあう中で、お金持ちになるとこんなことができるのか、とか、お金がなくてもこんなに楽しく生きられるのか、とか、いろいろなことが学べます。

でも、私が友人と呼べる人たちの共通点は、みんな楽しく生きていること。年収や資産には関係なく、みんな人生を楽しんでいます。逆に年収が多くても不幸な人も多く知っています。

 

20代でやっておくべきこと

私はまだ20代が終わって10年しか経っていないのですが、これまでのところ私の20代の過ごし方はよかったと思っています。私の二十代は次のような感じでした。

  • がむしゃらに何かに没頭する(あまり効率を考えない)
  • お金を貯めない(全て自分に投資する)
  • いろいろな種類の人とつきあう
  • 答えが出なくても考え続ける。ただし止まらずに。(どんな仕事をすべきかと考えるが、答えが出るまでとりあえず、コンビニと居酒屋で働き続けるなど)
  • 大きな野望を抱く

自覚は少ないですが、痛い目にも遭い、苦しい思いもしたと思います。

でも、それが全て人間性を高めることにつながっています。ぜひこれから20代を迎える人たちや、今まさに20代を過ごしている人たちにもやっておいてもらいたいと思います。