コミュニケーションに必要なもの

先日、移動中に聞いていたNHKラジオで、外国人とのコミュニケーションや、日本人のコミュニケーション能力についての話をしていました。そのときにゲストとして登場して話をされていたのは、同時通訳の草分け的存在で現立教大学大学院教授の鳥飼玖美子さんでした。

20年くらい前にNHK教育テレビの英会話番組で英語の勉強をしていたのですが、その番組の講師が鳥飼さんで、それ以来のファンです。著書もたくさん読んでいます。

そんな鳥飼さんが、先日の番組で最後にアナウンサーに「コミュニケーションに一番重要な能力は?」と聞かれ、

「伝えたいこと(内容)をもっていること」

と言われて、なるほど!さすが!と思いました。

もちろん、コミュニケーションを取る場合にあると便利な能力はたくさんあると思います。語学力とか、観察力とは、話を聞く能力とか。

でも、伝えたいことがなければ、伝えることはできません。伝える意味もない。

さらに、私が必要だと思うのは、

「伝えたいと思う熱意」

だと思います。強く強く思っていれば、きっと伝わります。

もちろん、細かいニュアンスを伝える為には高度な語学力なども必要になるのですが、もし、伝えたい熱意が強ければ、語学力はあっという間についてきます。

オーストラリアにいたころ、一番語学力の進歩が早かったのは、日本語を話せない人を好きになった女の子でした。伝えたいことも伝えたいと思う熱意も強いからだと思います。 

若者のコミュニケーション能力が低下していることが問題と言われていますが、それは伝えたいことが少なくなっていることが原因だと思います。 

美濃焼がここまで栄えた理由

産業としての美濃焼が栄えはじめたきっかけは、もともと良質の材料が取れ、たくさん焼き物を売る商人が集まり、職人が集まり、仕事が集まり、分業化することで技術も上がり、集積化することで、コストが下がり、また、仕事が集まり、それに伴い職人が増え・・・という良いスパイラルが生まれていったことだと思います。

 

それに加えて、さらにこれまでの日本の風習や社会常識が、皿に焼き物産業を支えたのも事実です。

 

昨日、萬皿屋の役員の安田さんと意見交換(なんて言うとおこがましいかもしれません。教えを請うた)させていただいたときに、聞いて納得したことなのですが、昔の日本は良くも悪くも、他人との関わりが多くて深かったため、良くも悪くも贈り物が多くありました。

御中元、お歳暮をはじめ、何かお世話になったときには贈り物をしました。その中に焼き物が多く含まれていました。特に結婚披露宴では、食器を多く贈ってました。それが焼き物の需要をふくらませて、美濃焼産業を支えていたとも言えます。

 

しかし、贈り物としての焼き物は、「使いたいもの」ではなく「贈りたいもの」としての需要です。だいたいは、押し入れの隅に置かれていました。

言い換えると、使われる以上の量の焼き物が買われていたということです。

それが、最近は「贈り物は実用的なものを」という考えが広まり、かつ、贈り物自体がドンドン減ってきています。結婚しない人も増え、結婚式をしない人はもっと増え、結婚式をしても昔ながらの形式張ったものではなく会費制で引き出物もなく、引き出物も「豪華に見えるもの」ではなくて「使えるもの」になり、虚空の需要が減ってきました。

 

以前は、良くも悪くも、いろいろな人と多く関わり、深く世話になりながら生きていました。そして、いろいろな場面で贈り物をする機会も多く、贈り物は(今より)見栄えを重視されていました。そんな生活スタイルや社会構造が美濃焼産業繁栄のひとつの要素であったと思います。

 

社会構造やライフスタイルの変化が、贈り物としての焼き物需要を減らし、美濃焼産業が大きなダメージを受けています。

 

今の美濃焼産業が苦しい(ほとんど死にかけている)のは、景気が悪いからではありません。昔のように戻ることはありません。もう、社会構造もライフスタイルも変わってしまったのだから。

 

であれば、新しい美濃焼産業に変わるしかありません。昔のようにあらゆるものが集積されて巨大な生産地であり、「何でも安く大量に作る力がある」という美濃焼産業は滅び、新しい美濃焼産業を生まなければいけません。

残念ながらそのときには、これまで以上に多くの企業に引退してもらわないといけないのではないかと思います。

私に備わっている最大の能力

確かに苦しい時期だったはずなのに、あまり苦しかったことを覚えていないのは、人間には「忘れる」という能力があるからです。

 

物忘れというと悪い意味で使われることがほとんどですが、忘れることができるから幸せになれることもよくあります。

 

Hannaが1歳になる直前から4歳になる直前まで、私が毎日保育園に送り迎えしていました。今通っている保育園と違って大きな保育園だったので、延長保育の子供達もたくさんいたのですが、その中でもHannaは長く保育園に滞在していたほうだと思います。私の出勤時間に合わせて、朝は7時過ぎに家を出て、8時前には到着していました。夕方は6時過ぎに迎えに行っていました。家に着くと7時くらいになってしまうので、それからあわてて夕食を食べて風呂に入れて、寝かすことを必死にこなしていました。

親たち以上にHannaもきつかったと思います。それを思うと親としては精神的にきつかったです。

 

でも、今思い出すと、漠然とした「辛かった」という記憶と、それ以上に楽しかった場面場面の記憶しか残っていません。夕方迎えに行くと、まだ歩くのが上手でないHannaが転がりながら満面の笑みで私の方へ向かってくる姿や、参観日などで見たHannaの姿など・・・。

 

辛いことは忘れ、楽しかったことだけを覚えているというのは、私の能力の中で一番優れている能力です。

おめでたいと言われるかもしれませんが、とにかく私には楽しい記憶だけが残り、楽しい人生が送れるようになっているようです。

 

美濃焼の特徴2

(産業としての)美濃焼の最大特徴は「特徴がないこと」ですが、それ以外にもいくつかの特徴があります。

その一つは、地域ごとに作っているものが、ものすごく限定されていることです。例えば、土岐市の駄知町ではドンブリ、下石ではとっくり、多治見市の市之倉では杯、笠原はタイルなど、圧倒的に生産量の多い製品があります。もちろん、他のものを全く作らないとか、他の地域では全くその製品を作っていない訳ではありませんが、かなり、きっちり分かれています。

これは、美濃焼産地全体が良くも悪くも保守的で、抜け駆けを許さず、他の商品を作らなかったことが原因です。

おかがで、その地域に行けば、いろいろな種類のその商品を仕入れることができます。

さらに、その中でも作業ごとに非常に細かく分業化されています。

コーヒーカップのハンドルの石膏型だけを作っている業者、皿に絵だけを描く業者などなど、小さな規模で事業を行っているところが多数あります。

そんな業態というか、超分業化が成り立つのは、たくさんの仕事がこの地域にあったからです。全体でたくさんの仕事があるから、ものすごく細かく分業しても、それぞれの業者にそれなりの仕事が行き渡っていたのです。

超分業化されたそれぞれの業者は、それを専門で作っているので、技術や効率も上げやすく、それにより、また、コストを下げることができるようになり、この地域への仕事が集中することになり、どんどん、美濃地域が巨大で最強の焼き物産地となっていったのです。

しかし、人口も減り始め、日本中の人たちの経済レベルの上昇も止まり、日本の人たちの生活スタイルが変わり、絶対的な需要が増えにくい状況になってきています。それに加えて、中国というとてつもなく安く生産ができる国からの輸入も増えてくるなど、いろいろな要素で、これまでの美濃地方の産業構造ではうまくゆかなくなってしまったのです。

ちなみに、中国から大量の安い焼き物が入ってくるようになったのは、美濃地方の大きなメーカーが中国に工場を作ったのが原因だったりもします。

この大きなメーカーについても含めて考えると、ますます、美濃焼全体の発展プロジェクトは難しくなります。

産業としての「美濃焼」 は、あまりにも大きくなりすぎたため、どうにもならない状況になっているのかもしれません。生き残るためには、ものすごく変化しなければいけないかもしれません。

そこで、私が悩んでいたのは、産業構造(あらゆるものが作れる、超分業化された巨大産地)そのものが「産業としての美濃焼」だとすると、それを変えてしまったら「美濃焼ではなくなる」と思っていたからです。

全ての業者が生き残ることはできなくても、新しい時代の新しい「美濃焼産業」が発達することは可能かもしれません。

そんな切り口で考えてゆきたいと思います。

・・・つづく・・・ 

今年はサクラが咲きそうです!!

いよいよ暖かくなってきたので、今日は今シーズン1回目のちゃんとしたバーベキューをすることにしました。

・・・が、久しぶりの晴れた休日で、また、春が来る準備として、家の屋根を掃除&点検しました。

屋根に上がると、いろいろ傷んでいるところが見つかったので、梅雨時までに修理する必要があります。 

屋根にたまった落ち葉(一部腐葉土化していた)を落としながら、サクラの枝に目をやると、そこには大きくふくらんだたくさんのつぼみ。

今年こそは咲きそうです。咲いたら2年ぶりの花見です。 

掃除などが終わったら、バーベキューです。新タマネギ、ニンニク、長いも、チキンナゲット、ソーセージはんぺい、鯖、ソラマメ、バナナなどを焼きました。あと、ほんの少しだけ肉!

炭火焼きの場合、ソラマメはサヤごと炭の中に突っ込んでおくととてもおいしいです。

満腹になったあとで、屋根から落とした落ち葉で、焼きいももしました。

我が家を満喫した一日でした。