夏バテなどしていては勿体ない

いつぐらいからか、夏バテしたという記憶がありません。特に40歳を超えてからは夏はずっと元気です。

暑い中でたくさん運動をして汗をかいて、お腹がペコペコになるのでたくさん食べて、夜も爆睡、朝の目覚めも良いので朝からRUN!

今年は子どもたちの夏休みの前の週から、3週続けて週末は「海水浴」、「キャンプ」、「海水こんな海にはたまにしかいけませんが・・・浴」に行ってます。今週末も海水浴の予定です(^_^)

子どもが海が大好きであることや、妻が海やキャンプが大好きであることや、それ以上に僕自身が海が大好きであることが、海に行く理由です。しかも、海に行ったら泳ぎまくります。ビーチから沖のブイまで行き、あとはビーチと並行に何往復も泳ぎまくります。休憩代わりに子どもたちとちょっと遊んで、また、沖を泳ぎます。それを何度か繰り返したら、子どもたちとシュノーケリングしたり、水泳指導をしたり、水分補給と昼食時以外は、ずっと海に入っています。

これだけ海を満喫するために、毎日、早寝早起きし、トレーニングを積み重ねが欠かせません。体力を高いレベルで維持、向上しているおかげで、朝早く起きて、朝ご飯のおにぎりを作り、そのまま2時間運転して海に行き、テントを張って、泳ぎまくり、片付けて、また2時間運転して帰宅し、帰宅後に海グッズを片付け、次回直ぐに持って行けるような状態にし、何事も無かったかのように平日は仕事をすることができます。

普段の僕の食生活、特に大会前の調整期などは、食べるもの、食べる量、食べる時間などを細かく指示を受けて、キッチリ食べます。基本的にお酒も飲まないし、夜更かしもしない。そんな生活の何が楽しいのかと聞かれることもありますが、そういう生活でのみ得られる健康や体力によって、子どもの夏休み期間中は、海に行きまくって遊びまくれることが何よりも歓びです。

夏休み期間に限らず、体力に余裕があることで、会社でも家でも働けます。

心の強い人でなければ、疲れて家に帰ってきたら、余分に家事をしようなんて思ったり、妻を労ろうという気もなかなか起きません。でも、 自分は元気はつらつ、妻が疲れていれば積極的に何かしようと思えます。

自分もたくさん遊び、やりたいことをやり、家のこともたくさんできるような状態になるには、自分の健康と元気がとても重要です。そのための努力は惜しみません。

なんて言うと、お前の趣味は泳いだり走ったりすることだからそれは努力でなくて遊びだと言われそうですが、確かにその通りです。走ったり泳いだりする趣味、オススメします(笑)

若い頃にはできなかったこと

それなりにトレーニングを続けてきた人が、40歳を超えて自己ベストを更新するのは相当難しいです。
練習量を増やしてもケガするし、疲労回復が追いつかなければ練習の質も落ちます。
それをするのには、ものすごく神経を研ぎ澄ます必要があります。
ほんの小さな体の不調も感じ取って直ぐに対処する。それも、「右膝が痛い」ではなく、「右膝の内側のちょっと奥が痛い。強度に関係なく45分以上走った後に痛むが、一晩寝ると翌朝は痛みはない」というような感じで、できる限り細かく感じとり、過去の経験と照らし合わせて対処をすることが必要です。
食事についても、全体を見た瞬間にだいたいのカロリーを計算できるだけでなく、タンパク質や脂質の量なども目測します。
コンビニで買って食べなければいけない時には、栄養か表示を細かくチェックして、食べたいものではなく食べるべきものを選びます。
減量期や、レース前の調整期などは、キッチンスケールでグラム単位で食材やサプリを計測して摂取します。
睡眠時間を十分に取ることや、練習を休むことも必要です。ずっとトレーニングを続けている人にとっては練習を休むというのは、結構精神的に苦しいことなのですが、年を取ったら特に休みも重要です。
これらを、毎日毎日続けることが必要です。
さらに重要なのは、そのことにストレスを感じないことです。美味しい物を何も考えずたらふく食べたいという気持ちよりも、次のレースで成績を上げることに歓びを感じ、ストレスをできるだけ感じず続けることです。
さらには40歳を超える頃には、会社や家庭での役割も重要度を増すので、毎日同じ事を繰り返すのは難しくなります。
宴会に行くときはあえて車で行き、同席者にできるだけ不快な思いをさせないように酒を断り、同席者に感づかれないように、食べるべきものだけを食べ、それでもストレスにならないように心から楽しく過ごし、1次会で帰る。
トレーニング時間を長く取れなくても、強度と質の高いものになるように、1本1本、一歩一歩、ひとかきひとかき、神経を研ぎ澄まして行うことで、効果は上げられます。

これが徹底できれば、40代でも記録は伸び続けると信じています。

特に、ここ1年の記録の伸びは高校生の頃並です。伸び盛りの40代まだまだ頑張ります。

格差社会は悪ではない・・・と思います

格差社会というのが、悪い意味で使われていますが、僕自身はそんなに悪いことではないと思っています。社会が活性化して発展してゆくためには、知能指数が高くて努力を続ける才能のある人が、地位や権力をや収入を高めてゆける仕組みが必要だと思います。

自分の周りを見ても、すごく稼いでいる社長さんたちは、すごく頭もいいし、勉強しているし、何より努力をしています。それも尋常でないほど。

その人たちが贅沢な暮らしをすることに違和感はありません。同時に、自分にはそんなことはできないなとも思ってます。寝る間を惜しんで仕事をしたり、勉強したり、つらいことでも頑張り続ける・・・。

だから、自分の年収がその人たちの10分の1であっても、当然だと思います。

もともと、知能指数が高くて、さらに尋常じゃないほど、考えて考えて、努力をしまくるエリートの人たちには、それなりの贅沢や、多少の悪いことをしてもよいので、日本社会をよくするために頑張りまくってもらえばよいと思います。

一方で、私も含めた凡人は、エリートを妬むのではなく、その人なりの幸せを見つける能力を身につけ、不要なコンプレックスを持つわけでもなく、幸せを感じて生きてゆくべきだと思います。

ちなみに、エリートの人たちは「我々はこんなに、考えて努力しまくって頑張り続けているのに、大多数の人は、努力もせず文句ばかり言っている」と言われます。でも、これは間違いだと思います。先のことを考えたり、努力を継続できるのは、才能です。

身長2mの人が、身長160cmの人に「なぜ、君は天井に手が届かないのか?怠けるな。」と言っているようなものです。 

エジソンが「天才は、1%のひらめきと99%の努力」と言ったそうですが、凡人には何年も寝食を惜しんで努力を継続することはできません。努力が継続できるというのは、持って生まれた才能です。

エリートは、努力が継続できることを、自分の特殊な才能だと認識し、その恩恵で自分が成功者としていられのだと認識して欲しいです。

また、凡人は、努力が継続できないことを悲観する必要はないですが、努力が継続できないからエリートとは成果が違うことを許容し、それでも、自分のいる場所で、幸せになることを考えるべきだと思います。 

最後の最後

私は、普通の人よりプレッシャーを感じたり、緊張したり、悩んだりすることが少ないと思います。最近は特にそうです。

 その理由は、

成るようにしかならない

と思っているからです。重要な交渉でもプレゼンでも、上手にできるかどうかは練習やそれまでの人生で培ってきたものによってきまるので、当日その場では必要以上には緊張しません。そして、もう一つ

成るようになる

と思っているからです。重要な交渉でもプレゼンでも上手にできない可能性はあるけれど、そうであっても、本当に熱意と努力を注ぎ込んでいればきっと上手くいくし、もし、その交渉がだめで骨折り損になっても、いつか神様はきっと棚からぼたもちを落としてくれると思います。


自分にとって何が1番怖いことなのか、何を1番避けたいか、最後の最後まで守りたいものは何か、それが明確にすれば悩みはほとんどなくなると思います。

僕の場合、それは「家族」です。最後の最後、家族の信頼や愛情さえ残るのであれば、あとは捨てられます。家族にさえ信じてもらえているのであれば、難しい交渉に行ったり、謂れ無きことで叱られたり、晒し者にされたり、恥をかかされたとしても耐えられます。

他人に高い評価をしてもらえるのは嬉しいけれど、他人からの評価ばかり気にしていると、プレッシャーを感じたり、悩んだりしなければいけません。最後の最後、世界中のすべての人が低い評価をしたとしても、家族から高く評価してもらえていればそれでいい。耐えられます。

先日も妻には

「よく呑気に寝られるねぇ。私なら直ぐ胃に穴が開くわ」

と褒められましたが、そうやって妻に褒めてもらってから、地獄の釜にに飛び込んで、無事生還しました(笑) 

正解や完璧がないこと

先日、ラジオを聞いていたら、NHKのアナウンサーが「スポーツ実況に満点は無い」というようなことを言っていました。

同じ競技を見ながら実況するにしても、どこに焦点を当てるのか、沢山しゃべるのか、あまりしゃべらないのかなど、様々な要因が組み合わさっているので、完璧ということはないということです。

オリンピック中継などでは、会場内の空気感などによっても、伝えるべきものは変わるし、競技者自身の気持ちによっても、伝えるべきものは違うのだそうです。

子育てや人生も、満点もないことかもしれません。

子どもにとって何がよいのか、誰にもわかりません。お金に不自由せず大学では勉学に集中できるのがよいのか、親があまりお金を持っていなくて、アルバイトをたくさんして苦労をして大学を出る子と、どちらがよいでしょうか?

学業成績は、前者の方がよくなるかもしれません。後者はお金のありがたみや、社会の厳しさを知り、たくましく人生を歩けるようになるかもしれません。

一流企業に入社できるのは、学業成績がよい人でしょうか?様々な経験をした人でしょうか?

どちらもあり得ます。学業成績がよくて得をすることも沢山あります。お金に不自由しなくて得をすることも沢山あります。

でも、学業成績が悪くても得をすることもあります。でも、たとえば学業成績がよい子だけが、学校の先生になったとしたら、「勉強ができない子、苦手な子」の気持ちが心から理解できるでしょうか?

どんなことにも、よい点と悪い点が一緒についてきます。受け止める人や、その人の状態によってどちらがよいかが決まる場合もあるし、それでもどちらがよいのかわからないこともあります。

どんな親も、子の幸せを願っているはずです。 

そのために何をするのか?

お金を十分に稼いで十分に与えるのか?

失敗ばかりしてお金にも苦労して、働きながら大学を出てもらうのか?

正解や完璧な答えはありません。

僕自身は子どもたちに「楽しそうに生きている姿を見せる」ことだけはしてゆきたいと思っています。どんな状況であっても「人生は楽しい」それだけは一生かけて子どもらに伝えたいです。それが伝われば「後は自分でがんばってね」です。