新しいシステム導入時のトラブル

新しいコンピュータシステムを導入した直後は大変混乱します。トラブルが連発して、業務改善のシステムなのに逆に業務が増えることもあります。

それはある程度仕方がないことなのですが、そのとき、それを乗り切って業務効率化が図れるか、結局、何ヶ月後かにほとんど使われないシステムになってしまうかは、使用者とシステム開発者の信頼感と意識が強く影響します。

お互いに信頼感があり、お互いにその信頼に応える努力ができれば、うまくゆきます。たとえば、プログラムそのものに不具合があった場合、最善の方法で対処することが、開発者には求められます。

 

また、使用者が「不具合」と報告する内容の多くは、厳密に言えば不

具合ではなく誤操作であることが多いです。その場合、「プログラムが動かないぞ。さっさと直せ!」というような指示では、その個別の問題については直っても、同じような問題が次々と出てくる場合があります。

例えば、文章を入力する画面でEnterキーを押したときに、改行されるのか、入力を完了するのかという違いでは、もし、使用者が無意識にどちらかの操作だと思って操作を続けてしまうのであれば、警告を表示するとか、挙動を設定できるようにするとかの対処を開発者はすべきです。

 

お互いに同じゴールを目指して信頼しながら進めていれば、直ぐにシステムトラブル(誤解が減れば大半はトラブルと言われなくなる)は急激に減り、やがてハッピーエンドというか、ハッピーな関係の継続につながります。

それができていないと、開発会社は

「うるさくて面倒なお客に捕まって、赤字のプロジェクトをした」

という感想を持ち、使用者(エンドユーザー)は、

「使えないシステムを高いお金を払わされて作ってしまった」

という感想を持つことになります。

 

私もシステム開発会社の経営者として常にこのことを意識してゆきたいと思っています。

やっぱり英語よりも日本語教育が重要だと思います

一応IT系の仕事をしているので、IT系の説明をする機会もすくなくありません。

(私も含め)技術者が説明するときに問題になるのが、専門用語の連発や、難しい言い回しを使ってしまうことです。普段技術者同士の会話で無意識に使っている言葉を、そのまま業界外の人にすると、理解されにくいです。

 

私の場合、そういう失敗を減らすために行っているのが、妻への説明です。全く技術に疎い妻を相手に、ちゃんと理解してもらえる説明ができれば、技術的前提知識が無い人でもちゃんと理解してもらえることの証明になります。

 

お客さんに説明する内容を妻に聞いてもらい、理解できなければ、何がどう理解できないのかを聞き、その部分を修正します。

 

ただし、最近気づいたのですが、話を理解できない人は、単に説明者の説明方法が悪いだけではないということです。その場合の原因は、

  1. そもそも理解しようと思っていない(自分の担当外だからと言って思考を拒絶する)
  2. そもそも日本語の理解力が乏しい

1については意識改革でなんとかなります。30歳からでも、40歳からでも大丈夫です。常に当事者意識を持って聞いたり、考えたりできるかというのは、その人の人間性を高めるのにとても重要な要素です。会社の社員が当事者意識を持って、創意工夫や努力をしている会社は伸びます。

向上心を持って生きている人は、ドンドン成長できますし、そう言う人がいる会社もドンドン成長します。

 

ただ、2については、小学校くらいから訓練していないと厳しいです。やはり、英語よりも日本語教育を充実させることが重要だと思います。

一番辛かったのはいつですか?それをどう乗り越えましたか?

先週、岐阜大学で開催されたG-netインターンフェアに参加しました。

大学生と話をするのは、いろいろな意味で楽しいです。ブログでも何度か書いていますが、自分自身の(良い意味で)若くて、野望に満ちて、トントンに尖っていて、無謀で、無茶していた頃を思い出させてくれて、初心に戻ることができます。

 

それ以外に、今回気づいたのが、学生に話をしながら自分自身に言い聞かせているようなことがよくあるということです。

もちろん、学生のためになるようにと思いながら、話をしているのですが、それは学生達が40歳くらいになったときに気づくことなのではないかと思うことがあります。

例えば「家族、友達、その他全ての人に感謝の気持ちで何事にも取り組もう」というようなことを言ったりします。

実際、これは正しいことだと思います。しかし、私が20歳くらいの頃、そんなことを考えていたかというと全くそんなことはありません。自分のことしか考えていなかったし、周りの人をけ落としてでも自分が上に上がろうと思っていました。
とても生意気な若者だったので、かなりいろいろなところで叩かれたりもしました。しかし、そのおかげでがんばれたのです。

偉そうなことを言った手前、投げ出すことはできず、がんばれたと思います。

今は、20歳くらいの頃に比べればずっと、家族、友達、その他全ての人に感謝の気持ちを持って、生きています。まだまだ足りませんが、足りないことに気づいています。

私より、もっと人間的に立派な人であれば、20歳くらいからある程度、高貴な理由や目標を持つこともできるかもしれません。でも、やはり人間には、年齢に応じてやるべきことがあり、若いうちというのは、生意気で無謀で孤高な生き方を目指すべきなのだと思います。

 

さて、先日学生に聞かれた質問で、一番印象深かったのは

これまでの人生で一番辛かったのはいつですか?それをどう乗り越えましたか?

です。この質問を受け、考えたのですが、もちろん、辛いことはたくさんあったのですが、それほど覚えていないというのが正直なところです。私の脳はものすごく都合良くできていて、イヤなことや辛いことは直ぐに忘れ、楽しかったことなどは良く覚えているので、思い返すと楽しかったことばかりなのです。

ただ、それでは学生が求めている答えではないので、一生懸命辛かった時を思い出しました。

一番辛かったのは、オーストラリアに渡って半年位したとき、目標がなくなったときでした。信頼していた友達が去り、思っていたほどオーストラリアの生活も楽しくなく、かといって「これをしよう」という目標もなく、なんとなく毎日を過ごしていた頃、将来に対してはとても不安があり、辛かったです。

目標に向かってがんばれているときと言うのは、経済的に苦しくても、体力的にきつくても、平気です。一番辛いのは目標を失ったときです。

 

そのとき、どうやって乗り切ったのか?

妄想です。意味もなく、空港へ行って飛行機が飛んでゆくのを見ていました。自分があの飛行機に乗って、どこかへいってしまったら、そこでどんな生活ができるだろう? とても幸運にも大富豪と仲良くなり、プリティウーマンのリチャードギアみたいな仕事と生活をしていると、幸運にもジュリア・ロバーツみたいな人と出会って・・・

また、ノースヘッドという断崖絶壁に行って、波を見ていました。そう言う物を見ながら、自分がスターチャイルドとなって宇宙を漂いながら、地球を眺めたら・・・

なんて妄想をしてました。そのうち小さな目標を見つけ、少しだけ日々の生活が意味のあるものになり、良い出会いもあって、一生の目標を得ることができました。

 

何となく、学生達が求めているような答えではなかったかも知れませんが、事実なので仕方ありません。

 

そんな話をしながら、「最近つらいなぁ」と思うことがあるのですが、よく考えれば目標を失ったときよりはマシか、と思い直すことができました。

「家族全員が健康である」これ以上の幸せはありません。

もし、家族の誰かが病気にでもなったりしたら、どんな良いことが起きても幸せではないでしょうし、それに比べれば、辛いと考えていることはとても小さなことだと思えます。

 

20歳くらいの頃には、全く意味が理解できませんでしたが、今は心から「健康」に感謝できるし、家族の健康が最大の喜びです。

シーシュポスの山

秋も深まり、我が家には猛烈に落ち葉が降り続けます。

 

休日、家族全員で庭掃除。

30分も頑張れば、大きな山がいくつもできます。

しかし、集めているそばから、どんどん新しい落ち葉が降り積もり、山ができた頃には、また庭は一面の落ち葉・・・。

 

気を取り直して、もう一度、掃除開始。さらに大きな落ち葉の山ができあがり、ほっとしたときに、強風が落ち葉の山を吹き飛ばします・・・。

 

もう一度、気を取り直して、落ち葉を集めると、近所の山から落ち葉が乱舞しながら落ちてきて・・・

 

この落ち葉の山、シーシュポスの山です(笑)

 

永遠に進展のないシーシュポスの罰は、山に岩を転がしながら登ると、山頂付近で、岩が麓に転がり落ちる・・・これを永遠に繰り返すという、ギリシア神話です。カミュの不条理の世界です。

20年近く前に、(格好つけるために)カミュを読みあさりながら、不条理についてずっと考えていました(笑)

 

ちなみに、近隣の山の木々や、突然の風など、自分でコントロールできないもののために、自分の運命が決められるような不条理も、落ち葉が自分の所有物であり、自分自身を自分が知ることで、運命は自分のコントロール下に入り、自分も幸せになるのです。

・・・なんて、話すと女の子にもてると思って、悦に入ってましたが、20年間、こんな話をしてもてたことはありません(笑)

ただし、もてはしなかったけど、不条理についての自分なりの答えは持て、落ち葉が永遠に片付かなくても幸せになりました。シーシュポスと同じように、落ち葉を掃きながら実は微笑してます(笑)。

政権交代の影響

夏の選挙で政権交代が起きて、本格的に民主党の政策というか政治が始まったわけですが、いろいろなところに影響が出てきています。

 

もちろん、国民が「一度、民主党にやらせてみよう」と言う意思を示した選挙結果に基づいた改革であるし、これまでの無駄な出費を根本から見直すことができるのも政権交代があったからこそです。

 

そう言う意味で、一国民として中長期的には、国がよい方向へ向かっていくのだと信じて、ある程度、現在のごたごたは容認しなければいけないと考えています。

しかし、変革のために一時的な停滞だったりゴタゴタによって、中小企業に危機的な影響を及ぼしかねない事態も起きています。

無駄だと言うことで、予算停止されてしまった補正予算の事業。確かに無駄かも知れませんが、その無駄な予算により、とりあえず今年の売上げを確保できて事業継続の見通しを立てていた中小企業が、予算停止により急に不安な日々を迎えたりしています。

来年度も実施されることを見越して準備していた、転業(新規事業参入)が、事業仕分けで「廃止」と宣告され、来年の事業計画を大幅に見直さなければいけなくなった中小企業もあります。

 

財務基盤の弱い中小企業にとって、ちょっとした予算の配分変更や、時期の変更で、下手をすると倒産します。それくらい深刻な問題を孕んでいます。

 

もちろん、無駄だから廃止や削減をするのでしょうが、その無駄な事業によって、経営が維持できていた中小企業、そして、そのおかげで雇用が維持できていることも、無駄の削減をすすめている中では認識をしていただきたいです。

 

年末に向けた中小企業支援は、多くの中小企業にとって死活問題となります。是非とも早急に支援策を大きく発表し、少しでも中小企業に関わる人たちの気分の落ち込みを止めて欲しいです。そうすれば、必ず消費も回復します。