【20代の頃】シンガポール空港で2日生活(1995年2月12日〜13日)

1992年から1996年まで主にシドニーで生活していましたが、途中で一度ビザが更新できず日本に帰ってきました。そのあと、無事ビザが取得できて、オーストラリアに戻る時の話です。

 

2月12日に一旦入国しかけたが、トランジットエリアの方が滞在しやすそうだったので直ぐに戻った為、VOIDスタンプを押されましたシンガポール航空の往復オープンチケットをシドニーで購入して日本に滞在していました。オープンチケットは、有効期限内ならいつでも使えるチケットで、希望日のフライトを改めて予約をして始めて飛行機に乗れます。いつでも乗れるのですが、逆に言うとフライトの席が空いていないと乗れないこともあります。

ビザがなかなか下りず、毎日ドキドキしながらバイトに勤しんでいました。チケットの有効期限が迫ってくるとだんだん焦ってきます。結局、チケットの有効期限1週間前くらいにビザがおり、オーストラリアに戻れることが決まりました。

直ぐにシンガポール航空に電話してフライトの予約をしようとしたのですが、満席で取れません。名古屋からシンガポールまでは空いているのですが、シンガポールからシドニーまでが空いていないのです。

3日ほど待っていましたが、予約は取れず、このままチケットが無効になるくらいなら、とりあえずシンガポールまで行ってしまおう、チケットを買い直すにしても、名古屋からよりもシンガポールからの方が安いだろうし。 と思って、シンガポールから先のチケットの目処が立たないまま、シンガポールに行くことにしました。

 

シンガポール空港はとても大きな24時間オープンしている空港です。空港内に宿泊施設などもあるので、お金があればずっと滞在することも可能です。もちろん、空港を出て、観光したり街のホテルに宿泊することもできましたが、いつまで滞在しなければいけないのかわからないし、1ドルでも余分にお金を使いたくなかったので、空港内に留まり、ホテルも使わずベンチなどで寝て過ごすことにしました。

未明に空港に着いたら直ぐに、シンガポール航空の窓口に行き、シドニー行きのチケットのキャンセル待ちリストに登録しました。窓口の人に聞いても、今日は無理だろうと言われましたが、万が一の可能性にかけて、暇さえあればシンガポール航空の窓口に来て、キャンセルが出ていないことを確認してました。

 

2日後にはオープンチケットが無効になってしまうので、そうなれば新しくチケットを買わなければいけません。

退屈しのぎに、広い空港内をあてどなく散歩したり、店をのぞいたり、飛行機を見たりして、空港窓口に戻りキャンセル待ちの確認・・・を繰り返していました。もう一つ、一縷の望みとしては、シドニーにいた頃にバイト先で知り合ったシンガポール人留学生から届いたポストカード。そこに書かれた電話番号に、電話をしてました。その電話は何度かけても留守番電話だったので、もう引っ越したのかもしれません。 なんせそのポストカードをもらったのは、彼女が留学を終えてシンガポールに帰国した直後、つまり、1年以上前で、その後、なんの連絡もとっていなかったので、就職が決まり引っ越した可能性は高いです。今だったらメールだとかFacebookで繋がり続けることができたでしょうが、当時はエアメールですから、よほど強く繋がり続ける気力がお互いにないと繋がり続けられませんでした。

とにかく、その日は何も変化がないまま夜になりました。夜も更けるとさすがに空港内の店も多くが閉まるので、あまり明るくないけど、それなりに安全そうなベンチで、荷物を抱えて仮眠を取りました。

思いの外、爆睡してしまい気づいたらすっかり朝で、結構な人がベンチ前を行き交うようになっていました。幸い何も取られたりはしてませんでしたが、早速、シンガポール航空の窓口に行き、キャンセル待ちを確認しましたが、返事は変わりません。

ダメだとは思いましたが一応、「明後日にはチケットが無効になってしまうので、何とかならないか」と懇願してみましたが、 席がないのだからしかたがないだろうと言われ、まだまだ先の見えないシンガポール空港生活が続きます。

おいしくない朝食を食べたあと、念のためもう一度、友だちに電話をしてみることにしました。

何度も聞いた留守番電話の自動応答メッセージ、それも本人が録音したものでないので、もしかしたら、全然知らない人の家にかけているのかもしれない。その可能性が高い。でも、誰か別人が出て「そんな人知らないよ」と言われるまで、かすかな希望の電話をかけ続けました。すると、

「Hello」

機械でなく、人間の声!!しかも聞き覚えのある声!

全身の力が一気に抜けました。。。相変わらずの彼女は、シンガポール航空に就職したこと、CAとしていろいろな国に行けて楽しいということ、CAという仕事は生活リズムが無茶苦茶になること、今回も深夜のフライトでさっき戻ってきたばかりだということを、一気に話したあと、やっと、

「ところで、あんた何処で何してんの?」

と聞くので。昨日の朝からシンガポール空港で、キャンセル待ちしながらボーッとしてることを話すと、信じられないと超驚きの声を上げて、直ぐに来てくれることになりました。

30分足らずで彼女は到着し、久しぶりの再開を喜びつつも、まずは直ぐに一緒にシンガポール航空の窓口に行きました。それまでずっと「全く席は無い」と言われ続けた窓口で、彼女がIDカードを見せながらなにやら軽く交渉すること1分、振り返った彼女の台詞に、また力が抜けました。

「どの便でもいいよ。どれに乗る?」

さっきまで空きは無いって言ってたのに・・・・。

ここまで待ったのだから、何時間か遅くなっても何も問題ないので、その日の最終便に予約を入れてもらいました。

それから、気を取り直して、まずは空港内の最高級レストランで、いろいろ思い出話などをしながら、のんびり朝食。

同じ空港なのに、数時間前までと全く景色が違います。人間は目ではなくて心で物を見るのだと言うことを体感しました。

 

その後、荷物を、シンガポール航空の窓口で預かってもらって、初めて空港の外に出て、無事シドニーに行ける喜びをかみしめながら、楽しい1日を過ごしました。

1年ちょっと前には同じレストランでアルバイトしていた彼女と私。

1年半前と同じように楽しく、くだらない話や、若者らしい初心な夢の話などをして、とても、楽しい1日となりました。

でも、私は相変わらず夢探しの途中で、自由気ままに生きているのに対し、彼女はひとつの夢を掴んでCAになり、私が何度頼んでも取れないチケットを簡単に取ったり、高級レストランで食事をしたりするような立場になっています。

少しは嫉妬っぽい感情も湧きましたが、当時、根拠のない大きな自信を持っていた私は、悲観しすぎたりすることもなく、自分ももっと行ける。こんな優秀な人と友だちになれるくらい何だから。なんて思ってました。

 

いずれにしても、彼女には本当に本当に助けられました。

それだけでなく、彼女の頑張りに大いに励まされ、さらに強い決意を新たにシドニーへ行くことができました。こういう人の繋がりが私の最大の財産だと言うことも強く感じたシンガポールでした。

 

2011年の振り返り

今年も残り1日、今年を軽く振り返っておきます。

今年はここ数年で一番、新しいことに挑戦した年でした。去年40歳になり、いよいよ人生も後半に入った感じで、いろいろな意味で衰えが出てくる年ですが、去年よりもずっと若返った年でした。

■人生で最高の勉強

資格取得のために、生まれて初めて(笑)数カ月にわたって本気で勉強しまくりました。最終発表は来年ですが、10月の一次試験は合格しました。人生ではじめて猛烈に受験勉強をした年でした。

■人生で最高の身体性能

体力的には、密かに続けている(?)トレーニングで、広背筋、上腕三頭筋、ヒラメ筋、ハムストリングスなどを肥大化しました。ウエストは18歳以降最細の73cmにしぼりました。体型的には人生で最高レベルに達しています。

水泳はレースに出ていないので、公式な記録は伸びてませんが、練習は100mを1分30秒サイクルのインターバルで8本を1分15秒以内で泳げるようになったり、50m×60本を50秒サイクルという練習は、一か八かでやる練習ではなくて、メニューを考えるのが面倒なときに普通に回るメニューになりました。こちらも人生で最高レベルに達しています。

■人生で最高の充実感

心の充実感も最高レベルの年でした。これまでも決して充実感、満足感が低かったわけではありませんが、今年は特に充実感が高かったです。これまで自分の子どもとただ楽しくて関わっていたことが、いろいろな所で、多くの人に共感してもらえたり、参考にしてもらえるようになったことが、とても嬉しかったです。

■不惑

ここ数年、なんとなく自分の人生について迷うというか考えることがありました。会社が十分な利益を出せてもいないし、自分も含め社員には十分な給料を払えていないし、不安定でもあります。多くの優秀な先輩達だけでなく、多くの後輩たちと比べても自分の社長としての努力と成果の少なさを感じて悩みました。

しかし、今年に入り、会社で実施ている職業訓練の関係で、ワークライフバランスや、キャリアについて学術的に勉強したり、さまざまな人とのかかわりの中で、「働く」「仕事」「キャリア」「人生」などを、深く考える事が出来ました。

自分の位置、役割、社会に対しての貢献、価値などを改めて考えることで、自分の決めた道に迷いがなくなった年でした。

もちろん、全てにおいてまだまだ努力が必要だと思います。もっともっと、自分の能力を高めて、少しでも多くの社会への貢献してゆきたいです。

私にとって、最も身近で重要な「社会」は、「家族」であり、まずは、家族が笑っていられることが最大の目標です。

その為にはそれなりの収入も必要なので、それなりに会社も利益を出せるようにならなければいけないし、その為には社員の人たちが、喜んで自分の能力を発揮できる環境や、権限委譲をしなければいけないし。もちろん、それに見合った待遇も。 


■人生は青天井

いずれにせよ、今年、年齢的な限界というのが幻であることを体感、実証できたので、来年は更に猛烈に体と頭を鍛え上げ、ますます「年甲斐もない」ことをやってゆきたいと思います。

それが、これから先の人生でずっと、体力的にも脳力的にも心の充実感的にも人生最高潮を更新し続けてゆく秘訣かと思います。

今年も、本当に多くの人に助けられながら、素晴らしい最高の1年を過ごすことができました。本当にありがとうございました。とてもとても幸せいっぱいであることを家族と一緒に感謝しながら、新年を迎えたいと思います。

皆さん、今年1年、本当にありがとうございました。

終わりのないマラソンレース?!

先日、名古屋でハタモクという会に参加してきました。

社会人と大学生が一緒に「働く目的」などについて、語り合って考えあうという集まりです。

いろいろな話ができて、私自身多くの気付きができました。

その中で、一番印象的だったのは、ある大学生の、「働く」ということに対するイメージ。もうすぐ就職活動を始めるという彼女は、働くことを

「終わりのないマラソンレースみたいなもの、と考えている」

と言いました。学生というのは、3年とか4年とかで区切られていて、終わりがあるが、社会人になって働くというのは、終わりがないと思っているとのこと。

いろいろな思いが混ざってはいますが、どちらかというとネガティブなイメージを持っているようでした。つまり、辛くて長いレース、しかも、終わりがわからない。

さすが、超就職氷河期を生きている学生というか、大学に入る早々、就職は大変だから頑張れ!と言われている学生らしい考え方だなぁと、思うと同時に、もしそんな風に「働くこと」や「社会人になること」を考えていたら、辛いだろうなぁとも思いました。

確かに人生はいつ終わるかもわからないし、終わるまでずっと頑張って走り続けなければいけないマラソンレースなのかも知れません。

しかし、私自身はこれまでの20年超の社会人ライフは、そんなに辛くて苦しいものではありませんでした。これからも、たぶん、楽しくと面白いと予想してます。

なぜか?

私は、他人が設定したゴールを目指したり、ゴールを探したりせず、好きな道を走っているからです。ペースを緩めたり、速めたり、たまには止まったり、一緒に走るパートナーを見つけたり、道端の石を拾ったり、投げてみたりしながら、曲がり角が来たら、楽しそうな道を選んで走っていると考えています。

特に行き先(ゴール)は決めず、その時、見えている景色や、走っている感触を楽しみたい。敢えて言えば走っていることそのものが目的(ゴール)なのです。

行き先を決めていないので、どこで曲がろうが、休もうが、それでよいのです。

だから、終わりのないマラソンレースでも楽しかったし、これからも楽しいのではないかと予想しています。

こんな力の抜けた人生では、大成するのは無理かもしれません。そして、20代の若者なら大成することを目指して頑張るべきなのかも知れません(私自身、20代の頃はもう少し頑張ってましたし)。

でも、世の中の多くの社会人が学生に対してのメッセージとして「甘くないぞ」「つらいぞ」「頑張らなければいけないぞ」ということを発信しているので、一人くらいは違うことを言ってもよいかとも思って、他の場でも学生に話してます。

社会に出る前の学生にとっては、もちろんですが、社会人にとっても、改めて「働く」という意味を考えることができる「ハタモク」オススメです。また、名古屋でも1月に開催されるそうなので、興味のある方はぜひどうぞ。

そこへ行く道はたくさんある(多様性)

最近、人前で話をする時の口癖(?)としている

「そこへ行く道はたくさんある」

先日の岐阜大学でも、強調しまくったので、1ヶ月経ってもちゃんと学生たちは覚えていてくれました。

私の信条の中で、一番譲れないことは「多様性」です。人と違うことを認めること。逆に、私にとって、同じであることを強要されるのが最も受け入れ難いことです。

人と同じ道を歩かず、違う道を見つけることに喜びを感じ、底を通ることがとても楽しいです。遠回りも大好きです。

そこへ行くには、この道を通ってゆけば一番安全で早く確実に行けると誰かに言われても、そして、それが正しくても、私は山の中の草木をかき分けながら、そこへ行きたいのです。

もっと言うと、そこへ行くことよりも、そこへ行こうとしていることそのものが目的であったり楽しみであったりします。

人生の目標はあります。でも、いろいろ寄り道をしながら、道を歩いていることが楽しい。

もし、もともと思っていたところと違うところに到着しても、結果オーライ。

もし、もともと思っていたところに到着できなくても、結果オーライ。
既に、楽しい経験を得ているのだから。

そんな風に考えています。これに共感してもらえる人がいたらうれしいですが、もし、「私はそうではなく目標に向かって一心不乱に突き進むのだ」と言う人がいても、私はその考え方を否定もしないし私の考え方を強要もしません。それが、私の絶対に譲れない「多様性」ということです。

楽しそうな人の共通点

先日、岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」の授業で、学生たちのプレゼンを見ました。いろいろなゲスト講師(主に経営者)の人の話を聴いて、何を学び何を感じたのか。

これまで(3年?)の中で一番良くまとまっていたし、プレゼンも上手だったと言うのが全体の感想です。

私としても、他の人達がどんなことを話されているのかは、とても興味があり、とても参考になりました。その中で、かなり共通していることも多いと思いました。もちろん、話をした人たちは事前に打ち合わせをして言うことを決めていたわけではありません。

  • ポジティブシンキング
  • 幸せかどうかを決めるのは自分自身
  • とにかく挑戦をしてみよう

表現方法は多少違っても、これらについては、全員の共通意見だったと思います。成功している人、というか「楽しい人生を送っている人」「楽しそうに生きているように見える人」は、たぶん、ほとんどみんな上記の3つは共通している気がします。みんなとことん前向きな考え方をしています。だから何一つ失敗はありません。その時は失敗であっても、時間が経てば、すべてが「よい経験」になっているから。