井戸が大変なことになってしまいました

先週から、井戸水が大変なことになっています。

 

猛烈に臭いのです。

 

口に含んだらちょっと臭う、なんてものではなく、蛇口から流れている水が猛烈に臭う程の臭いです。

井戸を点検したら、何かが水面に浮かんでいるので、ザルをひもでつるしてすくってみました。すると、大量のミツバチが腐ってどろどろとした塊になっていました。すくってもすくっても出てきて、子供用のバケツがいっぱいになるほどありました。猛烈に臭いです。

 

すくえるだけすくったのですが、それでも水の臭いは治まりません。専門の業者さんに井戸を洗浄してもらうことにしました。

 

全部の水とゴミをくみ上げて、その後、人が井戸に入って、高圧洗浄機で井戸を洗浄するのだそうです。これで、水がきれいになることを祈るばかりです。

 

洗浄が終わるまでは、会社や実家から水を持ってきて、飲み水、うがい、手洗い、炊飯、調理につかい、お風呂は銭湯などに行かざるをえません。

 

こういう事故が起きると、水道を引きたいと強く思います。でも、水道を引くには数百万円の負担金が必要で、とても現実的ではありません。それにしても、ちゃんと宅地に家を建てて、住民登録もしているのだから、家の前までは水道管を持ってきてもらいたいです・・・。政治家に数百万円単位の献金をすれば、引いてもらえるのかな? でも、そんなに献金できるのなら、そのお金で水道を引いてこればよいか・・・。

なんて、冗談を言えないほど深刻です。

脳死について

先日衆議院で可決された臓器移植法案では、脳死は人の死であるとされました。
ものすごく重いテーマですが、私の見解を述べたいと思います。

私は、医学的な専門家でないので、医学的に死というものが、どういうものなのかを述べることはできません。脳のこの部分の反応が無くなったら「死」である、とか、心臓が止まったら「死」なのか、そういう観点からの意見ではありません。

 

人の死というのは、死んだ本人以外に、周りの人たちがそれを受け入れられれて、初めて本当の死なのではないかと思います。

家族や友人など、本人とつながりの強い人たちが、その人の死を受け入れて初めて、完全にその人が死んだと言えるのではないかと思います。

 

病気で、だんだん体が弱り、死んでゆく姿を、何ヶ月かに渡って家族に見せて死ぬというのは、本人がちゃんと家族に対して「死」ということを受け入れさせる準備をさせます。

しかし、自己などで突然死ぬのは、家族にとって準備をできておらず、死を受け入れるのには、時間が必要になります。

 

脳死状態というのは、そういう意味ではとても難しい状態です。医学的には「死んでいる」状態であっても、突然の「死」であり、家族はまだ準備ができていません。しかも、脳以外はまだ生きているときと変わらず、心臓も動いていて(自発的でないにせよ)、顔色なども悪くないとすれば、家族にとって、その人はまだ死んでいない状態なのです。

 

一方で、臓器移植以外に生きる方法の無い病気の患者さんにとって、脳死という死んだ状態の人の助けによって、その先何十年と生きられる可能性が出てくるので、少しでも早く「死」と判断してもらい、臓器移植をしてもらうことを強く望まれるでしょう。

脳死については、宗教観や倫理観などとても深くて重いテーマです。もっともっと議論をするべき問題だと思います。

スーパーのレジの人について思うこと

スーパーで買い物をしていて、よく思うのですが、人の性格って仕事に出てしまうものです。

 

たいていのスーパーは、教育研修のシステムが整っているので、手順については、皆さんちゃんと正しく、効率よく行われます。挨拶も、きちんとできます。

ちゃんと、前の人がおつりを受け取ったら、次のお客さんに向かって、お辞儀をして「大変お待たせしました」と言う・・・というようにマニュアルに書いてあるのでしょう。それを、教育係相手に何度も練習するのでしょう。みなさん、ちゃんと淀みなく、一つずつの行動をこなせます。

 

かごから商品を取り出し、バーコードをできるだけ効率よく読ませて、隣のかごに移します。この動作も問題ありません。つぶれそうな商品はかごの横に置いておき、重いものを入れた後に上に載せます。この辺りもちゃんとマニュアルに書いてあり、指導されるのでしょう。多少の動作の速い遅いはあっても、みなさん、ちゃんとこなせます。

 

しかし・・・

 

問題は、かごへの入れ方です。商品をかごへ入れるときの、ほんの少しの丁寧さって、これは性格が出てしまっています。私がよく行く、大手スーパー2社とも、動作の速い人、遅い人、新人、ベテラン関係なく、商品の取り扱いが丁寧な人と、がさつな人がいます。

特に何がとは言いにくいのですが、ほんのちょっとした商品の置き方が、ほんの少し雑なんです。それが、積み重なってすごく雑な印象になります。

もちろん、缶詰を卵のように扱って欲しいとは思いませんが、少なくともお客さんよりは、ちょっとだけ丁寧に扱って欲しいと思います。冷凍食品の袋が破れてしまうのではないかとか、中の食品が崩れるのではないかと、お客にドキドキさせない程度に、丁寧に扱って欲しいです。

 

たぶん、マニュアルには「商品は丁寧に扱いましょう」と書いてあると思います。でも、「丁寧」には、人それぞれの基準があって、それに従って商品を取り扱っているのだと思います。私が気になる扱いをするレジ係の人も、その人なりの「丁寧」に扱っているのかもしれません。

 

どんな仕事も、丁寧だとお客さんは気持ちが良いし、ものすごくできる印象が与えられます。逆に細かい部分が「がさつ」だと、本当は良い仕事をしていても、印象が悪いです。

 

ちゃんと調査したわけではありませんが、私の印象としては、仕事が早い人は、かなり仕事が丁寧です。ものすごく早くその仕事をこなす人は、ものすごく丁寧にこなせている人であることが多いです。逆に、がさつな人は、「早くやろうとしている」ということは伝わっても、実際には遅くて、雑な仕上がりになります。

スーパーのレジにも、ものすごく手際が良くて仕事が早く、しかも、とても丁寧な人もいます。そう言う人に出会うと、その日一日とても幸せな気分になります。

 

第一回鶴里ホタル祭りは大成功・・・だったそうです

柿野温泉付近の公民館を中心として行われたホタル祭りですが、私自身は仕事のため参加することができませんでした・・・が、10時過ぎに公民館前に来ると、和の会のメンバーが、まだ飲んでました(笑)

 

天気はイマイチで雨が降ったりやんだりしていたので、ちょっと心配でしたが、メンバーの顔を見たら、盛り上がりが想像できました。

祭りの様子を聞いてみると、大盛況だったとのことで、連合町内会長も大喜びだったとのこと、みんなで頑張って準備、当日も(私以外の)みなさんが頑張った甲斐がありました。

 

猪鍋は、限定100杯としていたのですが、とても足りないだろうと言うことで急遽200杯用意し、それも、適度に調整しながら提供したところ、どうにか、一番ホタルが出ている時間まであったけど、全部きれいになくなったそうです。

中央公民館のミニコンサートも、実は事前にはもし入場者がすくなければ、格好付かないから、和の会のメンバーを20人くらいサクラとして忍び込ませなければいけないかと言われていました。会場的には、最低100人は来場して欲しい、200人来場してくれればOKというところが、500名近い来場者があり、そこのスタッフは、急遽椅子を出したり、会談にあふれる人たちを誘導したりで、うれしい大混乱だったそうです。

 

事前の告知にご協力いただいた、岐阜新聞、マイタウンとうと、FM PiPi、NHK岐阜の皆様、どうもありがとうございました。また、昨日は中日新聞の記者の方が取材にきてくれたので、来週のいつか記事が掲載されると思います。

 

来年も行いますので、是非また来てください。来年こそは私も参加したいと思います。これだけ人が集まってもらえるということが分かったので、来年は温泉街も巻き込んで、祭り当日は「ホタルを見に来た」と言えば温泉に安く入れるとか、特別宿泊プランなども用意していただいたりできたら、温泉も盛り上がるのではないかと、勝手に思っています。それが実現するかどうかは分かりませんが、とにかく来年も今年以上におもしろく楽しいイベントになるようにしたいと思いますので、ご期待下さい。
 

今更ですが、大人になったと思う

今日は、かなりスケジュールがバッティングしていて、それぞれ遅刻したり、早退しながら沢山こなしています。

 

一番重要で深刻なのは、自宅の井戸の水がものすごく汚染されてしまったことで、これの対処を本当は何よりも優先させなければいけません。これについては、いずれブログで報告します。

これ以外に、G-netのインターンフェアがあり、その後、別のお客さん(NPO)の年次総会に出席します。本当は、プールにも行きたいところです。簡単に分類すると以下のようになります。

  1. 家のこと(井戸の問題)
  2. 楽しい仕事(インターンフェア)
  3. 重要な仕事(総会)
  4. 楽しいこと(プール)
  5. 町内のこと(ホタル祭り)

私の信条としては、4,1,2,5,3という優先度にしたいところなのですが、本日の私の実際の行動は、3,2,5,1,4です。

今日のスケジュール調整は、苦渋の選択でした。特に一生懸命広報してきたホタル祭りに参加できないことや、インターンフェアの後、大学生達との飲み会に参加できないのは、とても残念です。

 

 

それでも、重要な仕事をこなす自分が、大人になったと感じます(笑)

普通の社会人は当然の選択なんでしょうけど・・・

 

インターンフェアで「私は好きなことばかりやって生きています」とプレゼンした直後に退席するのが、ちょっと後ろめたかったです。

インターンフェアで私の話を聞いていた学生達に補足です。ちょっと年を取ると好きなことができないようになってきます。だからこそ、若いうちに必死に好きなことをやっておくべきです。