最近の大学生の心配事についての心配

先週、日本福祉大学で話をさせていただきました。

多様な価値観を知って、常識にとらわれない一歩を踏み出してもらう・・・という目的の講義です。

 

就職活動を開始する(した)学生さんが多く、質問は就職とか仕事についてのことが多く出ました。

前回、岐阜大学の時もそうでしたが、私が想像している以上に大学生は就職について心配していることを改めて知りました。

 

確かに、日本は不況のまっただ中で、就職するのはとても難しい状況です。私が就職したころというのはバブルの絶頂期で、求人倍率10倍以上で、好きなところに就職できるような感じでした。なので、当時は就職について全く心配していませんでした。

別に今年就職しなくても、ちょっと好きなコトしてから就職してもいいや、ということを簡単に考えることができました。

 

しかし、今の状況はだいぶ違います。新卒でないと就職に不利だから、就職が決まらない学生が無理矢理留年して、就職活動したりするような状況なのです。

 

そういう状況で、毎日、就職難や不景気のニュースが流れまくっているのを見たり聞いたりしていれば、不安になるのも仕方がないかもしれません。

私が、当時全く脳天気に就職のことを考えていたのは、単に日本全体がバブルに浮かれていたからという理由もあります。

 

でも、それだけではありません。

 

いくら何でも20歳の若者にしては、今の学生達は不安が多すぎる!!

まだ社会人としてスタートもしていないのに、不安ばかりがふくれあがっているのは良くないです。若者は希望に満ちてないと。

 

無限の可能性があるのだから、もう少し希望に満ちてないと。

脳天気で希望に満ちていて、40過ぎのおじさん達から「若いっていいねぇ。悩みが無くって」なんて妬まれるくらいでないと。

 

私の周りにいる40過ぎのおじさん達は、もっともっと元気な人たちが多いです。人生半分終わっているおじさん達ですら、希望に満ちてます。

 

卒業直後の4月までに就職が決まるかどうかなんて、大した問題ではありません。これまで学生として親に扶養してもらってきているのであれば、それが1年延びたところで大きな差はありません。

 

それよりも、10年後20年後に大きく飛躍できるように、過ごすことが重要です。ボランティア活動をやってみるとか、海外に行ってみるとか、人よりも多くの経験を積むことが、勤続年数を積むよりも何倍も重要です。

 

ぜひ、ぜひ、学生達には

「就職するために、今なにをしたらよいですか?」 

なんて質問をしないで欲しい。まだ、

「ケンカした彼女と、どうやったら仲直りできますか?」

の方が、質問としてはうれしいです。

 

ただし、私の答えはどちらも同じです。

「わかりません」

 

岐阜大学講義「自分らしいキャリア設計」

昨日、岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」という講義に参加してきました。

全15回(?)の講義で、学生たちに、いろいろな生き方(キャリア設計)があるんだよ、ということを教える中で、極端な例(?)として何人かの経営者が話をし「こんな無茶苦茶な人達もいるのだから、自分たちはもっと幅を広げて考えても良いんじゃないの」と考えてもらうというのが目的です(と勝手に私は思っています)。

形式としては、学生たちが6つのグループに分かれて、そこにひとりずつ経営者が入り座談会形式で話をします。事前に考えてきた質問を学生がして、経営者が答えます。

これまでに何度かこの講義に参加させてもらっていますが、だいたい、かなりの勢いで食いついてきてどんどん話を聴こうとする学生と、ポカンとしてしまう学生に分かれます。どちらかというと後者が多いです。

自分のこととしてリアルに想像することが出来ないのが理由だと思います。なので、できるだけ、ソフトな話にしたほうが良いのかなと思ったりもしましたが、講義の前に講師の秋元さんからは「激しくガンガンな方でお願いします」と言われたので、内容的にはいつもどおりな感じになりました。

今回話した内容で、一番伝えたかったのは、

20代では、とにかく貧乏になりましょう。

ということです。

大抵のモノはお金で買えるし、たいていの問題はお金で解決できるので、お金を持っていると何でもお金で解決してしまう。もし、お金を持っていなければ、知恵を絞り努力をする癖がつくので、とにかく貧乏になることがよい。

親元にいると親が助けてしまい、貧乏にも限界があるので、親の目の届かない海外に行くのはよい。

貧乏な私が実行した実例として、オーストラリアに着いた頃、お金を払わずに英語を勉強した方法は、

  1. 大学の日本語学科の前でウロウロして、出てくる学生に交換レッスンを申し込む。
  2. 英語学校に学生カウンセラーとして働かせてもらって、授業をただで受けさせてもらう。
  3. 教会に行きおしゃべり会(?)に参加する(私は無宗教なのであくまでもおしゃべり会へ参加するだけの目的です)。
  4. ボランティア団体に入り、資格を取る無料レッスンを受ける。

などです。多分お金を持っていたら、普通に英語学校に通うだけで、多くの日本人と一緒に、和やかに授業を受けていただけでしょう。でも、お金がなかったおかげで、現地の大学生と友達になったり、ボランティア団体の資格が取れたりと、どんどん楽しいことが広がってゆきました。

ちなみに、ボランティア団体というのはビーチパトロールをする団体ですが、オーストラリアのライフセーバーは、かなり人気で競技大会などはテレビ中継もされます。そういう大会に出たり、日本から日本最大のライフセーバーのチームが合宿に来たり、NHKのドキュメンタリー番組の取材が来たり・・・と、英語だけではない多くの楽しい経験と人脈を得ることができました。

どうして、こんなことができたのかを一言で言えば、

貧乏だったから

です。

若いうちに楽しく明るい前向きな貧乏になり、知恵を絞る癖をつけることが若いうちにやるべきことです。

今日の講義に参加した学生の中で、ひとりでも何か感じてもらえていたら嬉しいです。

キャリアデザインについて

長文です・・・が、岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」の授業で、来週私に質問をしようと思っている学生さんには、ぜひ、全て読んでもらって、よりディープな質問をしてもらいたいです。「その眼鏡はどこで買われましたか?」という質問は禁止です(笑)。今年は眼鏡をしてゆかないので。

人生においては目標設定が目標達成よりも難しい

何事も目標を持ってそれに向けて進んでゆくことはとても重要です。ゴールを決めて、それにはどのようにアプローチしたらよいかを考えて、そこに向かうことでゴールにたどり着ける確率が高くなります。

 

でも、人生設計やキャリアデザインと呼ばれるような問題については、そう簡単には行きません。そもそもゴールの設定が難しいです。自分がどんな人間になりたいのか、どんなことがしたいのかは、所謂成功者と呼ばれる人たちでも40歳以降にゴールを見つけた人は少なくありません。

 

効率よくゴールに向かうためには少しでも早くゴールの設定をした方がよいのですが、早ければ早いほど決めるのが難しいのです。

小学生の時に、人生のゴールを決めて、それに向けてその後の70年以上、ゴールが変わらずにがんばることはたぶん無理です。たまたま、親に言い聞かせられて、それを信じ続けることができたりしない限り無理です。しかも、相当運良く環境の変化がない場合です。

様々な要因で考え方が変わり目指すべきゴールも変わる 

普通は、人間は年を取るごとに自分の置かれている環境が変わり、それによって人生に対する考え方も変わります。いろいろな人に出会い、考え方が変化することもあるでしょう。大切な人を失ったり、自分が大きな怪我をしたり病気をしたりすることで、考え方が大きく変わることもあります。そう言う変化を全て受け入れながら、人生のゴール設定も変わってゆくのが普通です。

私自身も、年を重ねるごとに考え方が変わってきたことも多いです。

 

では、そうやって考え方が変わるから若い頃のゴール設定は無駄なのかというと、そうではありません。この先どのように自分の考え方が変わるのか分からないから、今は何も決定もしないし行動もしないというのは最悪です。

若い頃にとにかくがむしゃらにがんばることが人間の深みを増す 

最も重要なのは、その時々で最大限の努力をするということです。もしかすると、今現在追い求めている夢やゴールは、10年後には変わってしまっているかも知れませんが、それでも、一生懸命努力した結果や、努力したことそのものが大きな意味を持ちます。

特に若い頃というのは、体力的にも置かれた環境的にも一番無茶できる年代なので、この時期に無茶苦茶がんばると、それがその人の底力というか、人間力となり、その後の人生で大いに花咲けるはずです。

 

私の場合、15年くらい前にはオーストラリアの永住権を取って、ずっと住み続けることが、ひとつの目標でした。それに付随して、事業を大きくし大金持ちになることも目標でした。今現在は、それは目標ではありません。でも、当時、裏も表も含めて永住するための制度を勉強したり、実際にいろいろな申請をしたりしたことや、事業をしていたことは、具体的な知識や経験として役に立つだけでなく、「誰よりも努力した」という事実がもたらす自信につながっています。

幸福で充実した人生を送るためのキャリアアップ

そもそも、何のためのキャリアデザインなのか、と言えば「幸福で充実した人生を送る」  為だと私は思います。これについては、私は20年以上全く揺るぎはありません。この先も恐らく死ぬまで変わらないと思います。

一方「幸福で充実した人生」とは何かというのは、高校生くらいの頃から、現在までいろいろに変化してきました。この先も、死ぬまで変化し続けると思います。15年前には、オーストラリアの永住権を取得して大金持ちになることが幸福だと思っていましたが、現在は家族が仲良く過ごし、娘たちが健やかに育つことが最高の幸せだと思います。

 

幸福とは何かを考える上では、抽象的なことから具体的なことまで、それぞれのレイヤーで考える必要があります。例えば「(ある程度の)お金持ちになる」 というのは、多くの人にとって目標にすべき事柄です。でも、できるだけ目標レイヤーの中では低い位置に置くべき事柄です。つまり、私の場合「娘が健やかに育つ」という目標の下に、「お金持ちになる」という目標はあってもよいですが、順番が逆になることは考えられません。娘が学校でいじめられない程度には物を与えてやりたいし、家の経済的な理由で大学進学を諦めるようなことにならない程度には収入は増やしたいです。でも、それ以上にお金は必要なく、それよりも貴重な幼少期に少しでも多くの時間一緒に過ごせることのほうが、価値があると思っています。

 

どんなゴールを目指すにしても、お金に関する目標は、低いレイヤーにおいた方が人間として美しい人生を送れる気がします。最悪なのは「お金持ちになる」ことを人生の目標にしてしまうことです。これは全くのナンセンス。意味がありません。

 

お金で大抵の物は手に入るが、お金が無くても大抵の物は手に入る

私がお金に対しての執着が減ったのは、いろいろな人と出会うことができたからです。大金持ちの人、ものすごく収入の少ない人、いろいろな人と仲良くなって、今でも友達と呼べる人の年収や資産の格差は、100倍以上はあります(年収200万円〜年収2億円以上)。いろいろな人とつきあう中で、お金持ちになるとこんなことができるのか、とか、お金がなくてもこんなに楽しく生きられるのか、とか、いろいろなことが学べます。

でも、私が友人と呼べる人たちの共通点は、みんな楽しく生きていること。年収や資産には関係なく、みんな人生を楽しんでいます。逆に年収が多くても不幸な人も多く知っています。

 

20代でやっておくべきこと

私はまだ20代が終わって10年しか経っていないのですが、これまでのところ私の20代の過ごし方はよかったと思っています。私の二十代は次のような感じでした。

  • がむしゃらに何かに没頭する(あまり効率を考えない)
  • お金を貯めない(全て自分に投資する)
  • いろいろな種類の人とつきあう
  • 答えが出なくても考え続ける。ただし止まらずに。(どんな仕事をすべきかと考えるが、答えが出るまでとりあえず、コンビニと居酒屋で働き続けるなど)
  • 大きな野望を抱く

自覚は少ないですが、痛い目にも遭い、苦しい思いもしたと思います。

でも、それが全て人間性を高めることにつながっています。ぜひこれから20代を迎える人たちや、今まさに20代を過ごしている人たちにもやっておいてもらいたいと思います。

岐阜大学のキャリア設計に関する授業に参加しました

今日は岐阜大学のキャリア教育に関する講義に、(6月に引き続き)ゲスト講師として呼んでもらって参加してきました。

私にとってとても意義のある時間でした。話を聞いてくれた学生さんに取っても意義のある時間であったら嬉しいです。

話した内容はいつも通り(?)私が大企業を辞め、オーストラリアに渡り、とんでもなく楽しい生活をしながら今の会社を設立するまでの話や、現在の山奥の楽しい生活についてなどの体験談と、考え方を変えるだけで人はドンドン幸せになれることなどです。

前回の反省を踏まえ(?)若いうちの貧乏を強く勧めると同時に、その理由を少し詳しく説明したつもりです。
世の中、お金で大抵のものは手に入れることができます。だから、若いうちにお金を持っていると、簡単にお金で手に入れてしまいます。お金がなければ、知恵と工夫と努力と根性で手に入れなければいけません。これが人間として様々な能力を向上させる要因になります。

頑張る癖、常に考える癖、工夫する癖、そういうものを身につけながら人生を送ることは、人生をとても豊かで有意義なものにしてくれます。だから貧乏は人間の成長にはとてもよいのです。

特に若い頃は、貧乏でも自分さえ我慢すればよいので、貧乏生活はオススメなのです。

 

また、外国に行くことで日本の良さや悪さもよく見えるようになるし、価値観の多様性を体に植え付けることができてよいです。

 

と言うようなことを話したのですが、どこまで意図通りに伝わったのかは多少不安です。

 

岐阜大学の学生(とくに今回の授業に参加していた学生)の印象はとにかくまじめそう。まじめな学生さんたちに、夜中の水族館で釣り(食料調達)をしたりするような不真面目なおじさんの話は、まるで別世界のようだったかもしれません。

学生さん達に同じことをして欲しいとも思いません。しかし、何らかの刺激となって、多少なりとも楽しい人生に近づけたとしたらうれしいです。

 

毎回そうなのですが、学生達とのイベントに参加すると、とても元気になれます。学生さん達の質問を受け、自分がもっとも自分のために頑張って無茶していた頃の話をしていると、自分自身もその頃の鋭く尖ってドキドキしていた頃を思い出します。忘れかけていた志を改めて思い出させてくれます。もっともっと自分を追い込んで必死に挑戦していた頃を思い出させてくれます。

 

明日から、昔のようにもっともっとストイックに自分を追い込んで、頑張ろうと思います。

 

ちなみに、最初の自己紹介の時用に資料を作ったのですが、ほとんど見せずに勝手に喋ってしまいました。せっかくプロジェクタで映す準備をしてもらったのに本当に申し訳なかったです。一応プレゼン資料をブログにつけておきます。

岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」という授業に呼んでいただきました

今日、岐阜大学の教養科目「自分らしいキャリア設計」という授業に参加してきました。岐阜県内の5人の経営者が呼ばれて、30分ずつ2回話しをする(学生からの質問に答える)形の授業です。

 

事前に、会社については調べてきていて、会社や仕事についてではなく、個人的にどんな考えで何をしてきたのかなどを質問されました。

 

私の場合は、二十代前半はオーストラリアにいたり、一時的に出稼ぎに戻ってきたりしていた話しをしましたが、何となく質問がかみ合わないこともありました。

多くは「なぜそんなことができたのか?」「不安はなかったか?」と言うようなものです。

なぜできるかって、会社に「辞めます」という紙を出せば会社は辞められるし、旅行会社に行って「オーストラリアまでの飛行機のチケット下さい」と言えば、チケットは買えるし、飛行機に乗ればオーストラリアに着く・・・なぜ出来るかと聞かれても、出来ないわけがない。誰だって出来ます。

 

不安についても、全くなかった。あるわけがない。なぜそんな質問をするのかが不思議な気持ちでした。大会社に勤めていた当時の私にとって、恐れるものは「将来が固定されること」つまり、10年後や20年後のの社会的地位や収入がほとんど確定していたことでした。会社を辞めることで、その固定された未来が、自由に解き放たれ、無限の可能性を手に入れることができたのだから、不安などは全くありませんでした。逆にそれまでの最大の不安を解消することができたのです。

 

これらのことについて、できるだけわかりやすく学生たちには説明をしたつもりですが、どこまで理解してもらえたかは不明です。しかし、このギャップが、実はこの授業のねらいの一つだったようで、学生たちが持つ固定観念を破るきっかけ作りが、我々ゲスト講師の役目なのです。

そんなわけで、一部の学生はポカンとしてましたし、一部の学生は異星人でも見るような目で私を見ていました。

 

私の知っている起業家の人たちは、いわゆる普通ではなく、苦労をちょっと快感に感じるような変態チックな人が多いので、そういう人たちと話しをしていると、自分が「普通でないこと」を忘れがちです。でも、普通のまじめな学生たちと話しをすると、自分が普通でないことを思い知らされます。

 

日本の若者全てが、大学を途中で辞めたり、会社を辞めて放浪したりしてたら、日本は成り立たないので、大半の若者たちにはまじめにサラリーマンをしてもらう必要がありますが、今よりももう少しだけ、おかしな若者が増えることは、日本にとってとても良いことなのではないかと思います。

 

今日、授業を受けた学生のみなさんへ

ぜひ、無茶しましょう。あなたが考えるほど、将来は暗くない。世の中の多くの人は大して勉強もしていないし、努力もしていないから、ちょっと勉強してちょっと努力をすれば、すぐに追い越せます。今のうちのどんどん遠回りしましょう。