私は基本的に何でも自分でやってみたいと思う人です。
どんなものなのかが知りたい。ずっとそれをやり続けるかどうかは別としても、1回はやってみないとおもしろいのかどうかも分からないから、とにかく何でもやってみたいと思っています。
- 裁判員
- 警察官
- 公務員となって育児休暇を取得
- 保育士
- 漁師
- 宇宙旅行
- 大道芸人
- 議員
- 大企業の社長
- 飲食店店長
- 六本木ヒルズでの生活
- 刑務所での生活(罪人になりたいわけではありません)
- 日曜大工で部屋の増築
などなどなど、書き出したらきりがありません。一回だけ体験したいものから、数年以上の単位で体験したいものまでいろいろですが、とにかく、どんなものなのかを体験することにとても興味があります。
実際は、いろいろな制限でできないことが多いのですが、何かそれが体験できるようなこと、例えそれが疑似体験であってもできそうであれば喜んで体験します。
裁判員など、お金をもらって体験できるようなものは喜んで参加すると思います。その制度がよいのか悪いのか、そう言うことを判断するためにも実際にやってみることはとても重要ですし、何よりも裁判所がどんな風になっているのか見てみたい、知りたいというのが最大の理由です。
ところが、先日、ある人が「裁判員候補者リストに載った。たいへんだ。どうしよう。こまった。」とものすごく神妙に打ち明けられました。私としてはそのときは状況がよく理解できなかったので、帰宅してから妻に
「なんで○○さんは、困ったことになったって言うの?裁判員になれるかもしれないなんて超おもしろそうやん?」
と聞きました。すると妻からは、
「普通は、そう言うものに選ばれると困るの」
と言われ、ますます分からなくなり
「何が困るの?仕事にも影響なくて、しかも、お金がもらえるし。裁判所の食堂でご飯も食べられるかもしれんし。」
と言うと
「世の中の大半の人は、そんな気楽に考えないの!」
というような会話が続き、結局私としてはあまり納得できなかったのですが、そう言うものなのだと理解することにしました。
妻は最近、私の「おもしろそう。興味がある。見てみたい。やってみたい」という欲求が理解できるようになってきたようで、変なことに挑戦していることを不思議だと思わないようになってきたようですが、世の中ではなかなか理解されないことなのだという認識は持ち続けた方が良いのかなとも思います。