英語教育について話題になっています。小学校でも英語の授業を行うとか、覚える単語を増やすとか、とにかく方向性としては英語教育をもっとせよ、というのが社会全体の流れのようです。
しかし、私個人の考えとしては、子ども達には、英語よりも日本語をもっと勉強させたいです。それは10年以上前から変わらない考えです。
ちゃんと日本語を話せず、書けず、読めない日本人がどんなに多いことか?(総理大臣ですらあまり漢字は読めません)。日本語がまともにできないような人が、少々英語が話せたところで、仕方ありません。
約10年前に、私はTOEICマガジン(TOEICを行っている団体が発行していた雑誌)にコラムを書いておりました。ただ、私の考えは、10年前と全く変わりません。むしろ強くなりました。英語が話せなくてもノーベル賞は取れるし、大リーグで活躍もできます。英語教育を見直す前に、もっと大切なことがたくさんあると思います。
以下は、そのときの文章をそのままの形で転載したものです。
文体が偉そうなのは「若気の至り」ということでお許し下さい(笑)
「どうしたら英語を覚えられるのか?」こういったメールをよくもらう。就職難からか、最近特に就職活動の武器として英語を覚えようとしている人が多いよ
うだ。もちろん、英語を勉強することは大いに結構なことである。しかし、本当に重要なことは英語を使って何をするかである。
特に海外で働きたいと思っている人は、英語を勉強しても就職できないことを忘れないでほしい。私が仕事をしていたオーストラリアでは、常に失業率が
10%を超えていた。英語を完璧に使えるオーストラリア人が10%も失業しているのだ。ちょっとくらい英語が話せるなんていうのでは就職できるはずがな
い。
逆に英語はそんなに話せなくても、いろいろな会社から声がかかって会社を選んで就職する人もいる。オーストラリアで知り合った日本人の建築デザイナーの人がいるのだが、お世辞にも彼の英語はうまいとは言えない。
しかし、彼はシドニーの設計事務所で働き、いくつものプロジェクトを成功させていた。クライアントへのプレゼンテーション、下請け企業との交渉、現場での指揮すべてを、そこらのオーストラリア人よりうまくこなすのだ。
彼は、自分の英語の能力が他のオーストラリア人の設計士たちより劣っていることを充分理解していた。だから、打ち合わせは電話ですまさず必ず出向き、図面は指示漏れがないように、より詳細に書き、現場でも必ず自分の目で確かめて、ことこまかに指示を出すようにしていた。本人は「同僚たちより2倍速く、2
倍きれいな図面を描けるから、より多くの時間現場に居ることができるんだ」と言う。
クライアントにしてみれば、別に完璧な英語を話せなくても、絵や模型を使ったわかりやすい説明をしてくれればよい。設計事務所の社長にしてみれば、工期が遅れるのが当たり前のオーストラリアで、期日に工事が完了させてくれて、しかも出来がよいとなれば、非常にメリットがある。仮にこの会社で、人を減らさ
なくてはいけなくなっても、彼は最後まで残るだろう。その理由は、決して彼が英語がうまいからではない。
よく国際化とか、国際人という言葉を耳にするが、それは、何カ国語も話せるようになることでも、海外に長い間暮らすことでもない。ましてや、パン食にすることでもない。
たとえ、自分の街から一度も外へ出たことがなくても国際化し、国際人になることはできる。それは、世界に通用する不変的な能力を身につけることだ。
能力とは技術のことを言っているのではない。前述の建築家で言えば、彼の持っているデザインセンスや、図面を描く技術というのも確かに優れている。しか
し、彼がオーストラリアで成功できた一番の要因は、クライアントを納得させれるプレゼンテーションや、ミスを起こさず効率的に仕事をさせる現場での指示な
どのコミュニケーション能力だ。
言葉で、もっと簡単にコミュニケーションを取れるオーストラリア人よりも、速く多く細かく図面を描き、まめに現場へ足を運ぶことによって、よりよい仕事ができたのだ。
コミュニケーション能力こそ、国際社会で生き抜くための最も重要な能力である。言語はその能力の一部でしかない。知識、経験、人間性など、全てを総合してコミュニケーション能力となるのである。
そのことを頭にいれて、英語の勉強をする必要があるだろう。