流されて生きる

大学生のグループの前で話をすると、よく聞くのが

「何となく世の中に流されて生きている気がする」

「人に流されて生きていくのがいや」

という意見です。だから、自分で自分の運命を切り開いていけるような人になりたい。だから、インターンなどをして自分を変えたい・・・ということで、長期インターンシップのイベントなどに来ているそうです。

いかにも若者らしい意見で、自分の意思を持っているという意味ではすごく良いと思うのですが、ある程度は流されて生きるという考えは否定してはいけないと思います。

 

良くも悪くも、人間は誰もが社会の中で生かされている、社会がなければ生きてゆけないのですから、ある程度は社会から与えられた仕事や環境を受け入れる必要があります。

ただ、その流されるときに意思を持っているか、どれくらい主体となってそれができるのかが問題だと思います。

先の大学生とのイベントでは、私は「ものすごい強い意志を持って、世の中に流されずに生きてきた人」みたいに思われていますが、実際は、起業したのも「勤めていた会社の社長に勧められて」というのが直接の理由ですし、今の水泳にしても「先輩に誘われて」という理由で始めています。

人に言われて実行した、所謂「人に流されている」のですが、でも、結果としてはどちらもものすごく自分にとっては良かったし、おかげでとても楽しい人生を送れていると思います。

 

他人の言うことを聞かないということが、人に流されない人生ではなく、

自分で責任を取る覚悟を持つ

ことが人に流されない人生なのです。もし、これまでに私の会社が倒産していたとしても、決してそれは企業を進めてくれた社長のせいではないし、もし、うまくいったとしても、それも自分の責任(成果)なのです。

 

「自分が周りに流された人生を送っている」とネガティブに考えている人と、そうでない人の違いは、いろいろな出来事の結果を、他人のせいにしているか、自分の責任だと考えているかの違いだけです。

 

流されて生きたくない

と考えている若い人たちは、全ての責任は自分にある、と考え方を変えてみましょう。そのうち流されている感じがしなくなるし、その先では、流されていること自体も悪くないと思えるはずです。

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