脳死について

先日衆議院で可決された臓器移植法案では、脳死は人の死であるとされました。
ものすごく重いテーマですが、私の見解を述べたいと思います。

私は、医学的な専門家でないので、医学的に死というものが、どういうものなのかを述べることはできません。脳のこの部分の反応が無くなったら「死」である、とか、心臓が止まったら「死」なのか、そういう観点からの意見ではありません。

 

人の死というのは、死んだ本人以外に、周りの人たちがそれを受け入れられれて、初めて本当の死なのではないかと思います。

家族や友人など、本人とつながりの強い人たちが、その人の死を受け入れて初めて、完全にその人が死んだと言えるのではないかと思います。

 

病気で、だんだん体が弱り、死んでゆく姿を、何ヶ月かに渡って家族に見せて死ぬというのは、本人がちゃんと家族に対して「死」ということを受け入れさせる準備をさせます。

しかし、自己などで突然死ぬのは、家族にとって準備をできておらず、死を受け入れるのには、時間が必要になります。

 

脳死状態というのは、そういう意味ではとても難しい状態です。医学的には「死んでいる」状態であっても、突然の「死」であり、家族はまだ準備ができていません。しかも、脳以外はまだ生きているときと変わらず、心臓も動いていて(自発的でないにせよ)、顔色なども悪くないとすれば、家族にとって、その人はまだ死んでいない状態なのです。

 

一方で、臓器移植以外に生きる方法の無い病気の患者さんにとって、脳死という死んだ状態の人の助けによって、その先何十年と生きられる可能性が出てくるので、少しでも早く「死」と判断してもらい、臓器移植をしてもらうことを強く望まれるでしょう。

脳死については、宗教観や倫理観などとても深くて重いテーマです。もっともっと議論をするべき問題だと思います。

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