フジヤマのトビウオ逝く

戦後、まだ日本が敗戦国でオリンピック出場が認められていない頃、オリンピック優勝者の記録を遥かにしのぐ記録で泳いだ古橋広之進さんが亡くなりました。

 

私が中学校で本格的に水泳を始めた頃は、日本水泳連盟の会長となっていて、現役の頃の活躍は、本などで読んで知ったのですが、配線でうちひしがれた日本国民をどれほど勇気づけたかは想像に難くありません。

 

高校生になって、古橋広之進さんと同じ長距離の選手となってからは、40年以上前の古橋広之進さんの記録を、目標タイムとしていました。高校卒業までに、なんとか古橋広之進さんの記録を上回ることができて、とてもうれしかった記憶があります。

 

ただ、当然ながら同じタイムであっても、その大変さや成果は、同列に語ることもおこがましいものです。

古橋広之進さんが活躍した頃は、栄養状態はとても悪く、しかも、戦中は、学生も戦争のためにかり出されていた頃で、全く私が高校生の頃とは状況が違います。しかも、水着も全く違います。現在の高速水着ほどではないにしても、だいぶ進化していましたが、古橋広之進さんは、最初の頃、ふんどし、最後の頃でも、現在の練習用の水着(水を吸って抵抗を大きくしている)より抵抗が大きそうな水着で泳いでいました。

 

今の水泳の日本代表にしても、世界選手権で金メダルを取ったりして大活躍していますが、ほぼ世界最高の環境で、研究された最高の栄養を最高のタイミングで取りながら、世界最高の水着を着用しての成果です。それはそれで、大変なのでしょうが、戦後の貧しい頃、他の世界の選手達と比べたら、とてつもなく不利な状況で、大活躍し国民を勇気づけた古橋広之進さんは、本当にスゴイと改めて感じます。

 

偉大な水泳選手のご冥福を祈ります。

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