(産業としての)美濃焼の最大特徴は「特徴がないこと」ですが、それ以外にもいくつかの特徴があります。
その一つは、地域ごとに作っているものが、ものすごく限定されていることです。例えば、土岐市の駄知町ではドンブリ、下石ではとっくり、多治見市の市之倉では杯、笠原はタイルなど、圧倒的に生産量の多い製品があります。もちろん、他のものを全く作らないとか、他の地域では全くその製品を作っていない訳ではありませんが、かなり、きっちり分かれています。
これは、美濃焼産地全体が良くも悪くも保守的で、抜け駆けを許さず、他の商品を作らなかったことが原因です。
おかがで、その地域に行けば、いろいろな種類のその商品を仕入れることができます。
さらに、その中でも作業ごとに非常に細かく分業化されています。
コーヒーカップのハンドルの石膏型だけを作っている業者、皿に絵だけを描く業者などなど、小さな規模で事業を行っているところが多数あります。
そんな業態というか、超分業化が成り立つのは、たくさんの仕事がこの地域にあったからです。全体でたくさんの仕事があるから、ものすごく細かく分業しても、それぞれの業者にそれなりの仕事が行き渡っていたのです。
超分業化されたそれぞれの業者は、それを専門で作っているので、技術や効率も上げやすく、それにより、また、コストを下げることができるようになり、この地域への仕事が集中することになり、どんどん、美濃地域が巨大で最強の焼き物産地となっていったのです。
しかし、人口も減り始め、日本中の人たちの経済レベルの上昇も止まり、日本の人たちの生活スタイルが変わり、絶対的な需要が増えにくい状況になってきています。それに加えて、中国というとてつもなく安く生産ができる国からの輸入も増えてくるなど、いろいろな要素で、これまでの美濃地方の産業構造ではうまくゆかなくなってしまったのです。
ちなみに、中国から大量の安い焼き物が入ってくるようになったのは、美濃地方の大きなメーカーが中国に工場を作ったのが原因だったりもします。
この大きなメーカーについても含めて考えると、ますます、美濃焼全体の発展プロジェクトは難しくなります。
産業としての「美濃焼」 は、あまりにも大きくなりすぎたため、どうにもならない状況になっているのかもしれません。生き残るためには、ものすごく変化しなければいけないかもしれません。
そこで、私が悩んでいたのは、産業構造(あらゆるものが作れる、超分業化された巨大産地)そのものが「産業としての美濃焼」だとすると、それを変えてしまったら「美濃焼ではなくなる」と思っていたからです。
全ての業者が生き残ることはできなくても、新しい時代の新しい「美濃焼産業」が発達することは可能かもしれません。
そんな切り口で考えてゆきたいと思います。
・・・つづく・・・