美濃焼がここまで栄えた理由

産業としての美濃焼が栄えはじめたきっかけは、もともと良質の材料が取れ、たくさん焼き物を売る商人が集まり、職人が集まり、仕事が集まり、分業化することで技術も上がり、集積化することで、コストが下がり、また、仕事が集まり、それに伴い職人が増え・・・という良いスパイラルが生まれていったことだと思います。

 

それに加えて、さらにこれまでの日本の風習や社会常識が、皿に焼き物産業を支えたのも事実です。

 

昨日、萬皿屋の役員の安田さんと意見交換(なんて言うとおこがましいかもしれません。教えを請うた)させていただいたときに、聞いて納得したことなのですが、昔の日本は良くも悪くも、他人との関わりが多くて深かったため、良くも悪くも贈り物が多くありました。

御中元、お歳暮をはじめ、何かお世話になったときには贈り物をしました。その中に焼き物が多く含まれていました。特に結婚披露宴では、食器を多く贈ってました。それが焼き物の需要をふくらませて、美濃焼産業を支えていたとも言えます。

 

しかし、贈り物としての焼き物は、「使いたいもの」ではなく「贈りたいもの」としての需要です。だいたいは、押し入れの隅に置かれていました。

言い換えると、使われる以上の量の焼き物が買われていたということです。

それが、最近は「贈り物は実用的なものを」という考えが広まり、かつ、贈り物自体がドンドン減ってきています。結婚しない人も増え、結婚式をしない人はもっと増え、結婚式をしても昔ながらの形式張ったものではなく会費制で引き出物もなく、引き出物も「豪華に見えるもの」ではなくて「使えるもの」になり、虚空の需要が減ってきました。

 

以前は、良くも悪くも、いろいろな人と多く関わり、深く世話になりながら生きていました。そして、いろいろな場面で贈り物をする機会も多く、贈り物は(今より)見栄えを重視されていました。そんな生活スタイルや社会構造が美濃焼産業繁栄のひとつの要素であったと思います。

 

社会構造やライフスタイルの変化が、贈り物としての焼き物需要を減らし、美濃焼産業が大きなダメージを受けています。

 

今の美濃焼産業が苦しい(ほとんど死にかけている)のは、景気が悪いからではありません。昔のように戻ることはありません。もう、社会構造もライフスタイルも変わってしまったのだから。

 

であれば、新しい美濃焼産業に変わるしかありません。昔のようにあらゆるものが集積されて巨大な生産地であり、「何でも安く大量に作る力がある」という美濃焼産業は滅び、新しい美濃焼産業を生まなければいけません。

残念ながらそのときには、これまで以上に多くの企業に引退してもらわないといけないのではないかと思います。

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