キャリアデザインについて

長文です・・・が、岐阜大学の「自分らしいキャリア設計」の授業で、来週私に質問をしようと思っている学生さんには、ぜひ、全て読んでもらって、よりディープな質問をしてもらいたいです。「その眼鏡はどこで買われましたか?」という質問は禁止です(笑)。今年は眼鏡をしてゆかないので。

人生においては目標設定が目標達成よりも難しい

何事も目標を持ってそれに向けて進んでゆくことはとても重要です。ゴールを決めて、それにはどのようにアプローチしたらよいかを考えて、そこに向かうことでゴールにたどり着ける確率が高くなります。

 

でも、人生設計やキャリアデザインと呼ばれるような問題については、そう簡単には行きません。そもそもゴールの設定が難しいです。自分がどんな人間になりたいのか、どんなことがしたいのかは、所謂成功者と呼ばれる人たちでも40歳以降にゴールを見つけた人は少なくありません。

 

効率よくゴールに向かうためには少しでも早くゴールの設定をした方がよいのですが、早ければ早いほど決めるのが難しいのです。

小学生の時に、人生のゴールを決めて、それに向けてその後の70年以上、ゴールが変わらずにがんばることはたぶん無理です。たまたま、親に言い聞かせられて、それを信じ続けることができたりしない限り無理です。しかも、相当運良く環境の変化がない場合です。

様々な要因で考え方が変わり目指すべきゴールも変わる 

普通は、人間は年を取るごとに自分の置かれている環境が変わり、それによって人生に対する考え方も変わります。いろいろな人に出会い、考え方が変化することもあるでしょう。大切な人を失ったり、自分が大きな怪我をしたり病気をしたりすることで、考え方が大きく変わることもあります。そう言う変化を全て受け入れながら、人生のゴール設定も変わってゆくのが普通です。

私自身も、年を重ねるごとに考え方が変わってきたことも多いです。

 

では、そうやって考え方が変わるから若い頃のゴール設定は無駄なのかというと、そうではありません。この先どのように自分の考え方が変わるのか分からないから、今は何も決定もしないし行動もしないというのは最悪です。

若い頃にとにかくがむしゃらにがんばることが人間の深みを増す 

最も重要なのは、その時々で最大限の努力をするということです。もしかすると、今現在追い求めている夢やゴールは、10年後には変わってしまっているかも知れませんが、それでも、一生懸命努力した結果や、努力したことそのものが大きな意味を持ちます。

特に若い頃というのは、体力的にも置かれた環境的にも一番無茶できる年代なので、この時期に無茶苦茶がんばると、それがその人の底力というか、人間力となり、その後の人生で大いに花咲けるはずです。

 

私の場合、15年くらい前にはオーストラリアの永住権を取って、ずっと住み続けることが、ひとつの目標でした。それに付随して、事業を大きくし大金持ちになることも目標でした。今現在は、それは目標ではありません。でも、当時、裏も表も含めて永住するための制度を勉強したり、実際にいろいろな申請をしたりしたことや、事業をしていたことは、具体的な知識や経験として役に立つだけでなく、「誰よりも努力した」という事実がもたらす自信につながっています。

幸福で充実した人生を送るためのキャリアアップ

そもそも、何のためのキャリアデザインなのか、と言えば「幸福で充実した人生を送る」  為だと私は思います。これについては、私は20年以上全く揺るぎはありません。この先も恐らく死ぬまで変わらないと思います。

一方「幸福で充実した人生」とは何かというのは、高校生くらいの頃から、現在までいろいろに変化してきました。この先も、死ぬまで変化し続けると思います。15年前には、オーストラリアの永住権を取得して大金持ちになることが幸福だと思っていましたが、現在は家族が仲良く過ごし、娘たちが健やかに育つことが最高の幸せだと思います。

 

幸福とは何かを考える上では、抽象的なことから具体的なことまで、それぞれのレイヤーで考える必要があります。例えば「(ある程度の)お金持ちになる」 というのは、多くの人にとって目標にすべき事柄です。でも、できるだけ目標レイヤーの中では低い位置に置くべき事柄です。つまり、私の場合「娘が健やかに育つ」という目標の下に、「お金持ちになる」という目標はあってもよいですが、順番が逆になることは考えられません。娘が学校でいじめられない程度には物を与えてやりたいし、家の経済的な理由で大学進学を諦めるようなことにならない程度には収入は増やしたいです。でも、それ以上にお金は必要なく、それよりも貴重な幼少期に少しでも多くの時間一緒に過ごせることのほうが、価値があると思っています。

 

どんなゴールを目指すにしても、お金に関する目標は、低いレイヤーにおいた方が人間として美しい人生を送れる気がします。最悪なのは「お金持ちになる」ことを人生の目標にしてしまうことです。これは全くのナンセンス。意味がありません。

 

お金で大抵の物は手に入るが、お金が無くても大抵の物は手に入る

私がお金に対しての執着が減ったのは、いろいろな人と出会うことができたからです。大金持ちの人、ものすごく収入の少ない人、いろいろな人と仲良くなって、今でも友達と呼べる人の年収や資産の格差は、100倍以上はあります(年収200万円〜年収2億円以上)。いろいろな人とつきあう中で、お金持ちになるとこんなことができるのか、とか、お金がなくてもこんなに楽しく生きられるのか、とか、いろいろなことが学べます。

でも、私が友人と呼べる人たちの共通点は、みんな楽しく生きていること。年収や資産には関係なく、みんな人生を楽しんでいます。逆に年収が多くても不幸な人も多く知っています。

 

20代でやっておくべきこと

私はまだ20代が終わって10年しか経っていないのですが、これまでのところ私の20代の過ごし方はよかったと思っています。私の二十代は次のような感じでした。

  • がむしゃらに何かに没頭する(あまり効率を考えない)
  • お金を貯めない(全て自分に投資する)
  • いろいろな種類の人とつきあう
  • 答えが出なくても考え続ける。ただし止まらずに。(どんな仕事をすべきかと考えるが、答えが出るまでとりあえず、コンビニと居酒屋で働き続けるなど)
  • 大きな野望を抱く

自覚は少ないですが、痛い目にも遭い、苦しい思いもしたと思います。

でも、それが全て人間性を高めることにつながっています。ぜひこれから20代を迎える人たちや、今まさに20代を過ごしている人たちにもやっておいてもらいたいと思います。

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