先日、出張の行き帰りで、映画「沈まぬ太陽」を見ました。
映画自体は、とても面白く、思わず降りる駅を忘れそうになるくらいでした。山崎豊子の長大な原作を、無理やりまとめてるというか、端折っている部分も多いのですが、それでも面白い映画でした。
メインテーマについての感想は、またの機会にかければと思います(原作の本の感想として)が、今回はメインテーマではない部分で、感じたことを書きます。
この映画を見ていて、違和感を感じたことがあります。主人公の転勤についてです。主人公は、組合活動などをしたことに対する懲罰人事で、何年も海外の僻地へ左遷されます。詫び状を書けばすぐに本社勤務にしてやるというオファーを受けても、信念を曲げずに、もっとひどい僻地へ飛ばされます。
この時点で、私が主人公の立場であれば、そんなに自分がひどい状況とは考えず、結構楽しく生きて行ける気がします。出世コースからは外れているので、出世はできませんが、日本有数の大企業で海外勤務をしたら、かなりの手当が出ます。僻地であれば生活費などもかからないでしょうから、お金を貯めるにも、現地で(仕事以外の)いろいろなことをするにも、十分な収入があるはずです。
でも、主人公は僻地勤務を悲しみます。その感覚が理解しがたいです。出世を望むのなら、詫び状でも誓約書でも書いて、上司に媚びて本社に戻れば良いのだし、そもそも組合活動の懲罰人事を行うような腐った会社を見限って、給料泥棒的に海外でのびのび生活すれば良いのだし、会社が本当に嫌なら辞めればよいし・・・。いずれにしても、悔しい思いで我慢しながらつまらない海外勤務をしている理由はありません。
この主人公の考え方というか、行動が私にはとても違和感を感じるのですが、でも、実際、映画の中だけでなく、日本の企業に務める人たちの多くは、同じように我慢して生きており、日本経済を支えているのは、そういう真面目(?)なサラリーマンです。
私がオーストラリアにいた頃も、大手の商社の駐在員の人たちはみんな「早く日本に帰りたい」と言っていました。そして、2年とか3年とか言われている赴任期間をまるで出所日を待ち焦がれる服役者のように、過ごしていました。そして、できるだけ日本と同じ生活をしていました。
それが、ものすごく私には悔しいというか残念な気持ちで見ていた記憶があります。私だったらその人の何百倍もオーストラリアでの生活をエンジョイできるのに、私はビザの延長にトラブって紛争中で、その結果次第ではいつ帰らされるかわからない。帰りたくて仕方がないと言っている駐在員は、希望さえ出せば(5年や10年なら)好きなだけいられる。
価値観の違いと言えばそうなのですが、個々の価値観よりも全体的な幸福観の違いかもしれません。
つまり、「どんなことに対して価値を感じるか?」や「どんなことに幸せを感じるか?」ということは人それぞれ違っていて当然だし、違っていてよいです。世の中のすべての人に私と同じ価値観を持ってもらいたいなどとは微塵も思いません。
でも、「自分の置かれた状況において、幸せを感じて楽しく生きる」というのは、この暗く落ち込んだ現代の日本社会には必要なことだと思います。
今の生活に楽しみや幸せを感じていて、どんな状況に置かれても「楽しめる」能力が身につけば、将来に対する不安も減り、もっと日本は明るくなって、「漠然とした将来への不安」の為にだけに貯金をすることも減り、消費も増え、景気も良くなり、ますます、将来の不安も減り、楽しく明るい日本になると思います。
日本経済が暗く沈んでいる理由は、理不尽な我慢と、将来への漠然とした不安で、それは考え方をちょっと変えるだけで改善できる問題かもしれません。