伝えきれなかったことの補足

昨日、岐阜大学でお話をさせてもらいましたが、毎度のことながら、上手く伝えきれなかったことや、質問に対しての回答の補足をブログに書きます。この講義に来た学生が読んでくれていることを祈りつつ。

まず、1つだけ絶対に忘れないでおいて欲しいこと、と言った言葉について。講義の始まりと終わりの挨拶で繰り返しましたが、これだけはくどいですがもう一度書いておきます。

「そこへ行く道はたくさんある」

例えば、学校の先生になる場合、普通は大学の教育学部を出て、教員免許を取って、採用試験に受かるという道を行きます。でも、高校を出て一流企業に就職し、3年で退職しオーストラリアに渡って、いろんなアルバイトをして、夜中に水族館で釣りをして食料調達したりしながら、ライフセーバーの資格を取って生活し、その後起業して、日本に帰って来て、借金まみれになって、公募で採択されまくって借金を返したりするという道を通っても(正式な教員になっているわけではありませんが)学校で授業を行うこともできます。ちなみに私、中学校で3ヶ月間授業をやったこともありますし、単発では、大学、高校、中学校などの授業で話しをさせてもらっています。道はたくさんあるのです。もっと言えば道がなければ踏み固めて、道にすれば良いのです。

現在私は岐阜県の山奥に住んでいます(冗談ではなく本当に山奥です)。それがとても楽しくて嬉しくて幸せなのですが、そう思えるようになるまでには、長い年月がかかりました。横浜で3年半暮らし、シドニーで4年半暮らし、少しづつ、日本や岐阜県、故郷の素晴らしさを理解できるようになりました。長い年月と道程を経て今の考え方と価値観を得たのです。

「そこに行く道はたくさんある」のです。

私自身は、人生において大した成果を上げたわけではありません。でも、すべての選択を自分自身で行なって、自分自身で見つけた道を通ってきました。これについては自慢できます。


今回「決断して実行するのが怖くないですか?」という質問を受けました。同じような質問はいつも聞かれます。そして、いつも回答に困り一瞬絶句します。今回もイマイチちゃんと回答できませんでした。理由はそんな事考えたこともなかったから。一流企業を辞めてオーストラリアに行く、それに不安はなかったか?と聞かれ、今、改めて考えてみると確かに不安に思うべき状況なのかなとも思うけど、その時はそんなこと考えませんでした。一つの理由は当時の私はとてつもなく自信過剰で自惚れていたからです。「俺はこんな会社のいちサラリーマンで終わるような人間ではない」と思っていたので、その枠を取っ払うことができる「退職に」不安はほとんどなかった(と記憶してます)。

もう一つの理由は、飽き性なのでサラリーマンに飽きたのかもしれません。それよりも新しいワクワクすることがたくさん待っているオーストラリアに行けることの期待がイッパイで不安を上回っていたことだと思います。だから怖くはなかった。どちらも若者の特権です。

  • 根拠の無い自信
  • 無知故の希望的観測

 これに満ちあふれていたから、いろんなことに臆することなく挑戦できたのだと思います。これが、今時の若者(なのか真面目すぎる若者)には、かけているような気がします。ちょっとばかし勉強しすぎてたり、考えすぎているために、自信をなくしてしまったり、不安要素ばかり頭によぎったり・・・。それではいけないと思います。失うものなど何も無いのだから、根拠の無い自信をもって、挑戦してみたらいい。希望通りの結果にならなくても、それはそれで良い経験となるのだし。

私は、自信過剰すぎで、殆どの人を見下してバカにしていたので、友達もなく孤独ではありました。でも、お陰で自分の力で頑張るしかありませんでした。お陰でいろいろ力をつけることができました。

そんなひどい奴にも目をかけてくれる人がいて、とてもとてもありがた味を感じることができました。

何度も何度も窮地に立たされて、いろんな人に助けられました。そのうち、ひとりひとりの素晴らしい点に目を向けられるようになり、人に感謝できるようになりました。

私は人の言うことを聞かないし、人と違った道を通りたいと考えているので、誰かに言われても故郷の良さも、人の素晴らしさも理解出来ない(しようとしない)人間です。なので、それらを理解するためには、普通の人よりも長い脇道を通ってこないといけなかったのかもしれません。

いずれにしても、現在私はとても満足度の高い人生を送れているし、今の価値観を形成するには、これまでのすべての経験が必要だったのだから、何一つ後悔はしていません。

他にもあまり良い回答が出来なかった質問がありましたが、長くなってきたので次回また、続きを書きます。

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