答えを欲しがる学生

今日、岐阜大学で「自分らしいキャリア設計」という授業に呼んでいただいて行ってきました。

いろいろ質問を受けたのですが、質問のいくつかに違和感を感じました。

違和感を感じた質問1:どうして?

全ての行動に対して「どうして」という質問が出るのですが、大半は理由はあまりないことばかり、あえて言えば「やったことがないのでやってみたかった」とか「面白そうだったから」。私の場合、基本的にやったことのないことはやってみたい。大企業に就職して都会で暮らしてみたことがなかったので、やってみたかった。

海外で暮らしたことがなかったので暮らしてみたかった。

海外で海外の企業で働いたことがなかったので、働いてみたかった。 

起業したことがないので起業してみたかった。

それだけです。壮大な計画があってそれに従って実行したわけではなく、ただただ「やってみたい」と思ったから、なのです。 

違和感を感じた質問2: どうしたら良いと思いますか?

僕も就職せずに海外で暮らしてみたいと思うけど、親が反対しますが、どうしたら良いと思いますか?的な相談。

親の言うことを聞いても親は喜ぶし、親の言うことを聞かなくても、子どもが幸せに生きていればそれでも親は喜ぶと思います。結局「どうしたら良いか?」という質問はほとんど「どっちでもいい」んです。

別に私が真剣にその学生の悩みを考えていないから、どうでもいいという意味ではなく、どっちを選んでも「不幸」にも「幸福」にもなれるということです。だから、どっちを選ぶかが重要ではなく自分で納得して選べるかどうかが重要なのです。自分で決断したのならそれでよし。講師にこう言われたから決めました、ではどちらを選んでもダメ。

多くの学生たちは、私(シバタ)には20歳くらいの頃から、歩くべき道、選ぶべき選択肢が見えていて、それを選んでゆき現在に至って、楽しく充実した人生を歩んでいるのだと思っているように思っているのかもしれません。

「人生に何も失敗はない、全てが良い経験」 

と言ったのが正しく伝わっていないのだと思います。これは、決して予め分かっていた訳ではなく、痛い目にあったり、苦しい思いをしたり、回り道をしたり、道草くったりしたことが、とても人間形成に役立ったと、後付で信じ込んでいるだけなのです。

世の中には、私のように行き当たりばったりでなく、ものすごく考えている人もたくさんいます。ソフトバンクの孫さんなどは、紙を積み上げたら何メートルにもなるほどアイデアを練りまくり計画を立てて事業を行なっているそうです。人生もそうやって成功に導いているのかもしれません。

でも、その孫さんでも、すべてのことが全て計画通りになることはありえません。何メートルに積み上がる計画書を作ってもその通りにならないこともあるはずです。その時にどう対処するのかがその人の人間としての価値であり、それが楽しい、面白い、充実していると感じることができれば幸福な人生を送っていると言えるのではないかと思います。

何度かブログに書いていますが、私の人生は、

  • 行き当たりばったり
  • 臨機応変
  • 結果オーライ

それで全てが上手くいったから幸運にも現在もまだ楽しく生きています。

話を学生の質問に戻すと、質問をした学生には、人生の選択肢には予め決まった正しい答えなどないことをわかって欲しいです。

選択をした後、何が起きてどんな対処をし、それをどう自分の中で解釈するのかで、正しい選択をしたかどうかが後で分かるだけです。

そのことを授業中には話せなかったのはちょっと残念。でも、学食で数人の学生に話せたのは良かったと思います。 

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