格差社会というのが、悪い意味で使われていますが、僕自身はそんなに悪いことではないと思っています。社会が活性化して発展してゆくためには、知能指数が高くて努力を続ける才能のある人が、地位や権力をや収入を高めてゆける仕組みが必要だと思います。
自分の周りを見ても、すごく稼いでいる社長さんたちは、すごく頭もいいし、勉強しているし、何より努力をしています。それも尋常でないほど。
その人たちが贅沢な暮らしをすることに違和感はありません。同時に、自分にはそんなことはできないなとも思ってます。寝る間を惜しんで仕事をしたり、勉強したり、つらいことでも頑張り続ける・・・。
だから、自分の年収がその人たちの10分の1であっても、当然だと思います。
もともと、知能指数が高くて、さらに尋常じゃないほど、考えて考えて、努力をしまくるエリートの人たちには、それなりの贅沢や、多少の悪いことをしてもよいので、日本社会をよくするために頑張りまくってもらえばよいと思います。
一方で、私も含めた凡人は、エリートを妬むのではなく、その人なりの幸せを見つける能力を身につけ、不要なコンプレックスを持つわけでもなく、幸せを感じて生きてゆくべきだと思います。
ちなみに、エリートの人たちは「我々はこんなに、考えて努力しまくって頑張り続けているのに、大多数の人は、努力もせず文句ばかり言っている」と言われます。でも、これは間違いだと思います。先のことを考えたり、努力を継続できるのは、才能です。
身長2mの人が、身長160cmの人に「なぜ、君は天井に手が届かないのか?怠けるな。」と言っているようなものです。
エジソンが「天才は、1%のひらめきと99%の努力」と言ったそうですが、凡人には何年も寝食を惜しんで努力を継続することはできません。努力が継続できるというのは、持って生まれた才能です。
エリートは、努力が継続できることを、自分の特殊な才能だと認識し、その恩恵で自分が成功者としていられのだと認識して欲しいです。
また、凡人は、努力が継続できないことを悲観する必要はないですが、努力が継続できないからエリートとは成果が違うことを許容し、それでも、自分のいる場所で、幸せになることを考えるべきだと思います。