鏡専門店から考えるオーストラリアの文化

オーストラリア(シドニー)に住んでいるときはあまり気にならなかったのですが、あるときふと気づいたことがあります。

 シドニーには個人経営(だと思う規模)の鏡屋さんとか、照明屋さんがあります。日本では見かけたことがありません(私が知らないだけかもしれませんが)。

 

店員が一人しかいないような小さな店で、鏡だけを取り扱っています。照明やさんも同じで、小さな店に家庭用照明器具だけが陳列されています。

 

日本にそういう店がないのは、それではビジネスが成り立たないからだと思います。逆に考えると、オーストラリアではそういうビジネスが成り立つ、つまり、需要があるということになります。

 

「鏡が欲しいから、鏡屋さんに行こう」

「新しい電気が欲しいから、電気(照明)屋さんに行こう」

 

と多くの人が頻繁に思うということでしょうか?

確かにオーストラリア人の家に行くと、据え置きの照明器具や、鏡が(日本の家に比べて)たくさんあった気がします。

でも、これは単に、鏡や照明器具が好き、というだけでなく、他人と違うことをよしとする文化の影響があると思います。日本の場合、所謂中流という家庭では、全ての面である一定基準以上の価格のものを持っています。つまり、家、自動車、インテリア、服、出かける先など。

でも、オーストラリアでは、ボロアパートに住んでいて、10万円以上する絵画を飾っていたり、ボロボロのポンコツ自動車で、モーターボートを引っ張っていたりと、日本人の感覚からするとアンバランスな生活をしている人が多い気がします。

 

 いろいろな国からいろいろな人種・文化の人が集まっている国だから、そう言う感覚が強いのだと思います。

 

 
大量生産され、大量に流通しているものを使えば、コストは下がります。日本の急激な経済発展を支えたのは、日本人の他人と同じものを持ちたいという感覚が
あると思います。高度経済成長期には、町内に1台テレビが売れると、その町内の普及率は100%になっていたそうです。
 そういう文化が、効率が悪くて割高な専門のもののみを扱う店には厳しいのかもしれません。
 

 

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